「俺とどこかで会ったことがある……。それは、ないと思いますが……」
「すみません。他人の空似ですね。でも、こんなことがあるなんて……」
壮太と共に彼の母である葵の見舞いにやってきた要は、彼女の言葉に困惑していた。それどころか、彼女は懐かしそうな眼差しすら要に向けてくる。
要には、彼女の言う人物に心当たりがあった。
要は父親似で、若作りな父親とはたまに年の離れた兄弟と間違われることがある。まさかと思いながらも、要は父の存在を葵に告げることができない。
そして葵は、こんな話を要にし始めた。
「昔、私には人生を共に過ごそうと約束した方がいました。その方にあなたがとても似ているのです。瓜二つといってもいい……」
どきりと要の心臓が高鳴る。これ以上は聞いてはダメと思いながらも、それをやめられない。
呼吸が荒くなるのを感じながら、要は葵の言葉を待つ。
「あの、顔色が悪いですが、大丈夫ですか?」
「いえ、平気です。続けてください」
「はい……。でも私はその方を捨てて、壮太の父を選びました。そうしなければ、あの人を救うことができなかったから……」
「それは、脅されたということですか?」
要の言葉に葵は静かにうなずいた。要は大きくため息をついて、そっと床を見つめる。
本能と嫉妬に狂ったαが、Ωを手に入れるために犯罪行為ギリギリのことをしでかすことは社会問題にすらなっている。それほどまでに、彼らがΩを求める本能は強いものなのだ。
「でも、あの人は生まれた子供がΩだと知った瞬間に私を捨てました。αのエリートの家系にΩが生まれることは珍しいことではありません。でも、あの人はΩではなく強いαの跡取りを望んでいた。裏切られたと、その日のうちに家を追い出されました」
「そんな、酷い……」
「籍も入れてもらえず、私は壮太を1人で産んで育てる決意をしました。それでこの様です。あの子になんて詫びていいか……」
「葵さん……」
泣きそうな表情をした葵の顔が要に向けられる。葵はじっと要を見つめながら言葉をつづけた。
「まさか、初恋のあの人に似たあなたが、壮太を救ってくれるなんて信じられません。まるで、なにか不思議な巡り合わせが私たちを引き合わせているよう」
「巡り合わせ……」
お前にも運命の相手がきっと現れる。そういった父の言葉を要は思い出していた。その言葉が本当だとすれば、もしかしたら父の運命の相手は目の前にいる人かもしれない。
そう考えることしか、今の要にはできなかった。
「あなたは、壮太をどう思いますか?」
真摯な視線を要に向け、葵が問いかけてくる。
「とても、いい子だと思います。頑張り屋さんだし、なんとかして夢を叶える手伝いをしたい。俺はそう思います」
「違います」
葵がかぶりを振る。
「あなたにとって、壮太はどんな存在ですか?」
「それは……」
その言葉に、要は何も答えられない。
初めて会った頃、要にとって壮太は年の離れた弟のような存在だった。過去の自分と境遇が似ていることもあり、彼を助けたいと思ったのも事実だ。
だからこそ連絡先を交換したし、彼の相談にも積極的に乗って来た。
でも、壮太の家に訪れたあの瞬間———。
泣きながら自身の身の上を語る壮太を抱きしめたあの瞬間に、自分の中で何かが弾けた。
この青年を守れるのは自分しかいない。だから、彼をなんとしても守りたい。
そんな庇護欲にも似た感情が、要の中で生まれたのだ。だからこそ、要は壮太を抱きしめたし、共に住もうと口にしていたのだ。
でも、その感情が何なのか要には理解できない。
友人や弟としてというよりも、まるでそれは———。
「愛してはいけないと思っています。そこに踏み込んだら彼の人生を滅茶苦茶にしてしまうから」
思うことを要は葵に向けて口にする。じっと葵を見つめ、要は言葉を続ける。
「でも、彼を守りたいとは思います。だからこそ、同居を提案しました。彼に何かをするつもりはありません。ただ、彼の夢を俺は応援したい」
要の眼に真剣さが宿る。その眼を葵はじっと見つめていた。
そうしてしばらくたったころ、葵が口を開いた。
「壮太をお願いします」
頭を下げ、葵は要にそう告げる。そして顔を上げて、要に微笑んだのだ。
「あの子のために、ここまでして頂いてありがとうございます。でも、あなたの気持ちはずっと胸に秘めたままで……」
「わかってます。これが何なのか俺にはわからない。でも、その気持ちを彼にぶつけるつもりはありません……」
葵の言葉に要は静かに俯いていた。
壮太に対する気持ちがなんなのか、要まったく見当がつかない。けれど、たった1つ言えるのは壮太のことが何よりも大切だということだ。
この感情がどうして生まれたのか要にはわからない。でも、葵の言うように巡り合わせのせいのかもしれないとふと思った。
「母さんとなに話してたんですか?」
病院の待合室で、壮太と要は飲み物を飲みながら話し合っていた。
壮太はコーラ。要は大好きなブラックコーヒーだ。タクシーがやってくるまで、2人は待合室でこうやって待つことにしたのだ。
ブラックコーヒーを飲みながら、要は壮太に尋ねる。
「ねえ、ここで待ってなくても葵さんのところで、タクシー来るの待っててもよくない?」
すると、壮太はじっと要を見つめた。
「いや、要さんがなんかしんどそうだったから……。また聞くけど、母さんとなに話してたの?」
要は正面を向いて、コーヒーを飲みながら告げる。
「君も聞かせてくれた彼女の身の上話と、俺の気持ちの話を少しね」
「気持ち?」
壮太は怪訝そうな顔をする。要は壮太に微笑み送り、言葉を続けた。
「君が大切な存在ってこと。本当に同居を決心してくれてありがとう」
要の言葉に、壮太の顔がぽっと赤くなる。
「いや、そりゃ母さんが一緒に暮らした方がいいっていうし……」
視線をさ迷わせながら壮太は要にそう告げる。要はそんな壮太を見て苦笑していた。