狼王の銃撃は、熾烈だった。
「全員、死に晒せぇぇええああああああ!」
ミニガンは回り、刻まれた呪文が光る。
その威力は、到底銃のそれではなかった。俺の傘ですら、衝撃を完全に吸収できないほど。
「やべぇぞあいつの攻撃! 弾丸の一発一発が、デカイ鷹の急降下くらい重い!」
「こりゃあ何か仕込んでやがんな……。スキルの影響下だから、オレの
つまりは、商店街大作戦は成功したものの、残党に狼王が含まれていたせいで、俺たちは一転してピンチに陥っていた。
また何か策があれば変わったかもしれないが、残念なことに精神を擦り切らしてしまって、エンジェは泡を吹いて寝ている始末。
こいつ、度胸あるのにストレスに弱いな……。
俺はエンジェを横目に、銃撃に吹っ飛ばされそうになるのを、必死で車にしがみついて耐える。
傘が壊れる気配はないが、俺の方が先に壊れそうだ。
「おい、ブラザー」
そこで、リックが極めて冷静に言った。
「悪いが、『敵の全滅』ってのは、この状況に今のオレの装備じゃ難しいぜ」
「リック」
「勘違いするなよ。これは弱腰ってんじゃねぇ。
サイドミラー越しに、サングラスを下げ、リックは俺を見てくる。
「分かるだろ? 同じマスタースキルならよ」
「……ああ、分かるさ。その装備の特性以外のものは、スキルでも伸ばせないってんだろ」
包丁で傘のような防御ができないように、傘で合わせができないように。
逃げる用の、速さ目的の車で、激しい車両同士の近接戦は制せない、ということ。
「だから、ここは退くことを勧めるぜ」
リックは続ける。
「おススメは都市部へ戻るハイウェイだ。最新のマップじゃ、SSS級モンスターが通過して、途中で道が崩落してるらしい。そこを飛ぶ。連中には無理だが。オレにはできる」
崩落部を飛んで、追手を引きはがす。そう言う作戦だ。
悪くはない。大幅に戦力を減らした以上、ウェアウルフも再起は難しくなる。ひとまずは勝利と言っていい。
―――しかし。
「悪いが、逃げはダメだ」
俺は、歯を食いしばりながら言う。
「逃げたら、ウェアウルフは建て直す。俺たちはこの場で、―――全員潰す必要がある」
「なら、策が必要だぜ。ヤンキーガールは見ての通りショートしちまった。お前が考えなきゃならねぇぞ」
「……分かってる。考えるから、とにかく逃げに徹するのはやめてくれ」
俺が懇願すると、肩を竦めて笑い「仕方のねぇブラザーだ」とリックはハンドルを切った。
俺は、考える。連中全員を、この場で潰す方法を。
「……!」
俺に思い浮かぶのは、いつもの手。正面から挑む、一対一を細かく繰り返すやり方。
負けることはないだろう。だが、勝のも難しい。
何故なら俺にはスタミナがなく、やはり逃がさないという事が弱いから。
リックの力があればどうだ? と考える。しかし、それも厳しい。
何せ車は、長期的で安定的な速度に優れる道具だから。
今必要なのは、この場から一人も逃がさない瞬発力だ。車の得意分野ではない。
それではダメだ。一人も逃さないのが、今回のゴールなのだから。
「誰一人として逃がさないためには、どうすればいい」
「……ブラザーは怖ぇやつだな」
俺の呟きに、リックは呟く。
「逃げてんじゃねぇぞ、ビビリ野郎がぁぁぁああ!」
狼王はミニガンを振り回し、絶えず追ってくる。
こっちは、お前を逃がさない方法を考えているというのに、勘違いしやがって。
そこで、不意に俺は、ピリ、と違和感に反応した。
「ブラザー? どうかしたか」
「……これ。この、雰囲気」
覚えがある。覚えている。俺は、この気配がどこからのものかと、視線を巡らせた。
周囲は商店街を、住宅街を抜け、すでに都市部の一角に入りつつある。ビルが林立し、高速度道路への入り口が見えている。
そして俺は、その影を見つけた。
「……悪い、リック。やっぱり、逃げるのでいい」
「何だって? おいおい、どうしちゃったんだブラザー。連中は一人残さず、じゃなかったのかよ」
「それは、変わらない。けど……俺たちは、幸運なことに、もう一人助っ人が居たみたいだ」
「っ」
