酒場を乗っ取り、酒に眠り薬を盛った男は、恐ろしい目で日用品マスターを見下ろしていた。
「マジで、何なんだこいつ」
昼頃に襲われ敗北した銀狼。その報復として、狼王が派遣したレイダーたち。それが、男たちの正体だ。
恐らくは、この日用品マスターが完全に潰したつもりでいたのだろう、昼に襲撃を受けた拠点。
しかしあれは、この近辺の、大きな支部の一つに過ぎない。組織としては腕をもがれたような痛手だが、動けなくなるほどではない。
しかし、しかしだ。レイダーは日用品マスターを見下ろして、思う。
―――敵を目の当たりにするまでは、楽な仕事だと思っていた。
店を静かに襲って掌握したら、薬を盛り、あとは料理上手な仲間が作った飯を食いながら、連中が酔い潰れるのを待つだけの仕事。
しかも、日用品マスターの女は、はた目から見ても極上だった。モノのついでに楽しめる、と楽しみにすら思っていたのだ。
だが全員、奴の最後の言葉で、余計な悪さを働く気が失せてしまっていた。
「バレてた、のか? それとも、わざと? 狸寝入り決め込んでんのか……?」
日用品マスターは、のんきにすやすやと眠っている。
だが、どこまでその認識が正しいのか、分からない。
「お前ら、事前に銀狼姐さんが負けた動画は見たな?」
まとめ役の言葉に、男たちは頷く。
「銀狼姐さんが、手も足も出なかったのがこいつらだ。戦闘すらまともにさせてもらえなかった」
男は、ごくりと唾を飲む。
あの人数差で、あれほど鮮やかに倒される銀狼など、想像したこともなかった。
「しかも、日用品マスターは、ボスのはかりごとが全部うまくいったら、俺たちの上役だぜ。悪さはやめておくんだな」
「上役!? マジかよ。いつもみたいに、クスリと拷問でラリラリにして、うまく使い潰すもんだと」
「それでどうにかなるのは気が強いだけのザコだ。tier4のスキルで大事故起こったろ前に」
「で、でもよぉ兄貴、このデカパイをほっとくのか……?」
「一揉みして、日用品マスターが起きてきたらどうすんだ。今のところ、自分から招かれてくれてんだぜ。虎の尾を踏むような真似はすんな」
「あー、くっそ。仕方ねぇ。お前ら! 丁重に扱え! 万一逆鱗に触れれば、俺たちは全滅だ!」
歯噛みしながら、男たちはそっと二人を担ぎだす。そして闇夜に紛れて、朝陽通り商店街を抜け出していった。
その日も、ぼたんはタクを探していた。
「う、げぇ……」
「かい、ぶつ……」
それは、最近この辺りを牛耳っているというレイダー集団、『ウェアウルフ』の拠点の一つだった。
ビルの廃墟の中。そこにあったのは、惨たらしい地獄だ。
無数の血生臭いアタッシュケース。乱雑に放られた白い粉の袋の束。壊れた笑みを浮かべて山積みにされた女性たち。
それらが、ぼたんにはタクの最悪の姿と幻視されて、つい力加減を見誤った。
結果今、二十人程度のレイダーたちが倒れていた。銃器はすべて破壊され、砕け散っている。
その中で、ぼたんは一番偉そうなレイダーの襟首をつかんで、ぐいと持ち上げていた。
「じゃあ、タクは、あなたたちが確保しているわけではないのね?」
「ぁ、が……」
「答えて。眠るのは許さない」
ぼたんは、そっと優しくレイダーの指をつまんで、手から引き抜く。
みじみじぃ、と肉がちぎれる音がして、レイダーの指が手から引き抜かれた。
「ぎゃぁあああああああ!」
「うるさい。悲鳴を止めて、早く答えて。でないと、次は全部の指を抜く」
「ひぎっ、わ、わがっだぁっ! わがっだ、がらぁ……」
大の男、それも戦闘慣れした歴戦のレイダーが、滂沱の涙を流してぼたんを見る。
「う、ウチでは、高tierスキル持ちの男奴隷の扱いは、ない……! 何も、知らないんだ。本当に……」
「……」
ぼたんは、顔色を読むのが得意ではない。だから、追加で指を一本抜く。
「ぎゃあああああ! 言っただろ! 正直に言っただろうが! 何で指を抜くんだよこの怪物がぁぁああああ!」
「……確かに、嘘は言ってないみたい」
口を割った者は、追加で痛みを与えると、大抵反応が二分する。
嘘を吐いたものは、嘘を看破されたと感じ、更に泣きながら本当のことを言う。
そして真実を語った者は、降りかかる理不尽に怒りだすのだ。
だから、この男の話は本当。ぼたんはそれに納得し、手をレイダーの頭にかける。
「じゃあ、ひとまずこの場は終わりにしてあげる」
ぼたんは両手で、レイダーの頭を押しつぶす。
ぐちゃあッ、と音を立てて、レイダーの頭蓋が砕け、中身が潰れ滴った。
それに、生きていたレイダーたちが、恐怖に絶句し息を飲む。
「私に報復をしようと思うのなら、次にこうなるのはあなたよ」
冷たく告げると、ほとんど全員が、壊れた機械のようにコクコクと頷いた。
しかし、一人だけ、ぼたんに吠える。
