高速道路を走っていると、山のようなサイズの猿のモンスターが、ビルの合間に佇んでいるのが見えた。
「ッ」
それに俺は、息を飲んだ。目を丸くして、奴を見る。
「おっと、ありゃあ話題になってたデモンじゃねぇか。気付かれないように静音で走るぜ」
シフトレバーを操作して、リックは速度を落として走る。
「『いやぁ大立ち回りだったな……』『ウェアウルフ本拠地脱出、乗り物マスターのカーチェイス、んで怪物乱入?』『何で怪物が乱入してきたのか分からんけど』」
ドローンから、ザコブタたちがガヤガヤと何か言っている。連続の修羅場を乗り越え、今は小休止、という雰囲気だ。
追手はない。気配も感じない。恐らくは、ぼたんが何とかしたのだろう。改めて会えたら、ちゃんと礼を言わないとな。
「『つーか登録者100万人超えてる!』『あ! ホントだ!』『たった三日で九十万人増!?』『100万人おめでとう!』」
「え!? 100万人超えたの!? おいエンジェ、起きろ! 100万人超えたってよ」
「ん~……! いやぁ~……! 虎……火柱……閉じ込められるぅ~……!」
「悪夢見てる」
せっかくのチャンネル登録者100万人の瞬間にこれとは、重ね重ねエンジェも運のない奴だな、と切なくなる。
「……とりあえず、エンジェに代わって、礼を言っとくか。みんな、マジでありがとう。ここまでこれたのはみんなのお蔭だ」
「『マスタースキルチャンネルだしな』『この三日間の見応えは異常』『お前の力や!』『誇れバールニキ!』」
「いやいや……エンジェの力と、それを応援してくれたみんなのお蔭だよ。重ねて、ありがとうございます。これからも応援よろしくな」
「『常識人風非常識止めろ』『100万人超えても自分を過小評価する男』」
「何で俺ツッコまれてんの?」
よく分からん、と首を傾げる。
そこで、リックが言った。
「ブラザー、とりあえずギャングたちからは上手く逃げられたし、適当な場所で下ろすつもりでいるんだがよ。この後はどうする」
「どうするって?」
「ギャングたちは、恐らくフロイラインが片づけたはずだ。だから危険はもうない。今日の騒動は、これにて決着、ってことだ」
「ああ……そうか。これで、全部解決……か」
俺は呟く。リックが続ける。
「ああ。今日は楽しかったぜ、ブラザー。思わぬ大冒険になっちまった。今じゃすっかり日も暮れて、夕焼けがまぶしいぜ」
「サングラスしといて何言ってんだお前」
「おっと、忘れてたな。ハッハッハ!」
軽口を叩いて、リックは笑う。
それに俺は、想いを馳せた。長い一日だった。そう思う。
脱出劇、カーチェイス、ぼたんとの僅かな再会……。
俺は、言う。
「まだ、終わってない」
「……何だって?」
滑らかに運転しながら、リックが俺に振り返ってくる。
「リック。頼みがある。真剣な頼みだ。たった数時間しか一緒に過ごしてないけど、俺はお前がすげー奴だって信じて、頼みたい」
「へぇ……? まずは願いを言ってみな」
「『バールニキどした』『何か気になってんの?』『バールニキの真剣な顔……トゥンク』」
リックに促され、ザコブタたちに茶々を入れられ、俺はごくり唾を飲み下し、言う。
「――――あの、デカイ猿。あいつを、俺と一緒に倒してくれないか」
その言葉で、ぴた、とリックは停止した。
ドローンの読み上げるコメ欄も、速度が著しく遅くなる。
そして、遅れて、爆発した。
「おいおいおい、おいおいおいおい! いきなりなぁに言ってんだブラザー!?」
「『ファッ!?』『SSS級モンスターにマスタースキルが挑む!?』『やば』『いーやこれは激アツ!』」
リックが目を剥く。コメ欄が騒ぎ出す。
俺は、説明を始めた。
「さっき、俺たちを助けてくれた奴。あいつは、元々俺と一緒に暮らしてたんだ」
