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Ⅴ 千年の約束


 砂漠の遺跡で『花』を手に入れた私は、組織の回収班によって、かろうじて絶命前に施設へ運ばれ……。

 そして目覚めた際、側にいたライラの話によれば、1ヶ月近くもの間、昏睡状態にあったとのことだった。



 しかし――私に、自分の身体を心配している暇などなかった。



 呼び止めるライラを振り払うようにして病室を飛び出すと、一路、娘の――オリビアの病室へ向かう。


 現況を教えてくれたライラの話は、にわかには信じがたいものだったが……。

 しかし理性よりももっと奥深い感覚が、彼女の話はすべて、嘘偽りのない真実だと――そう訴えていたからだ。



『――カイン、オリビアは助かるんだよ!

 決して死ぬことのない、不老不死の命になって――!』



 ライラが目を輝かせて告げた言葉が、頭の中で悪夢のように反響する。


 彼女によれば、私が手に入れてきた花は――。

 〈不凋花アマランス〉と呼ばれる、不老不死の因子となる花なのだという。



 古代より様々な伝説の内に語られ、多くの権力者が探し求めた、幻の花――。


 その不凋花の実在も視野に入れた上で、独自の手法で不老不死を研究していた碩賢メイガス――。

 彼を、葬悉そうしつ教会が強引にでも手元に引き込んだのは、不凋花の隠された場所に、遂に見当を付けたためだったのだ。


 そして、実際に私を使って花を手に入れた組織は――碩賢に、その花で不老不死の研究を完成させるよう強要したという。


 その技術が組織の連中に渡ったりすれば、歪んだ目的に使われるのは間違いない。


 しかし、逆らいようがない組織の強要であろうとも――碩賢にとっては、苦しむ人々を救いたいと、ただその一念で長年に渡って続けてきた研究でもあるのだ。


 実際彼は、私が昏睡状態にあるこの1ヶ月の間、精力的に研究を行い……。

 そしてついに、不凋花を用いて人が不老不死を得る術を見出したという。


 だが、それは――。




「……カイン……」



 オリビアの病室へ向かうため、中庭へと飛び出した私を――。

 強まる嵐の中、待ち受けていたのは。


 オリビアを最も慕い、そしてオリビアに最も慕われる少年――ウェスペルスだった。



「……そこをどいてくれ、ウェスペルス。

 私は、あの子を……オリビアを、不老不死などにさせるわけにはいかないのだ」



 そう……。


 そのまま摂取したのでは、拒絶反応により、人体にとってむしろ猛毒となる不凋花。

 その細胞を安全に、かつ確実に、人体に定着させる方法――。


 それは、数多あまたの人間の生体サンプルの中から、たった一人、拒絶反応なく不凋花との共生に成功した人物――。

 その人物の体内に不凋花そのものを移植し、血液と結合して人体への適合力が高まった不凋花の細胞を、改めて、他の人物に投与するというものだった。


 そして、そのたった一人の適合者は――。



 これこそが、罪深き私への神罰だとでも言うのか。

 他ならない……娘のオリビアだったのだ。



「ウェスペルス。お前が、不老不死の秘術の完成をエサに、幹部連中をおびき寄せ……一気に組織ごと壊滅しようとしていることは、ライラから聞いた。

 そのために、すでに方々へ手を回してあることも。

 そして、私に協力を求めていることも。

 ――組織の壊滅に力を貸すことには、もちろん異存など無い。

 だが……オリビアの件は別だ」


「……どうして? オリビアの状態も聞いただろう?

 この僅かの間に急激に体調が悪化した彼女は、今まさに、生きるか死ぬかの危険な状態だ。

 他の方法なんて探っている暇はない――。

 不凋花を移植して、その無限の生命力に頼るしか、彼女を救う道はないんだ!」



 オリビアがまさに危篤状態にあり、一刻の猶予もないことは当然知っていた。

 そして、それを思えば……心が揺れた。


 ……誰が好き好んで、愛する娘の命を手放したいなどと思うものか。


 そもそもが私は、ただあの子の命可愛さに、殺人者への道を選んだのだ。

 悪魔の誘うまま、魂の堕落を選んだのだ。


 叶うのなら、オリビアを助けてやりたい。

 元気になったあの子に、思うがままの、自由な人生を歩ませてやりたい……。



 だが――だからこそ。

 あの子を想えばこそ……!



