しばらくつかず離れずで車を走らせていると、リックが「おい」と声を上げた。
「そろそろ商店街だ。今の内に準備は頼むぜ?」
俺とエンジェは頷く。リックはニッと笑い、「good」とネイティブの発音で言う。
商店街に近づくにつれ、道は細く複雑になる。細かく正確にハンドルを切りながら、リックはウェアウルフたちを先導する。
「くそがぁぁああ!」「舐めやがって!」「あのメスガキ、内臓破裂するまで犯してやる!」
追ってくるウェアウルフたちは、全員エンジェへの怒りで頭がいっぱいだ。
「やれるものならやってみれば~?♡ 童貞君に~、できるならね~!」
しかもそこで、追加で挑発を入れるのだから、エンジェも肝が据わっている。
リックは落ち着いた様子で、俺たちに言った。
「お前ら。そろそろ突っ込むぜ。準備は良いな? シートベルトはしたか? 超絶操縦テクに叫ぶ準備は?」
俺は言われて、素早く座席に戻った。シートベルトをする。それに、覚悟も決める。
「できた。もう大丈夫だ」
「あたしはとっくのとうに出来てるわ」
「『商店街部隊は完了してる』『ドキドキ……』『さっきの話の通りだけど良いんだな?』」
俺が、エンジェが、そしてコメ欄の商店街の冒険者たちから声が上がる。
朝陽通り商店街の壁が見える。門番はすでに退避し、入り口の門を開け放っている。
リックはそれに、満足そうに笑った。アクセルをベタ踏みして、宣言する。
「乗り物マスターの真価をご覧あれ、ってな」
そして、俺たちを乗せる車が、商店街に突入した。
朝陽通り商店街に待機する冒険者の話では、こういうことになっていた。
「『すまん、設置罠の仕様上、アンタらとウェアウルフを区別して攻撃する手段がない』」
走りながら聞こえたコメントに慌てたのが、俺とエンジェだ。
「えっ、と……え? 俺たちも袋叩きにされる?」
「もしくは、商店街の罠をほとんど起動させられないか、ね。……あ~終わった~!」
俺は顔をこわばらせ、エンジェは髪をぐしゃぐしゃにする。
しかしリックは、落ち着き払ってこう言った。
「おいおい。オレを誰だと思ってやがる。天下の乗り物マスターだぜ? むしろ、オレたちごと巻き込むくらい、派手にやってくれよ」
「『いいのか?』『うぉお剛毅だな』『これはド派手バトルの予感』」
リックは片手で運転しながら、余った手で、くしで髪を撫でつけた。
「もちろんだ。ここまで、簡単なテクしか見せてなかったからな。飛び入りゲストの癖にこの程度しかできなかったら、全世界から舐められちまう」
―――そして今、俺たちは、宣言通りに商店街に突っ込んだ。
「さぁ、ショータイムの始まりだぁぁあああ!」
リックはハイテンション全開で叫ぶ。ものすごい勢いで、車が商店街の中に突っ込んでいく。
商店街の道は、事前連絡の甲斐もあって、人通りが全くなく閑散としていた。
人通りがないと、ここまで広い道だったのだな、と気付かされる。少なくとも、車が横三列は、余裕で走れる道だ。
一方人間がまったく居ないというわけではなく、離れた場所に巨大な魔法陣が敷かれ、その傍に一人、冒険者が立っている。
「やるからな! いいんだな!?」
魔法陣のそばで冒険者が叫ぶ。それにリックは、堂々と答えた。
「問題ない! 『乗り物マスター』を信じろ!」
「クソッ! どうにでもなれぇッ!」
魔法陣が光りだす。
そうして―――魔法陣の中から、全身に梵字が書かれた、車ほどのサイズの虎が現れた。
エンジェが叫ぶ。
「きゃぁあああああ!? 神獣ヴヤーグランタラ! S級モンスター!? なんてもの呼び出してんのよぉ!?」
「仕方ないだろ! 何か知らないが、この辺のモンスターはこのくらいしか生き残ってなかったんだよ!」
冒険者は言うなり、さっさと家にこもってしまう。
自然、虎の視線の先は俺たちに向かう。デカい虎が俺たちの前に立ち塞がる。
俺は言った。
「俺……猫好きなんだよな……」
