壮太がキッチンに籠って数十分。要はキッチンから香ばしい臭いが漂っているのを感じていた。
「この匂いはトマト……。壮太君、いったい何を作るつもりなんだ?」
クンクンと匂いを嗅ぎながら、要はキッチンへと入っていく。
「あ、もうすぐできますんで。皿、出してください」
キッチンへ行くと、トマト缶で煮込みスパゲティを作っている壮太の姿があった。要がたまにつけている赤いエプロンがなんだか似合う。
「なんか、新婚みたいだね。俺たち」
シンクに皿を置き、壮太にそう告げる。すると壮太は、恥ずかしそうにぽっと耳を赤く染めた。
「ちょっと、そういう冗談はやめてください……」
皿にトマトの煮込みスパゲティをよそりながら、壮太は恥ずかしそうにそう告げる。
「ごめん。ちょっと、嬉しくて」
そんな壮太に要は苦笑していた。
「嬉しい?」
「こうやって料理を作ってもらえるのなんて数年ぶりだから、嬉しくてつい。この前も、うどんサラダをご馳走になったばっかりなのにね」
「ああ、麺類ばっかりですみません」
「いいよ。麺類好きだし、ウチの炊飯器は全然使ってないしね。最近は、パックのご飯ばっかり食べてるよ」
「たしかに、パックご飯の容器のゴミが凄かったですよね」
自分で料理を作ったのは、いつ頃だっただろうかと要は考える。もともと家事は得意ではないが、これでも大学時代やバイトで食いつないでいた頃は節約のために手料理も作っていた。
契約社員になってからはより忙しくなり、それすらもできなくなってしまったように思う。
「あのさ、無理に家事とかしなくてもいいからね」
壮太にねぎらいの言葉をかける。すると壮太はぎゅっと口を引き結び、要を睨んできた。
「あれ、言っちゃいけないこといっちゃった……」
「違います。俺のこと、甘やかさないください」
「え?」
「俺だって、同居してるんだから自分のことは自分でするし、家事だって要さんができないのならします。それじゃダメですか」
「壮太君……」
壮太らしいと要は苦笑する。
彼は周囲の人の手を借りず自分1人でなんとかやってきた。ようやく要が差し伸べた手を握ってくれたが、その自立心は失われていないらしい。
「うん。いいことだ。ちょっと強情なぐらいが君はいいよ」
「強情ですか。俺……」
じっと壮太が要を睨みつけてくる。
「はは! そういうところ、すっごく俺のこと睨んでるもん」
そんな壮太に要は微笑んでいた。すると壮太は、悲しげな顔を急にして俯いた。
「要さんは俺がΩで可哀そうだと思うから、俺に手を貸すんですか?」
「壮太君」
「この話はもういいです。煮込みスパゲティ覚めちゃいますし。行きましょう」
スパゲティを持った器を持って、壮太は微笑む。その壮太の微笑がどこか悲しげで、要はなにも言うことができなかった。
その日の夕飯はなんだか通夜のように重苦しくて静かだった。壮太のトマトの煮込みスパゲティは絶品なのに、それを褒めることも許されない。
重苦しい空気が食卓を支配していた。
黙々とスパゲティを口に運ぶ壮太を、要はじっと見つめる事しかできない。
「食べないんですか?」
それが気になったのか、ようやく黙っていた壮太が口をきいてくれた。
「あの……壮太君」
「はい」
「俺は、偽善者かもしれない……」
「はい⁉」
要の言葉に壮太は素っ頓狂な声を上げる。要は真剣な顔を壮太に向けて、言葉を続けた。
「そう、俺は君を助けて1人で満足してる偽善者だ。でも、その偽善で君が少しでも楽になればいいと思ってる。それが俺の偽るざる気持ちだ」
「要さん」
「だから、頑張ってもいい。でも、辛いときは甘えて欲しいかな……」
言った言葉がなんだか恥ずかしくて、要はそっと俯いていた。なんだか顔が熱い。恥ずかしくて頬が赤くなっているのだろうか。
「要さん……」
そんな要に壮太が話しかける。
顔を上げると、壮太が目の前にいて要に抱きついていた。
「あ、え……」
壮太の温かいぬくもりが体中に広がる。それでも、体はしっかりしていて彼が頼もしい男であることを教えてくれるのだ。
「わかった……。ダメなときは、甘えますよ。俺、まだ子供ですしね……」
壮太の顔が赤い。眼もどこか潤んでいて、なんだかとても可愛らしい。
「うん。甘えてくれると嬉しい」
そんな壮太の頭を、要は優しくなでていた。
「でも、自分にできることはやらせてください。俺も、要さんの力になりたい」
「うん。わかった。俺も、君に甘えてみるよ」
ぎゅっと要は壮太を抱きしめ返す。ギョッと壮太が目を見開いて、一層顔を赤く染めてきた。
その様が妙におかしくて笑ってしまう。
「ちょっと、笑うところじゃないですよね。そこ……」
「いや、君が可愛らしくてつい」
「な!」
顔を真っ赤にしたまま、壮太が目を怒らせる。
「あはは……。怒るほど酷いこと言ってないよ。俺……」
「でも、俺はすっごく気になるんです!」
笑う要に、壮太は叫ぶ。
そのやり取りが妙に楽しくて、要は大きく笑い声をあげていた。
1人でいるときには感じられなかった温かさが、自分の周囲にある。そのささやかな幸せを要は今さらながらに尊いと思うのだった。