 かつて一度は誘惑に屈した、自らの弱い心まで、まとめて握り潰さんと――。

 私は血が滲むほどに、拳を固く握り締めた。



 ――あの子を想えばこそ。

 私は……認めるわけにはいかないのだ……!



「……それでもだ、ウェスペルス」


「どうして……!

 彼女を助けるためにこそ、あなたは今までその手を血に染めてきたんじゃないのか!

 人殺しの罪を背負い続けてきたんじゃないのか!」


 ウェスペルスの喉から、彼の激情そのものの言葉があふれ出る。

 それを体現するように、私たちを包み込む嵐は……一段とその強さを増した。



「――その通りだ。

 だが……私が求めていたのは、永遠の命などではない。


 ……いや、あるいはあの子のためにと、暗殺者になる決意をしたとき――あのときの私なら、どんな形であれ生きていてくれるならと、受け入れたかも知れない。


 だが……今なら分かる。


 真に大切なのは、いざ死を迎えたとき、あの子が自分は生きたと思えるかどうかだ。

 自分の人生に、生きた証を見出せるかどうかなのだ。


 私は、あの子が少しでも多くその機会に触れられるよう、たとえ僅かでも、その命を長らえさせてやりたかった。

 ――そのためにこそ、私は他者の命を犠牲にしていたのだ」



「そんなの……そんなのはあなたの勝手な理屈じゃないか!

 オリビアは生きるべきだ。生きなきゃダメなんだ!

 僕だけじゃない――組織で傷ついた多くの仲間、その魂を救ってきた彼女が!

 僕たちに命を与えてくれた彼女が! このまま死ぬなんて、間違ってる!

 ……彼女のような人こそ、この先も生き続けなきゃいけないんだ!」


「……そうだ。

 私が言っていることは、所詮私の勝手なエゴでしかない。

 だが、それなら……。

 どうやってでも生きて欲しいと願うのも、またエゴではないのか?」


 私の反論に、ウェスペルスの整った眉が、僅かに引きつったように見えた。

 しかしあるいはそれは……この嵐と夜の闇による、錯覚だったのかも知れない。


「そんなことはない……!

 僕らは、オリビア自身の口からはっきりと聞かされたんだ、彼女の意志を!

 『死にたくない』という言葉を!」


「そうか――オリビアがそう言ったのか」


 死に瀕したとき、なり振り構わず生にしがみつこうとするのは生物として当然のことだ。

 そうすることなく、素直に死を受け入れるのは容易いことではない。


 まして幼いオリビアには、それを可能とするだけの経験も、時間も……まるで足りていないのだから。


 もちろん、それが娘の心からの願いだという可能性もある。

 だが、追い詰められた本能から出た、反射的な望みかも知れないということも……ウェスペルスは理解しているのだろう。



 そして――私の願いはきっと、その先……。

 本当に死を迎えるその瞬間、しかも当の本人にしか分からないものなのだ。



「だが、ならばなおさら……。

 なおさら私は、認めるわけにはいかない」


「……なぜ!

 オリビア自身の望みだっていうのに――!」



「――ウェスペルス。生は、死があるからこそ尊いのだ。

 古き花はやがて散り、しかしそれによって、新たな花が咲くことが出来る。


 その摂理を破り、不可分であるはずの死を捨てた先に、本当の生があると思うのか?

 限られた時間だからこそ、精一杯に輝こうとする命の本分を奪って、本当の生と言えると思うのか?


 あの子が受けようとしている永遠の命が、あの子一人のものではなく、多くの人々に広まっていくものである以上、あの子が孤独に苛まれることはないのだろう。


 それは、一見して幸せなものかも知れない。


 だが――あの子と不凋花の下、いずれすべての人が不死になるとするならば……。

 それは即ち、人間そのものが『生きる』ということを捨て去るのと同義ではないのか。

 そしてそれは、原罪など及びもつかない大罪ではないのか。


 娘が、それほどの罪を背負うことになるのを――。

 私は親として、黙って見てはいられない」



「罪……? 罪だって……?