「虎どころかS級モンスターを前にして何言ってんの!?」
「こんな状況じゃなきゃ戯れたかったなって。あーでも、すばしっこそうだから難しいかな」
「何で一人だけ猫カフェ気分なのよ! ―――いやちょっと待って」
エンジェが顔を青ざめさせて、言う。
「タクが『すばしっこそうだから難しい』って言うの、ヤバくない?」
俺は「え?」と首を傾げる。何言ってんだこいつ。
そこで、リックは笑った。
「いいねぇ、ヒリついてきたぜ。じゃあ、お二人さんよ」
リックが、言う。
「しっかり掴まってろよ。舌噛むんじゃねぇぜ?」
リックは急激にハンドルを横に切る。猛スピードで車が回転し、虎の眼前で車体がスピンを始める。
「ぎゃぁぁああああ! タクぅぅううううう!」
エンジェが泣きながら俺にしがみついてくる。俺も猛烈にかかるGに、体を硬直させてエンジェと配信ドローンを車に押さえつける。
場所はもう虎の眼前。虎が前足を上げ、こちらに振るおうとしている。
当たる――――そう思った時、車は段差を踏み、ガコン、と音を立てた。
【スピンジャンプ】
不可解なほどの勢いで、車が空中で回転しながら、虎の上を飛び越える。
「ハッハー!」
リックは高笑いを上げて、ハンドルを切って着地、スピンなどしていなかったかのように、スムーズに走り出す。
「第一のアクロバットだ! 見てたか画面の前のみんなぁ!」
「『酔う』『おぇぇええ!』『何だ今の動き』『物理法則どこいった?』」
俺とエンジェは揃ってグロッキーになっていて、何も言葉を返せない。
だが今のアクロバットは、確実に効果をもたらしていた。
「っ!? 何だこのモンスターは!」「ぎゃぁああ!」「車体が一撃でぶっ壊された!」
振り返ってみれば、後続の車両が、虎に襲われてドンドン破壊されていく。
おーおー……、まるで、紙袋をパンチする猫のようだ。
虎の力が強すぎて、紙袋がへこむように、敵の車体がくしゃくしゃになっていく。
「さっ、さすが、S級モンスター……。でも、あれ最終的にどうするのよ。討伐用のS級冒険者、大量に集められるの……?」
げっそりしたままエンジェが呟く。
そこで、謎の光線が走った。
「グォォオオオオオオ!」
「モンスターごときが、アタシらを舐めんじゃないよぉ!」
聞き覚えのある声、と思ってみてみれば、後続車両から顔を出すのは、黒髪銀メッシュの痩躯の女。
「あ、えっと何だっけあの。ウェアウルフのナンバーツーの、魔法使わせずに倒した……」
「銀狼だよォッ、日用品マスター! 名前くらい覚えてもらいたいもんだねぇ!」
おぉ、本当に死者が蘇るんだな、という目で、俺は奴の動きを見る。
銀狼の持つスマホから放たれる光線。それが虎を焼いたようだった。
虎はまだ健在だが、怯んだ隙に後続の車が、いくつも横をすり抜けてくる。
「光線があいつの魔法か」
「そうよ! 距離を無視して攻撃してくるから、気を付け、きゃぁっ!」
「小娘がガチャガチャ言ってんじゃないよ!」
「ちゃんとヘイトが向いてる」
俺は狙われるエンジェを守るように【開傘】し、銀狼の光線を防ぐ。ビニ傘がわずかに焼けこげ、透明に戻る。
「チッ、普通に攻撃しても意味がないか……! お前たち! 速度を上げて追いつくんだよ!」
攻撃がエンジェに向く以外は冷静なようで、周囲の部下たちに命令を飛ばしていた。
俺は言う。
「リック。追手がちょっと面倒そうだ。逃げられるか?」
「もちろんだ、ブラザー。ほら、前を見てみろ。商店街の冒険者の仕込みは、梵字タイガーだけじゃないらしい」
俺たちは前を見る。
先ほど設置されていたのが大きな魔法陣だとすれば、今度は小さな魔法陣の石板が、細かく地面にばらまかれている。
「石板は踏むなよ!」
建物の二階から、冒険者が叫ぶ。
なるほど、分かりやすい。アレすべてが罠という事だろう。
問題があるとすれば―――アレをどうやって踏まずに走れと?
