砂漠の遺跡で『花』を手に入れた私は、組織の回収班によって、かろうじて絶命前に施設へ運ばれ……。
そして目覚めた際、側にいたライラの話によれば、1ヶ月近くもの間、昏睡状態にあったとのことだった。
しかし――私に、自分の身体を心配している暇などなかった。
呼び止めるライラを振り払うようにして病室を飛び出すと、一路、娘の――オリビアの病室へ向かう。
現況を教えてくれたライラの話は、
しかし理性よりももっと奥深い感覚が、彼女の話はすべて、嘘偽りのない真実だと――そう訴えていたからだ。
『――カイン、オリビアは助かるんだよ!
決して死ぬことのない、不老不死の命になって――!』
ライラが目を輝かせて告げた言葉が、頭の中で悪夢のように反響する。
彼女によれば、私が手に入れてきた花は――。
〈
古代より様々な伝説の内に語られ、多くの権力者が探し求めた、幻の花――。
その不凋花の実在も視野に入れた上で、独自の手法で不老不死を研究していた
彼を、
そして、実際に私を使って花を手に入れた組織は――碩賢に、その花で不老不死の研究を完成させるよう強要したという。
その技術が組織の連中に渡ったりすれば、歪んだ目的に使われるのは間違いない。
しかし、逆らいようがない組織の強要であろうとも――碩賢にとっては、苦しむ人々を救いたいと、ただその一念で長年に渡って続けてきた研究でもあるのだ。
実際彼は、私が昏睡状態にあるこの1ヶ月の間、精力的に研究を行い……。
そしてついに、不凋花を用いて人が不老不死を得る術を見出したという。
だが、それは――。
「……カイン……」
オリビアの病室へ向かうため、中庭へと飛び出した私を――。
強まる嵐の中、待ち受けていたのは。
オリビアを最も慕い、そしてオリビアに最も慕われる少年――ウェスペルスだった。
「……そこをどいてくれ、ウェスペルス。
私は、あの子を……オリビアを、不老不死などにさせるわけにはいかないのだ」
そう……。
そのまま摂取したのでは、拒絶反応により、人体にとってむしろ猛毒となる不凋花。
その細胞を安全に、かつ確実に、人体に定着させる方法――。
それは、
その人物の体内に不凋花そのものを移植し、血液と結合して人体への適合力が高まった不凋花の細胞を、改めて、他の人物に投与するというものだった。
そして、そのたった一人の適合者は――。
これこそが、罪深き私への神罰だとでも言うのか。
他ならない……娘のオリビアだったのだ。
「ウェスペルス。お前が、不老不死の秘術の完成をエサに、幹部連中をおびき寄せ……一気に組織ごと壊滅しようとしていることは、ライラから聞いた。
そのために、すでに方々へ手を回してあることも。
そして、私に協力を求めていることも。
――組織の壊滅に力を貸すことには、もちろん異存など無い。
だが……オリビアの件は別だ」
「……どうして? オリビアの状態も聞いただろう?
この僅かの間に急激に体調が悪化した彼女は、今まさに、生きるか死ぬかの危険な状態だ。
他の方法なんて探っている暇はない――。
不凋花を移植して、その無限の生命力に頼るしか、彼女を救う道はないんだ!」
オリビアがまさに危篤状態にあり、一刻の猶予もないことは当然知っていた。
そして、それを思えば……心が揺れた。
……誰が好き好んで、愛する娘の命を手放したいなどと思うものか。
そもそもが私は、ただあの子の命可愛さに、殺人者への道を選んだのだ。
悪魔の誘うまま、魂の堕落を選んだのだ。
叶うのなら、オリビアを助けてやりたい。
元気になったあの子に、思うがままの、自由な人生を歩ませてやりたい……。
だが――だからこそ。
あの子を想えばこそ……!