 ただ生きたいと願い、そして生きることが、罪であるはずがない……!

 ましてやそれは、同じく死に怯える人々を救う道でもあるというのに!」



 私たちの主張はどうしようもないほどに、平行線を辿るのみだった。


 お互いに、ただ大切な一人の人間を想ってのことだというのに――いや、あるいは想うがゆえに……なのか。

 決して譲歩のしようのない私たちの望みは、決して結びつこうとはしなかった。



「……分かってはもらえないのか――ウェスペルス」


「それは僕の台詞だ、カイン。

 あくまでも罪と断じ、邪魔をするというのなら――」



 刹那――ウェスペルスの放つ気配が変わった。

 薄ら寒くなるほどの、強烈な殺気がくうに滲む。



「あなたとは戦いたくなんてない。……だけど、あなたとの約束でもある。

 たとえあなた自身が相手でも、僕は――オリビアを護るために、戦う」



 ――私も同じだった。


 常にオリビアを見守り、オリビアから慕われ……。

 そして、生きるために人を殺め続けるという似た境遇にもいる彼を、私は息子か歳の離れた弟のようにすら感じていたのだ。

 ――戦いたいはずがない。



 だが――譲れないのもまた、同じだった。

 オリビアの手術が始まり、取り返しのつかないことになる前に……。

 私はそれを、止めなければならないのだ。



 私たちは互いの目の奥に、その意志を改めて確かめ……示し合わせたように身構える。



 私もウェスペルスも、己の身体こそを何ものにも勝る武器として鍛え、極限まで研ぎ澄ましてきた者同士。

 徒手空拳こそが、最大の武器であり――そして、必殺の意志の具現でもある。



 殺すか、殺されるかしかない空間――。

 お互い、嫌と言うほど慣れているはずのその空気はしかし……。

 少なくとも今回私には、まるで別物と感じられた。


 ――私のうちに潜む、僅かな躊躇いが。

 抑えようとも抑えられず、伝播しているかのように――。







 ――顔を激しく打つ、冷たい雨粒の中に……気付けば、あたたかな雫が混じっていた。



 この感触がなければ、私の意識はもう少し早く、闇に沈んでいたかも知れない。


 霞む視界に映る者に、何とか言葉を投げかけようとするも――。

 弱々しく力無い言葉は、喉の奥から次から次へとあふれ出る血に押し流され……形を取ることなく、泡となって消えていく。



 ――ウェスペルスの渾身の一撃は、寸分違わず私の心臓を貫いていた。

 改めて検分するまでもない、見事なまでの致命傷。


 私の死は――確実だった。



 今さら、死が恐ろしいなどとは言わない。

 その先、地獄で待つ永劫の責め苦も――これまでの罪過の報いと、甘んじて受ける覚悟はある。



 ただ……オリビアのことだけが気がかりだった。



 結局私は、娘が自然の摂理に背くのを、止めることが出来なかったのだ。

 ならばせめて、その永遠の時間が少しでも、心安らかなものであるように――。


 私は最後の力を振り絞り、私を間近で見下ろすウェスペルスに。

 オリビアを頼む、と……言葉になっているかも定かでない言葉で、何度も繰り返した。



「……カイン……っ……!」



 ぼんやり霞む視界の中でのことだ、それはただの錯覚かも知れない。


 だが私には、ウェスペルスがその美しい顔を……。

 これまで見せたことのないような形に、歪めているように見えた。



 ――どうして、お前がそんな顔をする?

 私が死ねば、オリビアはお前が望む通り助かり、永遠の命を得ると言うのに。


 どうして……そんな顔をする?


 それは――それではまるで、泣いているようではないか。

 私を喪うことまで、哀しんでいるようではないか――。



「僕は……っ! 僕はずっと、彼女を護り続けるから……!

 憎まれようと、疎まれようと、見守り続けるから……!

 だから……!

 もしこれが罪なのだとしても、彼女だけに背負わせることはしないから!

 だから――――ッ!」



 唸りを上げて吹き荒ぶ風の中にあっても――。

 私の意識が、もうどうしようもなく薄れていても。


 ウェスペルスの必死の声は……私へと、届いてくれた。



 私を打つ、冷たい雨粒の中には――あたたかな雫が、混じっていた。



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