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第36話 大騒動、前夜

 酒場を乗っ取り、酒に眠り薬を盛った男は、恐ろしい目で日用品マスターを見下ろしていた。


「マジで、何なんだこいつ」


 昼頃に襲われ敗北した銀狼。その報復として、狼王が派遣したレイダーたち。それが、男たちの正体だ。


 恐らくは、この日用品マスターが完全に潰したつもりでいたのだろう、昼に襲撃を受けた拠点。


 しかしあれは、この近辺の、大きな支部の一つに過ぎない。組織としては腕をもがれたような痛手だが、動けなくなるほどではない。


 しかし、しかしだ。レイダーは日用品マスターを見下ろして、思う。


 ―――敵を目の当たりにするまでは、楽な仕事だと思っていた。


 店を静かに襲って掌握したら、薬を盛り、あとは料理上手な仲間が作った飯を食いながら、連中が酔い潰れるのを待つだけの仕事。


 しかも、日用品マスターの女は、はた目から見ても極上だった。モノのついでに楽しめる、と楽しみにすら思っていたのだ。


 だが全員、奴の最後の言葉で、余計な悪さを働く気が失せてしまっていた。


「バレてた、のか? それとも、わざと? 狸寝入り決め込んでんのか……?」


 日用品マスターは、のんきにすやすやと眠っている。


 だが、どこまでその認識が正しいのか、分からない。


「お前ら、事前に銀狼姐さんが負けた動画は見たな?」


 まとめ役の言葉に、男たちは頷く。


「銀狼姐さんが、手も足も出なかったのがこいつらだ。戦闘すらまともにさせてもらえなかった」


 男は、ごくりと唾を飲む。


 あの人数差で、あれほど鮮やかに倒される銀狼など、想像したこともなかった。


「しかも、日用品マスターは、ボスのはかりごとが全部うまくいったら、俺たちの上役だぜ。悪さはやめておくんだな」


「上役!? マジかよ。いつもみたいに、クスリと拷問でラリラリにして、うまく使い潰すもんだと」


「それでどうにかなるのは気が強いだけのザコだ。tier4のスキルで大事故起こったろ前に」


「で、でもよぉ兄貴、このデカパイをほっとくのか……?」


「一揉みして、日用品マスターが起きてきたらどうすんだ。今のところ、自分から招かれてくれてんだぜ。虎の尾を踏むような真似はすんな」


「あー、くっそ。仕方ねぇ。お前ら! 丁重に扱え! 万一逆鱗に触れれば、俺たちは全滅だ!」


 歯噛みしながら、男たちはそっと二人を担ぎだす。そして闇夜に紛れて、朝陽通り商店街を抜け出していった。












 その日も、ぼたんはタクを探していた。


「う、げぇ……」


「かい、ぶつ……」


 それは、最近この辺りを牛耳っているというレイダー集団、『ウェアウルフ』の拠点の一つだった。


 ビルの廃墟の中。そこにあったのは、惨たらしい地獄だ。


 無数の血生臭いアタッシュケース。乱雑に放られた白い粉の袋の束。壊れた笑みを浮かべて山積みにされた女性たち。


 それらが、ぼたんにはタクの最悪の姿と幻視されて、つい力加減を見誤った。


 結果今、二十人程度のレイダーたちが倒れていた。銃器はすべて破壊され、砕け散っている。


 その中で、ぼたんは一番偉そうなレイダーの襟首をつかんで、ぐいと持ち上げていた。


「じゃあ、タクは、あなたたちが確保しているわけではないのね?」


「ぁ、が……」


「答えて。眠るのは許さない」


 ぼたんは、そっと優しくレイダーの指をつまんで、手から引き抜く。


 みじみじぃ、と肉がちぎれる音がして、レイダーの指が手から引き抜かれた。


「ぎゃぁあああああああ!」


「うるさい。悲鳴を止めて、早く答えて。でないと、次は全部の指を抜く」


「ひぎっ、わ、わがっだぁっ! わがっだ、がらぁ……」


 大の男、それも戦闘慣れした歴戦のレイダーが、滂沱の涙を流してぼたんを見る。


「う、ウチでは、高tierスキル持ちの男奴隷の扱いは、ない……! 何も、知らないんだ。本当に……」


「……」


 ぼたんは、顔色を読むのが得意ではない。だから、追加で指を一本抜く。


「ぎゃあああああ! 言っただろ! 正直に言っただろうが! 何で指を抜くんだよこの怪物がぁぁああああ!」


「……確かに、嘘は言ってないみたい」


 口を割った者は、追加で痛みを与えると、大抵反応が二分する。


 嘘を吐いたものは、嘘を看破されたと感じ、更に泣きながら本当のことを言う。


 そして真実を語った者は、降りかかる理不尽に怒りだすのだ。


 だから、この男の話は本当。ぼたんはそれに納得し、手をレイダーの頭にかける。


「じゃあ、ひとまずこの場は終わりにしてあげる」


 ぼたんは両手で、レイダーの頭を押しつぶす。


 ぐちゃあッ、と音を立てて、レイダーの頭蓋が砕け、中身が潰れ滴った。


 それに、生きていたレイダーたちが、恐怖に絶句し息を飲む。


「私に報復をしようと思うのなら、次にこうなるのはあなたよ」


 冷たく告げると、ほとんど全員が、壊れた機械のようにコクコクと頷いた。


 しかし、一人だけ、ぼたんに吠える。


「なんッで! 何でこんな酷いことができんだよ、テメェェエエ!」


