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Ⅲ 子供たち


「……待って、カイン!」



 娘と碩賢メイガスに見送られて病室を出、施設のエントランスに向かって歩き出した私は……。

 呼び止める少女の声に、背後を振り返った。


 廊下の奥には、同じ年頃の一組の少年と少女が、並んで立っている。


 一見したところでは、二人ともどこにでもいる普通の中高生といった感じだが……彼らは、組織によって物心のつく前から技術を叩き込まれてきた、暗殺者の一員だ。


 いや――違う。そうではない……。


 生きるため、暗殺者という過酷な道を強いられた――その不遇な生い立ちに覆い隠されていようとも。

 実際、彼らは暗殺者である前に、見た目通りの……大人になりきれていない子供なのだ。


 暗殺者としての仮面を取り去れば、その内にある心は、今しばらく我ら大人が庇護し、導かなければならない子供なのだ。

 仕事や、オリビアを通しての付き合いで……私はそのことを実感していた。


 そしてそれを思うたび、私は組織の非道に激しい怒りを覚えるのだ。


 私のような人間には、そもそもその資格はなく……。

 そんな感情は義憤と呼ぶのもおこがましい、偽善にすら劣るものだと――そう分かっていながらも。



「……どうした、ライラ?

 私に何か用があるのか?」


 私の問いかけに、ライラ――〈闇夜の天使〉との通り名が組織から与えられている少女は、俯き加減に頷いた。


 ……幼いうちに、非合法な手段によって組織へと集められた彼らは、基本的に識別番号だけで呼ばれるため、記録はもちろん、自らの記憶からも、名前というものを失ってしまう。


 組織の幹部が、多くの場合、悪意に満ちた皮肉をこめて付ける、この忌まわしい刻印のごとき通り名ですら――。

 訓練で好成績を修め、組織にとって『使える』と判断された、ほんの一握りの優秀者でなければ与えられないものだった。


「あの、この間のこと……お礼を言っておきたくて。

 いつもありがとう……カイン」


 そう言って、ライラは頭を下げる。


 ……彼女は、暗殺者としての技量は私でも舌を巻くほどのものだったが、いかんせん精神がそれについてきていなかった。


 一種の死亡恐怖症ネクロフォビアなのか、自他にかかわらず、死というものに対して過敏なほどの恐怖を抱く彼女は、良くも悪くも暗殺者という仕事に適応しきれずにいたのだ。


 ――命じられた任務を成功させるためには、自らの手で他者に死を与えねばならない。

 しかしそれに臆して手を下せなければ、標的自身やその周辺の人物、あるいは任務失敗を咎める組織によって、自らが死を与えられることになる――。


 どちらに転んでも『死』から逃れ得ない板挟みの境遇に磨り減り、壊れてしまいそうになる彼女を見るに見かねて……。

 これまで私は何度か、可能なときには、彼女の『仕事』を肩代わりすることがあった。


 今回彼女が礼を言いたいというのも、そのことだろう。

 だが……それは、礼を言われるようなことではない。


 私は、オリビアにそうするように……そっと、ライラの頭を撫でる。

 彼女ほどの年齢の少女相手には不適当かも知れないが、こうされるのが彼女のお気に入りだったからだ。


「……いいんだ、ライラ。

 今さら――しかも私などが言えることではないのだろうが、お前たちは本来、こんな真似をするべきではないのだから。

 自ら望んで手を血で染めることを選んだ私のような人間が、お前たちの負担を僅かでも減らしてやれるのなら……それに越したことはない」


 ライラは私に撫でられるがまま、猫のように目を細める。


「しかし、それでもまだ、少しでも私に負い目を感じるというのなら……。

 私のいない間、オリビアと仲良くしてやってもらえるか?」


「そんなの……お礼にも何にもならないよ。

 頼まれるまでもないことだもの」


 ……ライラの言うように、実際に娘は、施設の年上の子供たちに可愛がられていた。

 ライラ自身も、本当の姉でもこうはいかないとばかりに、オリビアを溺愛してくれていたが……。

 人殺しという荒んだ仕事に手を染める彼らにとって、その汚れた世界とは一線を画すオリビアは、背負った重苦を忘れて自然に、心穏やかに接することができる、唯一の人間なのかも知れない。


「……そうか。

 だがそうしてくれるなら、私から他に望むことなど何もない」


 心からの思いを告げて、もう一度頭を撫でてやると、ライラは渋々納得してくれた。



「……カイン……もう次の仕事に?」


 ライラに続いて、もう一人の少年がそう私に問いかけてくる。


 ……太古より、その一際美しい輝きから、太陽たる神に取って代わろうとする反逆の天使になぞらえられてきた金星。

 〈宵の明星ウェスペルス〉――と、その呼び名の一つを与えられた彼は、幼いながら組織の幹部が最高傑作とまで評する、葬悉そうしつ教会最高の暗殺者でもある。


 事実、その技量もさることながら、出会った当時の彼は――。

 人としての心を、喪うどころか初めから持ち合わせていないかのような……。

 ある意味、暗殺者としてはこの上なく相応しいであろう、無機的で冷たい気配を纏っていた。


 だが――今は違う。


「……前の仕事を終えたばかりだっていうのに。

 僕らの心配をしてくれるのは嬉しいけど、このままではあなたの方が倒れてしまうじゃないか。

 良ければ、僕が代わりに――」


 そう言って、私を気遣う彼の瞳には……。

 かつては無かった、確かな光が宿っている。


 それは、人が人であるがゆえに持つ、心の写し絵――。

 特別な輝きでも何でもなく、ごく自然で、だからこそ何より尊い光だ。


 当初彼は、組織の指令により、私が裏切らないよう牽制する目的で、オリビアの護衛兼見張りという立場にいた。

 そして、その指令だけを頑なに守り続けていた。


 だが……オリビアとともに過ごす時間が、彼を変えたようだった。


 いつしか彼は、ただただ指令を遂行するだけの人形ではなく、友のように、兄のように……自らの意志をもってオリビアに寄り添い、見守ってくれるようになっていた。

 そしてオリビアもまた、そんな彼に懐き、慕い……頼りにしているようだった。


 『オリビアは僕に命を与えてくれた』――とは本人の談だが、それがいささか大袈裟な物言いだとしても。


 娘が、彼に、人としての心を取り戻す一助を担えたのなら……。

 病でいつ果てるとも知れぬ娘が、その儚い命の中で、誰かの魂を救えたのなら……。


 それは私にとっても喜ばしく、誇らしいことだった。

 ――あの子が生きたことの、紛れもない証なのだから。


「……ありがとう、ウェスペルス。

 だが、私なら大丈夫だ」


「でもカイン、あなたにもしものことがあったりしたら、オリビアは……!」


「分かっている。

 だからこそ……私は死んだりはしない」


 私はウェスペルスの肩に手を置き、頷きかけた。


「だからウェスペルス。私が留守の間、オリビアのことをよろしく頼む。

 ライラとともに――どうかあの子を、護ってやってほしい」


「……分かった。オリビアのことは、何があろうと、僕らが命に代えても必ず護り抜く。

 だからカイン、あなたも――約束してくれ。

 必ず……生きて、無事に帰って来るって」


 その力強い言葉は、何より頼もしかった。

 私は心からの感謝を込めて、彼と約束を交わす。



「もちろんだ、約束する。

 ――ありがとう、ウェスペルス」



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