「『!?』『なんだと』『バールニキにスキャンダル!』『いや流石に怪物と暮らしてたは嘘すぎる』」
「それが、あのデカイ猿の所為で、しばらく離れ離れにされてたんだ。俺はずっと家で待ってて……でも、あいつは、ぼたんは帰ってこなかった」
「……」
うるさいコメ欄に対して、リックは静かに俺の話を聞いている。
「俺はデカ猿に吹っ飛ばされて、役に立てなかった。普通のモンスター相手に、手も足も出なかったんだ。だから、不甲斐なくて、……それが原因で、帰ってこないんだと思ってた」
「『(普通のモンスターじゃ)ないです』『怪物と山王の戦いにバールニキ居たマ!?』『吹っ飛ばされた(無傷)』『山一つ分くらい吹っ飛ばされて平気な顔してそう』」
「でも、ぼたんは俺のピンチに顔を出してくれた。俺は……何だか、なおさら不甲斐なくてさ」
「失望されてたわけじゃないのに、か」
「ぼたんは俺のことを気に掛けてくれてた。でも俺は、それを疑って……それで気付いたんだ。俺が一番、俺に失望してたんだって」
俺が俺に失望したから、それをぼたんの考えだと思い込んだ。
最初から、俺だけだったんだ。俺だけが、俺をずっと、信じられないままでいる。
「だから」
俺は言う。
「俺は、あいつを倒したい。あのデカ猿を、普通のモンスターを自分の力で倒せるようになって、初めて少し、自分のことが信じられる気がするんだ」
「……ブラザーの言うことは、ツッコミどころだらけだけどよ」
リックは苦笑しつつ、言葉をつなぐ。
「生憎と、オレでもあのデッカイ『普通のモンスター』を倒すのは、一筋縄じゃないぜ。少なくともこの
「分かってる。けど、リックが本気を出せば、あのデカ猿を倒す足掛かりになる……そんな気がしてるんだ」
「『絶対評価は間違ってるんだけど、比較評価は間違わないんだよなバールニキ』『それ』『簡単に倒せる、じゃなく、足掛かりになる、か』」
「……」
リックは車を走らせながら、しばし沈黙していた。
それから、ふとした時に、口を開く。
「実はな、あのデカ猿じゃあないが、オレもあの手のデモンには挑んだことがある。米軍と組んでな」
「っ。そうなのか」
「ああ。連中は、日本じゃ神と呼ばれ、こっちじゃデモンと呼ばれてる。いまだ誰も倒したことのない、前人未到のSSS級モンスター」
みんな等級盛りすぎだろ、と思いつつ、俺は配信画面なので黙っておく。
「連中は強い。人類がいまだに一体も倒せてないくらいだ。実際、オレの僚機は全部叩き潰された。空を駆ってなお、地上の悪魔に常人は及ばない」
「マジかよ」
「ああ、マジさ。瓦礫をぶん投げられただけで、僚機は蚊トンボみたいに叩き落とされた。ジャンプで捕まれて機体ごと握りつぶされた奴もいた」
「『これめちゃヤバ情報では?』『国家機密レベルの情報が流れてる』『やっぱ戦闘機とか爆撃機とかでも全然だめなんか』」
「とはいえ、それは常人の話だ。オレならバトルするくらいはできた」
ドヤ顔になるリックに「はいはい。それで?」と俺は苦笑しつつ先を促す。
「オレとSSS級モンスターの一騎打ちで、肉を剥がすところまでは行けた。だが、連中の高すぎる再生能力に、核がすぐに隠されちまった」
「核?」
「魔石さ。あのサイズなら、一抱えくらいのサイズの魔石が、体の中に埋まってる。それを砕くまでは、デモンは決して死なねぇんだ」
魔石、どこかで聞いた。ダンジョンでは、魔石が取れると。モンスターからだったんだな。
「連続爆撃でも、やっぱり同じだ。肉は剥がせても魔石を砕くには至らない。思うに、魔石が露出した瞬間を叩くための、爆撃を食らっても死なずに攻め込める歩兵が要る」
「『それって……』『防御力自信ニキが必要だ』『バールニキやんけ!』」
ザコブタたちが俺をはやし立てる。リックはニヤリと俺を見る。