「商店街の一区画全部埋まってるんですけど!」
エンジェが泣いて叫ぶ。生きた心地じゃないのだろう。ずっと俺に抱き着いている。
エンジェの言う通り、ばらまかれた魔法陣は、商店街の道を完全に塞いでいた。
踏んではならない魔法陣の石板が、道を埋め尽くす。その距離、なんと二十メートル。
ジャンプで越えられる距離ではない。
だが、と俺はリックを見た。
リックの顔は、実に楽しそうに緩んでいる。今にでも鼻歌を歌いだしてしまいそうなほど。
「車でハイテンションバトルなんて中々できる機会がなかったが……隔離地域ってのは、いいな。実力を思う存分発揮できる」
またもリックはハンドルを切る。シフトレバーをガコガコと操作する。
段差に乗り上げ、ガコンッ、と車体が浮く。
「それに背中は、世界一安全と来た。ふ……っ、ブラザー、お前に背中を預けるのは、気持ちがいいな」
【ウォール・ラン】
リックの運転で、スポーツカーが壁を走り出す。
「ひゃぁぁあああああああ!?」
エンジェが叫ぶ。エンジン音が激しく響き、車が猛スピードで壁を駆ける。
「なぁぁああ!?」
銀狼は叫ぶが、連中に同じようなドラテクはない。
俺たちがちょうど二十メートルを駆け抜け、着地した辺りで―――それは起こった。
火柱が、氷柱が、後続車を徹底的に打ちのめす。
「がぁぁああああ!」「うぎゃぁぁあああ!」「あがぁっ!」
悲鳴が続く。後続車が軒並み撃墜される。銀狼の乗る車両も、同様にお陀仏だ。
「なるほど。こりゃあ『踏むな』ってアドバイスは的確だ」
ニンマリ笑って、リックは肩を竦めた。
しかし、油断は禁物の様だった。
打ち上げられ廃車になった車両たち。踏まれないと作動しない性質上、魔法陣は一度の発動で効果を失う。
そこに、さらに残った後続車両が、廃車を乗り越えて俺たちに迫ってきていた。
俺は眉をひそめ、忠告する。
「おうおう、リック。連中、仲間の死体を踏みつけて追ってきやがったぞ」
「ギャングの連中も必死なのさ。恐らくは、ヤンキーガールの挑発でな」
だが、とリックは前を指す。それにつられ、俺たちは前を注視した。
商店街の終わりが近づいている。エンジェが「やっとこの地獄から解放される……!」と一瞬ホッとする。
その時、出口付近の冒険者が叫んだ。
「急げ! 連中を閉じ込める結界が、そろそろ閉まるぞ!」
「あんたら何!? あたしたちに恨みでもある!? あたしたちごと殺そうとしてる!?」
散々怖い目に遭って、ボロ泣きでエンジェが訴える。
「……ふっ」
「鼻で笑った!」
ああ、うん。あの冒険者、典型的なザコブタくんだわ。
そう思っていたら、確かに商店街の出口に、奇妙な壁ができ始めていた。それがじわじわと、通れる道を狭めていく。
「最後はスピード勝負ってわけだな。乗ったぜ」
リックは言いながら、助手席に手を伸ばした。
「……そういえばさ、リック」
俺は、気付いていながら聞かなかったことを、聞く。
「その、助手席に置かれてる、変な機械とガスボンベみたいなの、何なんだ?」
「ん? ああ、これか? これはな、ブラザー」
リックは極めて上機嫌で、こう言った。
「ニトロ、っていうのさ」
リックが機械のつまみをねじった途端、暴力的な加速がスポーツカーを駆り立てた。
【ニトロブースト】
「うぉおおおおおあああああ!?」
「死ぬっ! 死んじゃぅぅうううううう!」
「ハッハハハハハハハハ! 歯ぁ食いしばれよ! ブラザーたちぃぃいいい!」
高速で車は走る。目前とする結界は、どんどんと出口を縮小している。
わずかでも遅ければ激突、からの死。ちょっとの日和りで俺たちはおしまいだ。
だが。
生憎とリックは、そんな臆病な心とは、無縁の男の様だった。
「ああ」
リックは、恍惚と呟く。
「最高の、チェイスだった」
猛烈なスピードで、閉じられる結界を、ギリギリで俺たちは突破する。
「―――おぉっ! 抜けたァッ。抜けたぞエンジェ!」
「あばばばばばば」
「エンジェー!」
俺は恐怖で壊れてしまったエンジェをゆする。
背後で、結界が完全に閉ざされる。追手は全員、閉じられた結界にぶつかり、破損、引火、爆発していく。
「『作戦大成功~!』『激アツや!』『うぉおおおお!』『最高だ!』」
ドローンからザコブタたちの歓声が上がる。その中に紛れて、こんなコメントが流れる。
「『結界封鎖したぜ』『あとはウェアウルフと、神獣ヴヤーグランタラの殺し合いだ』『しばらく放置して、みんな半死にになったら討伐を掛ける』」
「おう! 協力者のみんな、マジでありがとな!」
動かなくなってしまったエンジェに変わり、俺は満面の笑みで礼を言った。
「『何の何の!』『バールニキと一緒に戦えて楽しかったぜ』『マスタースキル最高だ!』『また誘えよ!』」
「ハッハッハ! 随分好かれてるなブラザー」
「ありがたい限りだよマジで―――」
そこまで言って、俺は殺気に気付いて振り返った。
「……ふざけるなよ、テメェら……!」
そこにいたのは、数を大幅に減らしながら、恐らく商店街を迂回して来たウェアウルフたち。
そして、最も巨大な車―――大型トラックの上に立つ、狼毛皮を被ったマッチョ……狼王が、俺たちを睨んでいる。
「九割……! 九割だ! ウェアウルフ全構成員の、九割がこのクソ商店街でぶっ殺された!」
言いながら、狼王は
それは、異様な武器だった。人間が持つには巨大すぎる、鉄の筒の集合体。しかも、筒の一つ一つに呪文が書かれている。
俺は、冷や汗を掻く。そう言えばエンジェが言ってたな、と思う。
「ミニガン、って奴か」
「テメェら、全員ぶっ殺す! 皆殺しだァァアアアア!」
激昂した狼王が、残る車両を駆りながら追ってくる。
ウェアウルフとの、最後の追いかけっこが始まった。