壮太は、母の葵と一緒に寝た記憶がない。
朝起きると疲れ切った顔をした葵が、壮太の目の前にいる。そして、葵は笑顔になって壮太にこう言うのだ。
「ただいま。壮太」
壮太も、笑顔で葵にこう返す。
「ただいま! お母さん」
「壮太! ありがとう!」
壮太がそう言うと、葵は力いっぱい壮太を抱きしめてくれた。
壮太は、それがとても嬉しかった。
同時に、自分をしっかりと抱きしめる葵の細い腕を見て罪悪感も覚えていた。
「ずっと、小さな頃から母は俺のために働いていました。でも、子持ちのΩだからロクな仕事も見つからない。戸籍上父親である人は、そんな俺たちに手を差し伸べてくれたことすらありません」
折り畳み式のテーブルに座る要は、向かいに座る壮太の言葉に耳を傾けていた。
食事の後片付けが終わると、壮太は少しずつ自分の身の上を話してくれた。
ここに来るまでも、彼は母子家庭であることを話してくれていた。だが、どうも父親で当たる人物は、酷いやり方で壮太と母である葵を捨てたらしいのだ。
「母には、父の内縁の妻になる前に将来を誓った男性がいたことも聞いています。でも、その男性と母の仲を父は無理やり引き裂いたみたいなんです。母はその辺りのことを詳しく俺には、教えてくれませんでしたが……」
「君のお父さんは、αなの?」
要の問いかけに、壮太は弱々しく頷く。やはりかと、要は深いため息をついていた。
αとΩの関係性の中には運命の番という概念がある。運命の番であるαとΩは互いに強く惹かれ合い愛し合うというのだ。
だがそれは、運命ではなく自分の保有しない遺伝子に本能的に反応するαとΩの習性であることが科学的に実証されている。
けれど、迷信ともいえるその運命の番という概念に振り回されるαやΩもいるのだ。
相手を運命の番だと強く信じたαが、番だと思っているΩを無理やり襲う事件も世間では問題視されている。
壮太の母親は、運命の番と言う妄想にとりつかれたαに人生を滅茶苦茶にされた可能性が高い。そして、その結果としてこの世に産み落とされたのが壮太なのだ。
壮太は俯き、泣きそうな声で言葉を続ける。
「俺は、たぶん望まれて生まれた子じゃない。それでも母は、俺を懸命に育ててくれました。でも、子持ちのΩだからってまともなところじゃ雇ってもれなくて、夜の仕事もしてたみたいです」
そっと顔を上げ、壮太は言葉を締めくくる。
「母は長年の無理がたたって今は入院中です。医者の話だと体の疲弊より、精神的なストレスの方が強いみたいでしばらくは入院が必要だって……」
ぽろぽろと壮太の目から涙がこぼれ落ちる。壮太は涙を拭い、じっと要を見つめた。
「もう、無理に話さなくていい……」
要が優しくそう告げると、壮太はまた涙をこぼし始める。彼は俯き、絞り出すような声で自分の思いを吐き出し始めた。
「俺、母さんが泣いたところ見たことがないんです。いつも笑顔で、明るくて……。それでも、俺は無理してるの知ってたのに、何もできなくて……」
「壮太君」
「でも、入院したときにはじめて俺に泣いて謝ったんです。迷惑かけてごめんねって。俺、何も言えなくて……。母さんに何もしてあげられないのが悔しくて!」
「もういい、話さなくていい」
泣きじゃくる壮太を要が宥める。壮太は不思議そうに要を見つめていた。そんな壮太の側へと要は近づいてくる。
そして、優しく壮太を抱きしめたのだ。
「もう、いいんだよ。君は一生懸命、頑張ってるじゃないか。だから、もうこれ以上、頑張らなくていい。いいんだよ」
「要さん……」
「もういい。話さなくていい。ありがとう……」
「俺、ずっと母さんがいなくて不安で、でも……。頑張っても、頑張っても、何にも解決できなくて……うう……」
「うん。だから、もうこれ以上頑張るのはやめよう。俺も、君の力になるから」
要の腕の中で、壮太は子供のように泣き続ける。そんな壮太を要はずっと抱きしめていた。
「ごめんなさい。もう……大丈夫です……」
ひとしきり泣いた後、壮太は要にそう告げた。
「そう。もう、大丈夫だね」
要は、壮太の体から腕を放す。壮太は鼻をすすりながら、縋るような眼差しを要に送るばかりだ。
「ごめんなさい……。また、要さんに迷惑かけた」
「迷惑っていつかけたの?」
「その……先輩たちから助けてもらったり、怪我、治してもらったり、食事奢ってもらったり……。要さんにはいろんなことしてもらってばかりです。会ったばっかりの人なのに……」
壮太の言葉に要は苦笑していた。
「それは、君が俺に似ているせいかもしれないね。だから、世話を焼きたくなるのかも」
「要さんと俺が似てるって、どういうことですか?」
少しばかり驚いた様子の壮太に、要は微笑んでいた。
「今は言いたくないな。身の上の不幸話をし合ってると、もっと気分が暗くなっちゃうもの」
「そうですね…‥‥」
要の言葉に、壮太は笑う。その壮太の笑顔を見て、要はやっと安堵することができたのだった。