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Ⅳ 禁忌の花


 ――妙な命令だとは思った。


 だが、そもそも私には拒否する権利などなく……。

 さらに言えば、それを命じた組織上層部の、その異様なまでの熱の入れようたるや――まさに有無を言わせぬほどのものだった。



 『花を一輪、手に入れてこい――』



 その命令に従い私が向かったのは、砂漠の真っただ中――。

 砂に埋もれるようにして人知れずひっそりと佇む、小さな遺跡だった。


 その遺跡の、地下大空洞――。

 そこは、天窓のように開いた穴から、悠久の時を刻むかのごとく物静かに流れ落ちる砂の滝と、細やかな砂粒を宝石さながらに煌めかせる陽光が織りなす……幻想的な美しさを備えた秘境だ。


 そして同時に、その美しさは、生命という存在に汚されていないからだと言わんばかりに――。

 あらゆる生命を拒絶する、不毛の地でもあった。




「……呪われよ……禁忌を望む者……罪深き者よ……」


 足下の石床で血の海に沈む、全身に入れ墨を施した男が、私を見上げて呪詛を吐く。


 彼と、その他は僅か数人からなるその一族は――。

 遥か太古より続く永劫の時を、私が求めてきた花――世界でたった一輪のその花を、略奪者から守護するというただそのためだけに、この地で細々と生きてきたのだという。


 彼らのような『守護者』がいるからこそ、組織は、私をこの地へ遣わしたのだ――。


 実力をもって……の花を奪い取るために。



「……くっ……」


 ……気を抜けば、今にも膝から崩れそうになる。


 自らの流す血の海にいるのは、私も同じだった。

 一番重いのは腹部の傷だが、出血はあらゆる場所に及んでいて、どこがどうとも言えない状態だ。


 これほどに過酷な場所に隠棲し、ただただ守護者としての役目を全うしてきただけあって、彼らの戦闘能力は常軌を逸していた。

 かろうじてとは言え、私がまだ生きているのが不思議なほどに。


 ――いや……このままでは私も、いつまで保つか分からない。

 一刻も早く目的の物を手に入れて、脱出する必要がある……。


 満足に動かない身体に鞭打ち、足を引き摺って……私は空洞の奥を目指した。



「呪われよ……罪深き……者……」



 恐らくは長にあたる人物なのだろう、一族を束ねていた入れ墨の男は、その呪詛を最後に事切れた。


 本来なら、こちらの勝手な理由で命を奪った彼らを、手厚く葬るのが礼儀なのだろうが……今の私にはその余裕すらなかった。


 僅かな間、黙祷だけを捧げて、再び足を踏み出す。



「分かっているとも……。

 私が、罪深いということぐらいは……」



 ――そう、言われるまでもない。


 私は己の願いのためだけに、他者の命を奪い続けてきた咎人だ。

 あらためて呪われるまでもなく、死した後は、地獄で永遠の業火に焼かれ続けることだろう。


 だが――それでも。

 それでもなお、私にはやらなければならないことがある。


 たった一つの命のために――。


 その命が、自らの生の中に、生きたという証を見つけられるように。

 その時間を、ほんの僅かでも引き延ばし、紡ぎ出すために……。



「……あれ……か」



 ……地下大空洞の最奥。

 祭壇か、あるいは――墳墓のごとく、小高く積もった砂の山の上。


 射し込む一条の光の中に……その花は咲いていた。



 この不毛の空間にあって、その可憐な一輪の白い花は、まさしくただ一つの生命だった。



 それは、限りなく神々しく……。

 そしてそれゆえに、どこかしら恐ろしくもあった。


 守護者の一族が、永い時を、あれほどに自らを鍛え上げてまで護り続けてきた花――。

 そこには、想像もつかない尋常ならざる理由があるのだろう。


 いかに知識の無い私とて、この花がただの花でないことぐらいは分かる。

 だが――私に、引き返すという選択肢はないのだ。



 出血のせいで霞む目を必死に見開き、私は白い花に近付き、手を伸ばす。


 そうして……指がまさに、花に触れるその瞬間――。



「――――!」



 私は、ほんの一瞬のことながら――。

 これまで人を殺めることで感じていたものとは別種の……空恐ろしい罪悪感を、唐突に感じた。


 それが、触れてはいけないものに触れてしまったという禁忌への本能的な恐怖なのか。

 あるいは、多量の出血で朦朧とし始めた意識が見せた幻なのか――。



 そのときの私には――どちらとも、判別のしようがなかった。



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