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目覚めの時

 ロイの身体を乗っ取った悪魔クレヴォーは、また広場にいた。先ほどの魔法で泥まみれになった服はいつの間にか綺麗になっている。意外と綺麗好きな悪魔のようだ。


「魔法で汚れを落としたのかい?」


 クオ・ヴァディスが友人にでも話しかけるような気安さで問いかける。悪魔は質問に嘘を吐けないだけで答えないという選択肢もあるのだが、どういうわけか質問すると必ず答えてくれるというのが悪魔と対峙した者達の証言で明らかになった性質だ。これが神の定めたルールなのか、それとは別の理由があるのかは分かっていない。


「ああそうさ。どうやら俺様の正体が分かっているみたいだね」


 クレヴォーは剣を構えることもなくクオ・ヴァディスに顔を向けて答えた。悪魔と会話することに成功すれば、しばらくは襲ってこない。とにかく質問攻めにして情報を聞き出すのだが、さすがに悪魔もそう簡単に重要な情報を教えてくれはしない。嘘は吐かないが正直に何でも話すわけではない悪魔を相手に、正解を引き出す。これは一種の頭脳戦なのだ。


「アニキは生きてるのか?」


 クオ・ヴァディスが次の質問をする前にルドルフが問いかけた。これは話し合いで決めた流れだ。まずロイを救出できる可能性があるのかを確かめる。その結果によって取るべき行動は変わってくるのだ。非情なことを言えば、ロイはもう死んでいて助けることができない方が、クレヴォーを追い払う難易度は下がる。だが、人情として助けられるなら助けるために無茶なことでもしたくなるし、悪魔もそういう人間の感情についてはよく理解している。


「この身体のことかい? 生きてるよ。俺様の能力は死体を操るものじゃないからね」


 ロイは生きている。この言葉に希望を見出しそうになるルドルフだが、これだけではまだ不十分だ。気持ちを引き締めてクレヴォーを睨みつけた。


「単刀直入に聞くが、ロイの身体からお前を追い払って救う方法はあるか?」


 質問に噓を吐けないのだから、曖昧な質問をするより直接的に聞いた方がいい。返答にある違和感を探っていくのだ。


「あるよ、この身体を死なせずに俺様を殺せばいい」


 実に分かりやすい答えを述べるクレヴォーだが、この答えには三人とも顔を歪めた。ロイの身体とクレヴォーを離さなくては、ロイを死なせずにクレヴォーを殺すことはできないだろう。それ以前に人間がどうやって悪魔を殺すというのか。


「……人間が悪魔を殺すことは可能なのですか?」


 インソニアが尋ねる。重要な質問だ。これまでの人間史で悪魔を退けた話は幾つもあるが、悪魔の命を奪ったという情報は一切存在しない。


「キャーハハハ! 悪魔を殺した人間を知っているのかい? 人間の攻撃は悪魔に通用しないのさ。疑うなら試しにこの俺様をその剣や斧で斬ってみるといい。魔法で攻撃してもいいぜ」


「疑うわけがないだろう。お前は嘘を吐けないと聞いているぞ。それとも嘘を吐けるのか?」


「ふふん、無理だね。あのクソジジイが悪魔全てに呪いをかけた。シャバに出るのも人間頼りだ。まったく困ったもんだねエ」


 予想以上に厄介な現実を知ってしまった。悪魔に人間の攻撃が通用しないという事態は考えもしなかったが、実際に特定の攻撃が効かないモンスターは少なくない。実例から考えて、この通用しないという言葉の意味は一切ダメージを与えられないという意味に捉えるべきだろう。


「それじゃあどうしようもねえじゃねえか!」


 ルドルフが叫び声を上げ、戦斧を地面に向けて振り下ろした。刃が土に刺し込まれる。


「ククク……残念だねエ」


 クレヴォーがルドルフを嘲るように笑う。ルドルフは怒りに満ちた顔を向け、インソニアが絶望的な表情をしながら魔法の準備をする。被害者をどうやら救えないらしいことに対する失望と、既に頭に血が上っているルドルフを止めなければならない苦痛により。


「……なぜお前さんは女神の御業である人間の武技を使うんだ?」


 冷静を保つクオ・ヴァディスが違和感を覚えていたことについて質問する。


「そりゃあ、それが俺様の能力だからさ」


「違う。人間から武技を奪い使うのかってことさ」


 不思議に思っていたことだ。人間の使う武技は人間自身の力ではなく、授けた女神の力だ。だから悪魔が武技を使うためには大きな代償を必要とするわけだが、そこまでして女神の力を使う動機が分からない。それに、こいつは魔法も使えるのだ。武技に頼らなくても戦えるはず。するとクレヴォーは肩をすくめふざけた口調で答える。


「そりゃあ、俺様が使いたいからさ。光と闇が合わさると強そうだろう?」


「……!」


 ここだ。クオ・ヴァディスは確信した。この返答、明らかに話をはぐらかして本当の理由を隠している。既にクオ・ヴァディスの頭の中では仮説が生まれていたが、もしこれが合っていたら……。悪魔を殺す方法が分かっても、その手段を持ち合わせている者がここにはいないのだ。こうなれば、一旦この情報を持ち帰って準備を整え、再戦を目指すしかない。クオ・ヴァディスは最後に決定的な質問を投げかけようとする。「悪魔に悪魔の力は通用するのか?」と。だが、それを口にする前に事態が動いてしまった。


「ふっざけんなああああ!」


 ルドルフが吠える。


「何が光と闇だ! そんなことのためにアニキを捕まえたのか! ちくしょう、あの魔術師め! アニキをおもちゃにしやがって! ぶっ殺してやる! ぶっ殺してやる! ぶっ殺してやるぞおおおおお!!」


 怒りに任せて戦斧を振り上げ、また振り下ろし、地面を繰り返し斬りつける。本当は目の前の悪魔に殴りかかりたいが、兄の身体だから攻撃できない。効かないと分かっていても、ロイの身体に攻撃を仕掛けることなど、できるわけがない。どんなに怒りで我を忘れようとも、できるわけがないのだ。だからインソニアも彼を拘束するべきか決めかねていた。


 その時である。


――目覚めなさい、破魔の狼よ。


 ルドルフの脳裏に聞き覚えのない女性の声が届いた。初めて聞く声だが、不思議とそれが誰の声なのか分かってしまう。本能が告げているように感じる。これは、女神の呼びかけだと。

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