「なんッで! 何でこんな酷いことができんだよ、テメェェエエ!」
「……は……?」
眉をひそめて、ぼたんはレイダーの一人を見返した。
「『怪物』! お前も、お前も人間だろ!? モンスターじゃねぇんだろ!? なら、何で、何で同じ人間に、こんな酷いことができんだよぉ!」
「……。……なら、アレは何?」
荒い息を吐いて訴えてくるレイダー。それにぼたんは、アタッシュケースと女性の山を指さす。
「内臓の詰められたケースに、壊された女性たち。同じ人間に、何故あんなことができるの?」
「……はぁ? お前、何言ってんだ……?」
レイダーは心底意味が分からない、という顔をして、こう答えた。
「だってアレは、ただの商品だろ……?」
「―――――」
ぼたんの蹴りが、そのレイダーの頭を、サッカーボールのように吹っ飛ばす。
「ひぃぃいいいいい!」
残ったレイダーたちが叫ぶ。それが耳障りで、ぼたんは結局全員を殺した。
「……もののついでだし」
自前の壊れたスマホの代わりに、レイダーのスマホを使って、ぼたんは自分の冒険者アカウントにログインした。
山積みにされた女性を横に並べて、顔認証機能で、行方不明届けの顔写真から一通り照合を取る。
八割が該当。ぼたんは一つ頷く。
自分は危険冒険者だから、ほとんどの避難区域に出入りできない。しかし危険冒険者でも、冒険者であることに変わりはない。
「マップ情報だけ付与して、送信。……依頼達成。あなたたちには、すぐにまっとうな冒険者が助けに来てくれるからね」
壊れた笑みを浮かべ、目のうつろな女性たちに、ぼたんは呼びかける。
返答はない。それでいいのだ。もののついでで助かる人がいてもいい。
ぼたんだって、タクにもののついでで助けられ、あれほど救われたのだから。
「……やることは、やったかな」
レイダーのスマホを、握力で破壊しながら、ぼたんは呟いた。
この場にもう用はない。あとはただ立ち去るのみ。
そう足を向けた時、ふいに音を耳が捉えた。
「……ん……?」
何の気なしに、足を向ける。
そこにあったのは、飛び散った血で汚れた、付けっぱなしの誰かのスマートフォンだった。
「ダンジョン配信……?」
ピンクと青の派手な髪色のツインテールをした女の子が、自転車の荷台に乗ってわちゃわちゃと何かを言っている。
挑発的な物言いに、どことなく心情がざわつかされる。
「……あ、これ、挑発スキルだ。私にも効くんだ、すごい練度……」
経験則である程度抑えられるが、ぼたんの心をざわつかせるだけでも、相当なレベルなのだろう。
『挑発』は、確か低tierスキルだったはず。
それなのに、こんな子がいるんだから、世間は広いな―――なんて思っていたから、ぼたんは油断した。
「え?」
思わずスマホに飛びつく。画面を食い入るように見る。
自転車を運転している男性。自転車を漕ぎ、後頭部しか窺えない。
だからぼたんは、その姿に見覚えがあると気付くのに遅れた。
呼吸が荒くなる。画面を凝視する。
そしてついに、その人は振り向いた。
「―――タク」
ぽろ、と涙がこぼれ落ちる。
生きている。生きて、タクが元気に過ごしている。その事実だけで、ぼたんはとてつもない安心感に、その場に崩れ落ちた。
「良かった。生きててくれて、元気そうで、本当に良かった……!」
涙を拭う。それから、画面に見入って、状況を確認する。
元気そうに自転車を漕ぐタク。
そして、かつて自分が乗った荷台に乗って、タクと楽しそうに会話を交わす、見知らぬ少女。
どよ、と嬉しさが濁る。
ぼたんは、胸の内にくすぶる、黒く淀んだ感情を見つけてしまう。
「ねぇ、タク……?」
だって、タクは、自分にだけ向けてくれた親しげな顔を、この、知りもしない女に向けていて―――
「その女、誰?」
ぽつりと小さな呟きが、血と肉で汚れた廃墟に響く。
ここにあるのは、暴虐と血の轍ばかり。怪物、化生院牡丹が落とした絶望の軌跡。
なのに、愛し追い求めた人は、知らない女と、幸せそうに会話している。
「……」
そうして、ぼたんはそのスマホを手に握り締め、その場を去った。
残されたのは、ただ、人間と怪物による、蹂躙の痕跡ばかりだった。
タクとエンジェがウェアウルフに連れ去られた夜。とあるアカウントが、こんな投稿をした。
Ride Master@ImDragon
I'm going to see Bro in Japan.
翻訳
日本のブラザーに会いに行く
その投稿は、瞬く間に拡散され、大多数の人間に認知された。
だがそれを、タクとエンジェは知る由もない。
レイダーによる拉致。ぼたんによる認知。『乗り物マスター』による宣言。
そして、都市に戻り、静かにたたずむ巨大なる山の神。
物語の第一幕は、急速に終幕へと向かっていく。