「ま、そういうことだ。オレなら肉を剥がせる。だがトドメ刺しができねぇ。困ったなぁ? 誰かそれができる、無敵の歩兵が居ないもんか」
「なら、それは俺がやる」
「ハハハハッ! そうだな。ブラザーしかできない仕事だ。―――クク、面白くなってきやがった」
リックは含み笑う。「だがだ! 話はそう簡単じゃねぇぞ」と続ける。
「オレが爆撃で肉を剥がし、ブラザーがその場で魔石を砕く作戦だとしよう。だがな、その前にも、準備がいるんだぜ」
「その準備は、何をすればいいんだ?」
「それはな―――
言いながら、リックは親指と人差し指、中指をこすらせた。
「……? あっ」
「『金?』『お金は大事と存じます』『金って何代?』『こぉれは……爆撃機代ですねぇ……』」
リックは、ゲラゲラと笑いだす。
「コメント! お前たちの言う通りだ! 爆撃機を借りるには金が要る! 爆弾もやはり金が要る! 燃料は乗り物マスタースキルでどうにかなるが、それ以外の全部に金が要る!」
俺は、簡単なノリで大変なことを頼んでしまったことに気付いて、顔を青くする。
「あのデカさのモンスターを倒すには、超強力爆弾がいる! 核にも負けないようなやべー奴が必要だ!」
「……あの、リック。これ、どのくらい金が必要なんだ……?」
リックは、ニンマリと笑って言った。
「ザッと試算して、1270万」
「うぉおおお……一千万超え……!」
「『アレ? でも安くね?』『いや、これは……』『為替だぁあああ!』」
「あ、これドルな。だから……ざっと二十億円ってところか! ハッハッハー!」
「二十億……っ!?」
俺は目を丸くする。
え、じゃあ無理じゃん! 二十億円は無理じゃん! 天地がひっくり返っても無理じゃん!
俺は頭を抱える。土台無理なことが判明して、気分はピエロだ。
「いやぁ中々高いハードルだなぁブラザー!? ブラザー一人の力じゃあ、なかなか難しいはずだ」
「こ、これは……くぅ、じゃあ、諦めるしか……!」
「ところで……、ここでブラザーのブレーン、ヤンキーガールの意見を聞いておこうか」
「え?」
俺はキョトンとして、横を見た。すると、エンジェがムクっと起き上がってきて、俺を睨む。
「あたしが寝てる間に、随分おっきなことを言ってくれたみたいじゃない……」
「あ、あの、エンジェ、怒ってる……?」
「怒ってない。怒ってないけど、面倒ごとを抱えてくれたなって思ってる」
「じゃあ怒ってるじゃん!」
「だから怒ってないって言ってるでしょ」
ぷく、とエンジェは頬を膨らませる。それから腕を組んで、足を組み、視線を巡らせる。
「ザコブタ。今アンタら何人?」
「『さっき100万人超えたぞ座古宮』『お前が悪夢見てるときに超えた』『チャンネル主さんの寝てる間にwwww』」
「はー!? え、昨日寝る前50万人だったじゃない! うっそマジで……ホントなんだ! うわー!」
エンジェは目を丸くして、スマホを確認している。
「しかも同時接続数も三十万……!? 見たことない数字なんだけど……いや、でも、いいわ! これは良いことよ! 何たって、数は力なんだからね」
エンジェは、ニヤリ笑みを作って、言う。
「なら、すべきことは決まったわ」
その堂々たる物言いに、俺はごくりと唾を飲んだ。リックが「流石だ、ヤンキーガール」と肩をゆする。
エンジェは、俺たち全員に、語り掛けた。
「あたしのスキル、この注目度、挑む先は前人未到のSSS級モンスター討伐! 個人的な話じゃなく、公共的な内容なら、可能性はある」
「『ざわ……ざわ……』『これは……もしや……』『俺たちの財布が狙われている!』」
「えっと、エンジェ?」
俺はまばたきしてエンジェを見る。
エンジェは、そして、呼びかけるのだ。
「ね~えザコブタたち~? 今から~♡ 一口二千円で~♡ ……神殺し、してみない?」