かつて一度は誘惑に屈した、自らの弱い心まで、まとめて握り潰さんと――。
私は血が滲むほどに、拳を固く握り締めた。
――あの子を想えばこそ。
私は……認めるわけにはいかないのだ……!
「……それでもだ、ウェスペルス」
「どうして……!
彼女を助けるためにこそ、あなたは今までその手を血に染めてきたんじゃないのか!
人殺しの罪を背負い続けてきたんじゃないのか!」
ウェスペルスの喉から、彼の激情そのものの言葉があふれ出る。
それを体現するように、私たちを包み込む嵐は……一段とその強さを増した。
「――その通りだ。
だが……私が求めていたのは、永遠の命などではない。
……いや、あるいはあの子のためにと、暗殺者になる決意をしたとき――あのときの私なら、どんな形であれ生きていてくれるならと、受け入れたかも知れない。
だが……今なら分かる。
真に大切なのは、いざ死を迎えたとき、あの子が自分は生きたと思えるかどうかだ。
自分の人生に、生きた証を見出せるかどうかなのだ。
私は、あの子が少しでも多くその機会に触れられるよう、たとえ僅かでも、その命を長らえさせてやりたかった。
――そのためにこそ、私は他者の命を犠牲にしていたのだ」
「そんなの……そんなのはあなたの勝手な理屈じゃないか!
オリビアは生きるべきだ。生きなきゃダメなんだ!
僕だけじゃない――組織で傷ついた多くの仲間、その魂を救ってきた彼女が!
僕たちに命を与えてくれた彼女が! このまま死ぬなんて、間違ってる!
……彼女のような人こそ、この先も生き続けなきゃいけないんだ!」
「……そうだ。
私が言っていることは、所詮私の勝手なエゴでしかない。
だが、それなら……。
どうやってでも生きて欲しいと願うのも、またエゴではないのか?」
私の反論に、ウェスペルスの整った眉が、僅かに引きつったように見えた。
しかしあるいはそれは……この嵐と夜の闇による、錯覚だったのかも知れない。
「そんなことはない……!
僕らは、オリビア自身の口からはっきりと聞かされたんだ、彼女の意志を!
『死にたくない』という言葉を!」
「そうか――オリビアがそう言ったのか」
死に瀕したとき、
そうすることなく、素直に死を受け入れるのは容易いことではない。
まして幼いオリビアには、それを可能とするだけの経験も、時間も……まるで足りていないのだから。
もちろん、それが娘の心からの願いだという可能性もある。
だが、追い詰められた本能から出た、反射的な望みかも知れないということも……ウェスペルスは理解しているのだろう。
そして――私の願いはきっと、その先……。
本当に死を迎えるその瞬間、しかも当の本人にしか分からないものなのだ。
「だが、ならばなおさら……。
なおさら私は、認めるわけにはいかない」
「……なぜ!
オリビア自身の望みだっていうのに――!」
「――ウェスペルス。生は、死があるからこそ尊いのだ。
古き花はやがて散り、しかしそれによって、新たな花が咲くことが出来る。
その摂理を破り、不可分であるはずの死を捨てた先に、本当の生があると思うのか?
限られた時間だからこそ、精一杯に輝こうとする命の本分を奪って、本当の生と言えると思うのか?
あの子が受けようとしている永遠の命が、あの子一人のものではなく、多くの人々に広まっていくものである以上、あの子が孤独に苛まれることはないのだろう。
それは、一見して幸せなものかも知れない。
だが――あの子と不凋花の下、いずれすべての人が不死になるとするならば……。
それは即ち、人間そのものが『生きる』ということを捨て去るのと同義ではないのか。
そしてそれは、原罪など及びもつかない大罪ではないのか。
娘が、それほどの罪を背負うことになるのを――。
私は親として、黙って見てはいられない」
「罪……? 罪だって……?
ただ生きたいと願い、そして生きることが、罪であるはずがない……!