そこでリックも勘付いたように、車を走らせながら上を向いた。それから冷や汗を流し、「おいおい……」と呟く。
「彼女は、
リックの問いに、俺は苦笑する。
「ああ。あっちはどう思ってるか分からないが……俺は、大切に思ってるんだ。けど」
俺は、リックに忠告する。
「多分人違いだから、いずれ紹介したときに、あんまりそういう風に煽るなよ? 中二病が加速しちまう」
「……はは、ブラザーは愉快な奴だよ。―――そろそろ崩落部分だ。飛ばすぜ」
リックは助手席からニトロを解放する。車は急加速し、「待てゴラァァアアアア!」と背後の狼王が叫ぶ。
……俺は、あんまり、あいつを戦わせることに頷きたくない。
あいつは、華奢な女の子だ。普通の、あどけない少女。
だが同時に、
だから、不甲斐ないけど、
「ぼたん」
俺は、呟く。
「この場を、任せて良いか?」
「―――ブラザー、ジャンプするぜ! ヤンキーガールがすっ飛ばないように押さえときな!」
「……ああ!」
俺はエンジェとドローンをしっかり固定する。
直後、車は坂道を駆け上がり、高らかにジャンプした。
「任せて」
狼王が聞いたのはそんな、鈴の鳴るような、清廉な声だった。
「マスタースキルが逃げたぞ! スピードを上げろ! 追えぇぇええええ!」
だが、狼王はそれを無視した。何かの空耳だと思ったのだ。
狼王の命令を聞いて、部下の車がスピードを上げる。そしていざ飛ぶぞ、となった瞬間、それは起こった。
ズドン、という、地響きのような音。
「ッ!? 全員ッ! 止まれぇぇええええええ!」
とっさの判断で、狼王は叫んだ。それに、部下たちは従順に、正確に車両を急停止させる。
ここに残ったのは、狼王の部下でも、精鋭ばかりだ。
日用品マスターの相棒の、配信者の女。奴の挑発をとっさに耳を塞ぎ防御して、こうして生き残っている連中なのだから。
しかし、あるいは、だからこそ、その姿に、一様に怯えることとなったのかもしれない。
「……あ、あれ、あれ、は……」
狼王の車両の運転手が、か細い声で呟く。
そこにあったのは、飛ぶ直前に地面に縫い付けられ、無残に廃車となった部下の車両。
そしてそこに突き刺さる、「通行止」と書かれた、赤い×マークの道路標識。
「……まずい」
狼王は、呟く。何故なら、狼王は、かつて
精鋭であればあるほど、実力があればあるほど、『その作戦』に参加していた確率は高い。
そしてそこで、もれなく全員、死ぬほどのトラウマを植え付けられている。
―――道路標識の突き刺さった車の上に、ビルの上から、ふわ、と着地する者がいた。
それに、誰もが凍りつく。
妖精のような姿。深窓の令嬢のような姿。
誰もがその美しさを認めるだろう。だがそれは、作戦経験者にとっては、絶望の象徴のようなもの。
真っ白な長い髪。ルビーのように赤く輝く瞳。
そして、返り血で染められた、深紅のワンピース。
「あ、ああ、ああああ。おしまいだ。おしまいだおしまいだおしまいだぁ!」
部下の一人が発狂して叫ぶ。「黙れ!」と狼王は一喝する。
……かつて、狼王を始めとする精鋭たちは、その作戦に参加していた。
無数のA~S級冒険者たちを集めた、とある危険S級冒険者討伐作戦。
その名も『怪物狩り』。
あのとき狼王たちが追い、そして手ひどく撃退された、あの危険S級冒険者。
―――それが、今、目の前に立ち塞がっている。
「テメェ……! 何で、ここにいやがる。オレたちの前に、現れやがる……!」
唸るようにして問うと、奴はよほど耳がいいのか、答えた。
「あなたたちが、私の大切な人を追っていたから。なら、それを邪魔するのは当然でしょう?」
言いながら、奴は曲った道路標識を抜き、腕力だけで、軽く折り曲げてまっすぐにしてしまう。
「だから」
奴は道路標識をかざし、こう言った。
「ここから先は、通行止め」
それに、狼王は、苦虫を噛み潰したように顔をゆがめる。
この隔離地域における、最も危険なS級冒険者。
戦う様は生ける嵐がごとく。数々の手段をもって追い詰めてなお健在。
素手でモンスターを引き裂き、人間を叩き潰す、異能を越えた異形。
「クソがぁ……!」
怪物。
化生院 牡丹が、狼王の前に立ち塞がっていた。