壮太の母親は、公園から1時間ほど歩いた場所にある総合病院に入院していた。
さすがに徒歩では遠いので、2人はタクシーを使って壮太の母である葵の元へと向かう。
タクシー代を支払おうとした壮太を制止して、要が代わりにタクシー代を支払うと彼はとても機嫌の悪そうな顔をした。
タクシーが去ると同時に、壮太は要を睨みつけてくる。
「別に、俺だってタクシー代ぐらい払えますよ」
「いやいや、ここは大人が払うべきでしょう?」
得意げに微笑むと壮太が悔しそうに顔を逸らしてくる。ちょっと大人げなかったかなと思いつつも、これで壮太の暮らしが少しでも楽になるのならと要は思っていた。
でも、病院に来て要はそれよりも重い悩みを持つことになる。
「君のお母さんは、俺の提案をどう思ってるのかな?」
不安になって、壮太に尋ねてみる。すると壮太は意外なことを言って来た。
「それは、会わないとわからないって母も言ってました。まずは、要さんを連れて来いって。話はそれからだそうです」
「ああ、そうなんだ……」
その言葉を聞いて、要は少だけほっとする。
どうやら、壮太の母親は人の話を頭ごなしに否定するような人物ではなさそうだ。でも、そう考えると余計に緊張してくる。
「うーん。君のお母さんに気に入られなかったらどうしよう」
「母は、人を変な風に嫌ったりする人じゃありませんよ」
ぴしゃりと壮太に窘められる。不機嫌そうに壮太は唇を尖らせ要のことを睨みつけてきた。
「ごめん……」
「ほら、行きましょう。母が待ってます」
「ああ……」
大きな病院の入り口をくぐって、2人は人々が並ぶ受付へと並ぶ。ちなみに要たちが並んでいるのはΩ専用の病棟の受付窓口だ。
Ωとαが同じ棟に入院となると、ΩのフェロモンにやられたαがΩを襲う可能性も出てくる。それを考慮してΩだけ別の病棟に入院することになっているらしい。
別にこの国では珍しくもない対応だし、要も壮太もそれに慣れきっている。けれど、受付に並ぶ人々を見つめる人たちは明らかに侮蔑や奇異な視線をこちらへと向けていた。
中には壮太の首についた電子ロック式の首輪を見て、ヒソヒソと話し合う人々までいる。
「なんだよ、これ……」
「ああ、Ωの入院患者はともかく、見舞客は珍しいですからね。それで、あんな感じになるんです」
要の言葉に、壮太は困ったような表情を浮かべる。壮太にとって、電子ロック式の首輪は自分を無理やり番にしようとするαから守る大切なものだ。
同時にその首輪は、彼がΩであることを周囲に知らせてしまう。逆に危ないのではないかと要は考えることすらある。
「仕方ないのかもしれないけど、イヤだね。なんだか……」
「それが当たり前ですから。俺たちにとっては……」
壮太の顔はどこか悲しげだ。その顔を見て、要は今さらながらに自覚してしまう。
壮太と自分はあまりにも生きている世界が違い過ぎる。その差を同居することで埋められることができるのだろうか。
考えることすらなかったβとΩの違いに、要は今さらながらに直面していた。βである自分は、Ωである壮太をどこまで理解して受け入れることができるだろうか。
その前に、ふとしたはずみで一線を越えてしまうことだってあり得るかもしれない。それだけは絶対にしてはならないことだ。
そんなことも含めて、自分はΩである壮太を向き合わなければならない。それが、自分にできるのだろうか。
「要さん。いい?」
「あ、ごめん!」
壮太に話しかけられて、我に返る。気がつくと、自分たちは列の最前線にいて、壮太が受付で手続きをすませようとしているところだった。
「もう、書類は書いたんで。あとは病棟に行くだけです」
「あ、うん……」
壮太に手を掴まれ、要は一瞬ドキッとしてしまう。年下で、しかも同性の壮太を意識してしまうなんてどうかしてる。
そう思いつつも要は、ぎゅっと壮太の手を握り返していた。その温かさに顔が綻んでしまう。
「要さん……」
壮太が立ち止まり、要を見つめてくる。
「大丈夫。俺は、ずっと傍にいるから」
「はぁ……」
要の言葉に、壮太の耳が少しばかり赤くなる。彼はぷいっと要から顔を逸らし要の前を歩く。
「そういうの……あんまり言わない方がいいですよ……。男同士の恋愛だって今じゃ普通なんだから……」
「そうだね。でも、そう考えると手も繋ぐのはどうかな?」
「これはいいんです……」
頬を赤らめた顔を要に向け壮太は小さな声でポツリと告げる。
「要さんがすぐにぼうっとして、危ないから……」
「はは…‥。大丈夫だよ」
要は苦笑していた。なんだかんだ言って、壮太はまだ誰かに甘えたい年頃なのかもしれない。それが自分だったとしても、とことん付き合おう。
そう、要は思った。
Ω専用の病棟にやってきた2人は二階の個室で足を止める。その個室の横には『中島葵』と書かれたネームプレートが貼られていた。
「個室に1人で?」
「Ωの病棟は基本的にみんなそうです。トラブルが起きないようにって……」
壮太の顔はどこか浮かない。だが、壮太は思い直したように要を見つめる。
壮太は要を睨みつけて、こう言い放った。
「母さん。美人だけど惚れないでくださいね」
「はい?」
「だから、母さん美人だけど一目惚れとかしないでくださいよ!」
「はぁ……」
今年で要は25になるが、壮太の母親はどう考えても40は超えている。年が離れすぎていて、さすがに恋愛対象にはならない。
「まあ要さんなら、大丈夫だと思うけど」
こほんと咳払いをして、壮太が引き戸を開ける。
「母さん。入るよ」
「なに、通路でコソコソ話してて、要さんと何か企んでた?」
凛と鈴を想わせる美しい声がする。
その声の持ち主は、ベッドにから嬢半身を起こし要たちに笑顔を送っていた。細い体に病的に白い肌。そして、人の良さそうな相貌には優しげな微笑み。その微笑みに吸い込まれそうなほど、要はその女性をじっと凝視していた。
「ほら、一目惚れしない……」
壮太に耳元で囁かれ、はっと要は我に返る。
どこか中性的な見た目の壮太の母親は、にっこりと要に笑顔を向けてくれた。
「どうも、この度は息子がとてもお世話になっているようで」
「いえ、俺も壮太君にはいつも助けてもらってます……」
きちんと話すつもりでいたのに、いざとなると言葉が出てこない。なにを話していいのか考えても、頭が働いてくれず要は焦る。
すると、葵が壮太へと顔を向けた。
「壮太。少し、要さんと2人きりで話をさせてくれない」
「え、でも……」
「すぐ終わるわ。30分ぐらいで戻って来て」
「わかった……。要さん母さんに変なことしないでよ!」
要に釘を刺して、壮太は部屋から出ていく。彼が引き戸を開けて出ていくのを確認すると、葵は要に微笑んだ。
「こうした方が、話しやすいと思いまして」
「あ、ありがとうございます……」
壮太には悪いが、葵の気遣いに要は感心していた。
「あの、私たちどこかでお会いしてませんか?」
はい?」
葵が発した言葉に要は戸惑ってしまう。それでも葵はじっと要を見つめ、悲しげに目を伏せた。
「昔会った方と、あなたが瓜二つで……。いったい、どういうことでしょうか?」
葵の言葉から、なんとなくだがその人が葵にとって大切な人物だということがわかある。
もしかして、そう思いながらも要はなにも言うことができなかった。