ましてやそれは、同じく死に怯える人々を救う道でもあるというのに!」
私たちの主張はどうしようもないほどに、平行線を辿るのみだった。
お互いに、ただ大切な一人の人間を想ってのことだというのに――いや、あるいは想うがゆえに……なのか。
決して譲歩のしようのない私たちの望みは、決して結びつこうとはしなかった。
「……分かってはもらえないのか――ウェスペルス」
「それは僕の台詞だ、カイン。
あくまでも罪と断じ、邪魔をするというのなら――」
刹那――ウェスペルスの放つ気配が変わった。
薄ら寒くなるほどの、強烈な殺気が
「あなたとは戦いたくなんてない。……だけど、あなたとの約束でもある。
たとえあなた自身が相手でも、僕は――オリビアを護るために、戦う」
――私も同じだった。
常にオリビアを見守り、オリビアから慕われ……。
そして、生きるために人を殺め続けるという似た境遇にもいる彼を、私は息子か歳の離れた弟のようにすら感じていたのだ。
――戦いたいはずがない。
だが――譲れないのもまた、同じだった。
オリビアの手術が始まり、取り返しのつかないことになる前に……。
私はそれを、止めなければならないのだ。
私たちは互いの目の奥に、その意志を改めて確かめ……示し合わせたように身構える。
私もウェスペルスも、己の身体こそを何ものにも勝る武器として鍛え、極限まで研ぎ澄ましてきた者同士。
徒手空拳こそが、最大の武器であり――そして、必殺の意志の具現でもある。
殺すか、殺されるかしかない空間――。
お互い、嫌と言うほど慣れているはずのその空気はしかし……。
少なくとも今回私には、まるで別物と感じられた。
――私のうちに潜む、僅かな躊躇いが。
抑えようとも抑えられず、伝播しているかのように――。
――顔を激しく打つ、冷たい雨粒の中に……気付けば、あたたかな雫が混じっていた。
この感触がなければ、私の意識はもう少し早く、闇に沈んでいたかも知れない。
霞む視界に映る者に、何とか言葉を投げかけようとするも――。
弱々しく力無い言葉は、喉の奥から次から次へとあふれ出る血に押し流され……形を取ることなく、泡となって消えていく。
――ウェスペルスの渾身の一撃は、寸分違わず私の心臓を貫いていた。
改めて検分するまでもない、見事なまでの致命傷。
私の死は――確実だった。
今さら、死が恐ろしいなどとは言わない。
その先、地獄で待つ永劫の責め苦も――これまでの罪過の報いと、甘んじて受ける覚悟はある。
ただ……オリビアのことだけが気がかりだった。
結局私は、娘が自然の摂理に背くのを、止めることが出来なかったのだ。
ならばせめて、その永遠の時間が少しでも、心安らかなものであるように――。
私は最後の力を振り絞り、私を間近で見下ろすウェスペルスに。
オリビアを頼む、と……言葉になっているかも定かでない言葉で、何度も繰り返した。
「……カイン……っ……!」
ぼんやり霞む視界の中でのことだ、それはただの錯覚かも知れない。
だが私には、ウェスペルスがその美しい顔を……。
これまで見せたことのないような形に、歪めているように見えた。
――どうして、お前がそんな顔をする?
私が死ねば、オリビアはお前が望む通り助かり、永遠の命を得ると言うのに。
どうして……そんな顔をする?
それは――それではまるで、泣いているようではないか。
私を喪うことまで、哀しんでいるようではないか――。
「僕は……っ! 僕はずっと、彼女を護り続けるから……!
憎まれようと、疎まれようと、見守り続けるから……!
だから……!
もしこれが罪なのだとしても、彼女だけに背負わせることはしないから!
だから――――ッ!」
唸りを上げて吹き荒ぶ風の中にあっても――。
私の意識が、もうどうしようもなく薄れていても。
ウェスペルスの必死の声は……私へと、届いてくれた。
私を打つ、冷たい雨粒の中には――あたたかな雫が、混じっていた。