それから数時間後、2人の姿は汚くなりかけている要のマンションにあった。
「やっぱり、元に戻りかけてる」
そこら中に散らばる服や本を見つめ壮太はハァっとため息をつく。床は何日も掃除機をかけていないせいでほこりまみれ。壮太は靴下につくほこりを見て、「あんなにキレイにしたのに」と唖然とした様子で呟いていた。
「ごめん。仕事が忙しくて……」
「それはわかりますけど、普段の生活の仕方で部屋はある程度キレイに維持できると思いますよ」
苦笑する要に、壮太は呆れた様子で告げる。
そして、彼の目の前で立ったまま器用にTシャツを畳み始めたのだ。
「え、凄い! 立ったまま服って畳めるの⁉」
「まずは、俺の荷物を片付ける前に要さんの部屋を片付けましょう。でないと、届いた俺の荷物が行方不明になりそうです」
壮太はテキパキと周囲の服を拾い、畳んでいく。その畳んだ服を壮太は書類や食器が並ぶテーブルの隅に積み重ねていくのだ。
「このテーブルも片付けないと。何日も食器を放置しとくと虫も湧きますからね」
「たしかに、コバエが凄いかも……」
「ゴキブリもでそうなんで、すぐに撤去しますね」
周囲の服を畳み終え、壮太はテーブルに置かれた食器を片付け始める。けれどキッチンに向かった壮太は悲鳴に近い声を上げた。
「ちょ、なんですかこれ……。こっちもいっぱいなんですけど……」
要は急いでキッチンに向かった。キッチンには、食器が山積みになった流しを見て唖然としている壮太がいる。
「ごめん。時間がなくて……」
「まずは、流しから片づけますね。手伝ってください」
有無を言わせず、壮太は要に凛とした声を発していた。
「はい……。わかりました」
要はその言葉に大人しく従うことにしたのだ。
大掃除から数時間後。
「おお! なんて美しいんだ!」
「普通にキレイにすれば、こんなもんですよ」
要の部屋は、数時間前とは比べ物にならないほどキレイになっていた。
その辺に脱ぎ散らかされていた服はキレイに畳まれタンスにしまわれている。散乱していた食器流しから撤去され、食器棚へと収まってくれた。
また、いらない書類は処分。雑然とその辺に放り投げてあった本も、今はキレイに整理され本棚に収納されている。
「まるで、違う人の家に来たみたいだ」
「いや、要さんもちゃんと掃除も家事も出来るんだから休みの日にキレイにしましょうよ」
「それが、休みの日も色々と忙しくてね」
「あ……」
苦笑する要の言葉に壮太が黙る。
壮太は不安そうに要を見つめ、こう切り返した。
「あの……。俺のせいですか?」
要はそんな壮太に笑っていた。
「違うよ。来週の仕事の準備とか電話で生徒の悩みを聞いてあげてたりすると、すぐに1日が終わっちゃうんだ。休みはそれでほとんど潰れちゃうな」
「たしか、塾も契約社員扱いなんですよね」
「うん。そう。正社員ではないね。恥ずかしながら、大学まで出てこの有様だよ」
「そんなに頑張っても、正社員になれないんですね」
「教育の世界はαの独占場所だから……」
壮太の言葉に要は苦虫を嚙みつぶしたような顔をしていた。
教育の世界はまさしくαたちの独擅場だ。教育は国の将来を決める場ともいえる。そこにαたちは、βやΩを入り込ませようとはしない。
要も大学を出て教員免許を持っているが、それでもなれたのは塾講師の契約社員という職だ。しかも初めはバイトで、去年ようやくバイトから契約社員に昇格することができた。
「だからかな、君を応援したくなるのは。君にとっては迷惑な話かもしれないけどね」
「要さん」
要の言葉に、壮太の顔が曇る。壮太は、じっと要を見つめながら口を開いた。
「そんなに大変なのにどうしてこんなによくしてくれるんですか。部屋まで用意してもらって……」
「君のお母さんにも同じことを言われたよ。どうして、息子にそこまでしてくれるんですかって」
「母がそんなことを……」
「壮太君。俺はね、αが嫌いなのかもしれない」
「え?」
壮太の顔が困惑に彩られる。要は壮太に体を向けふうっと息を吐いた。
「俺の父親は、母と結婚する前に人生を共にしようと約束した人がいたんだ。でも、その人はαに寝取られた挙句の果てに、子供を産んだらすぐに捨てられた。酷い話だろ」
「その人は、いまどこに?」
「わからない。父はその人の子を引き取って育てようとしたらしい。でも、その人はそれを拒んでどこかにいってしまった。その頃にはもう父には新しい相手がいたからね。そして、その相手との間に子供まで儲けていたんだ。それが俺」
父は要にその人は運命の人だったと語ってくれたことがある。要の父はβだ。だが、Ωであるその人との関係に、父は目に見えない縁のようなものを感じていたという。
「その人からしたら、産んだばかりの我が子を父にとられたくなかったのかもしれないな。父にはもう新しい相手がいて、その人が必然的にその子を育てることになる。そんな酷い話はっきり言ってないよ」
「今でも、要さんのお父さんはその人を探してるんですか?」
壮太の言葉に、要は目を瞑って頷く。
「ああ、ずっと探してる。なにせ、その人は母さんの姉にあたる人だから。ずっとずっと父と2人で、母も俺の伯母さんにあたる人を探し続けてるよ」
「そんなことって……」
要の話に壮太は打ちひしがれているようだった。
彼にはαの友人もいる。だからこそ要の話は余計に重く聞こえるのかもしれない。
「もちろん、君の友人のようにいいαが大部分なのは知ってる。でも、αの中にはその権力を利用して好き勝手してるヤツラもいるんだ。父さんの恋人はその犠牲者だった。そして俺は、そんな彼女と君が少し似ている気がしてる」
「え、俺が?」
「うん。Ωってだけで偏見にさらされて、ろくな職にも就けない。そして君は貧しさに苦しんで、医者になれないと周囲に言われることすらある。そんなこと許されるのかな。」
「許されていいわけがないです」
壮太が真剣な表情を浮かべる。彼は要にこう返していた。
「たしかに俺はΩでそのせいで偏見にもさらされてる。だからって、それに負けて自分の夢すらも諦めるようなことはしません。絶対に医者になります」
「そうだよね。Ωだからって不幸になっていいわけじゃない。俺は、君を幸せにしたい」
微笑む要の言葉に、壮太の顔が真っ赤になる。
「すみません! そろそろ昼飯にしましょう! 台所、借りますね」
ガバリと壮太は立ち上がり、足早にキッチンへと去っていく。その逃げるような仕草を要は怪訝そうに見つめていた。
「俺、何かいけないこと言っちゃった」
ぽつりと要は呟く。
だが、その呟きに返事をくれる者はいない。