「……は……?」


 眉をひそめて、ぼたんはレイダーの一人を見返した。


「『怪物』! お前も、お前も人間だろ!? モンスターじゃねぇんだろ!? なら、何で、何で同じ人間に、こんな酷いことができんだよぉ!」


「……。……なら、アレは何?」


 荒い息を吐いて訴えてくるレイダー。それにぼたんは、アタッシュケースと女性の山を指さす。


「内臓の詰められたケースに、壊された女性たち。同じ人間に、何故あんなことができるの?」


「……はぁ? お前、何言ってんだ……?」


 レイダーは心底意味が分からない、という顔をして、こう答えた。


「だってアレは、ただの商品だろ……?」


「―――――」


 ぼたんの蹴りが、そのレイダーの頭を、サッカーボールのように吹っ飛ばす。


「ひぃぃいいいいい!」


 残ったレイダーたちが叫ぶ。それが耳障りで、ぼたんは結局全員を殺した。


 レイダー人でなしたちの死体、そして壊れた女性たち。そればかりが残った部屋で、ぼたんは立ち尽くす。


「……もののついでだし」


 自前の壊れたスマホの代わりに、レイダーのスマホを使って、ぼたんは自分の冒険者アカウントにログインした。


 山積みにされた女性を横に並べて、顔認証機能で、行方不明届けの顔写真から一通り照合を取る。


 八割が該当。ぼたんは一つ頷く。


 自分は危険冒険者だから、ほとんどの避難区域に出入りできない。しかし危険冒険者でも、冒険者であることに変わりはない。


「マップ情報だけ付与して、送信。……依頼達成。あなたたちには、すぐにまっとうな冒険者が助けに来てくれるからね」


 壊れた笑みを浮かべ、目のうつろな女性たちに、ぼたんは呼びかける。


 返答はない。それでいいのだ。もののついでで助かる人がいてもいい。


 ぼたんだって、タクにもののついでで助けられ、あれほど救われたのだから。


「……やることは、やったかな」


 レイダーのスマホを、握力で破壊しながら、ぼたんは呟いた。


 この場にもう用はない。あとはただ立ち去るのみ。


 そう足を向けた時、ふいに音を耳が捉えた。


「……ん……?」


 何の気なしに、足を向ける。


 そこにあったのは、飛び散った血で汚れた、付けっぱなしの誰かのスマートフォンだった。


「ダンジョン配信……?」


 ピンクと青の派手な髪色のツインテールをした女の子が、自転車の荷台に乗ってわちゃわちゃと何かを言っている。


 挑発的な物言いに、どことなく心情がざわつかされる。


「……あ、これ、挑発スキルだ。私にも効くんだ、すごい練度……」


 経験則である程度抑えられるが、ぼたんの心をざわつかせるだけでも、相当なレベルなのだろう。


 『挑発』は、確か低tierスキルだったはず。


 それなのに、こんな子がいるんだから、世間は広いな―――なんて思っていたから、ぼたんは油断した。


「え?」


 思わずスマホに飛びつく。画面を食い入るように見る。


 自転車を運転している男性。自転車を漕ぎ、後頭部しか窺えない。


 だからぼたんは、その姿に見覚えがあると気付くのに遅れた。


 呼吸が荒くなる。画面を凝視する。


 そしてついに、その人は振り向いた。


「―――タク」


 ぽろ、と涙がこぼれ落ちる。


 生きている。生きて、タクが元気に過ごしている。その事実だけで、ぼたんはとてつもない安心感に、その場に崩れ落ちた。


「良かった。生きててくれて、元気そうで、本当に良かった……!」


 涙を拭う。それから、画面に見入って、状況を確認する。


 元気そうに自転車を漕ぐタク。


 そして、かつて自分が乗った荷台に乗って、タクと楽しそうに会話を交わす、見知らぬ少女。


 どよ、と嬉しさが濁る。


 ぼたんは、胸の内にくすぶる、黒く淀んだ感情を見つけてしまう。


「ねぇ、タク……?」


 だって、タクは、自分にだけ向けてくれた親しげな顔を、この、知りもしない女に向けていて―――


「その女、誰?」


 ぽつりと小さな呟きが、血と肉で汚れた廃墟に響く。


 ここにあるのは、暴虐と血の轍ばかり。怪物、化生院牡丹が落とした絶望の軌跡。


 なのに、愛し追い求めた人は、知らない女と、幸せそうに会話している。


「……」


 そうして、ぼたんはそのスマホを手に握り締め、その場を去った。


 残されたのは、ただ、人間と怪物による、蹂躙の痕跡ばかりだった。











 タクとエンジェがウェアウルフに連れ去られた夜。とあるアカウントが、こんな投稿をした。




Ride Master@ImDragon

I'm going to see Bro in Japan.

翻訳

日本のブラザーに会いに行く




 その投稿は、瞬く間に拡散され、大多数の人間に認知された。


 だがそれを、タクとエンジェは知る由もない。


 レイダーによる拉致。ぼたんによる認知。『乗り物マスター』による宣言。


 そして、都市に戻り、静かにたたずむ巨大なる山の神。


 物語の第一幕は、急速に終幕へと向かっていく。

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