夕食を終え、要は約束通りダイングで壮太の勉強をみてやっていた。
「なるほど……。そうなるんですか……」
「そう。英単語が覚えられない場合は、文章を読んで意味を頭に叩き込んじゃった方が覚えやすいよ。むやみやたらと英単語ばっかり書いてても、使い方が分からないと元も子もないいからね」
「はい! 勉強になります!」
要のアドバイスを聞いて、壮太はそれをメモに取る。
もう時刻は深夜の2時を回っていたが、2人はそんなことを気にすることなく勉強に没頭していた。けれど、机に置いてあった要のスマホが鳴る。
どうも、誰かからLINEのメッセージが送られたらしい。
「こんな時間に……。迷惑だな」
迷惑そうに壮太は要のスマホを見つめていた。
「ごめん。多分あの子だ……」
そう壮太に謝って、要はスマホを手に取る。
画面をタップしてLINEのメッセージを確認する要の顔がみるみるうちに険しくなる。要は、無言で立ち上がり、スマホを耳にかざしていた。
「大丈夫。また、お母さんに何か言われた?」
ああ、またかと壮太は思う。この時間帯を狙うようにいつも要に電話をかけてくる塾の生徒がいるのだ。自分と同じΩの女子だというその子を要はとても気にかけている。
「ごめん。壮太君。今日はもう寝てて……」
スマホを耳から離し、小さな声で要は壮太に告げる。
「わかりました。ありがとうございます」
壮太は淡々とした声でそう告げ、事務的にテーブルに広げられた英語の教科書やノートを片付け始めた。そんな壮太に「悪いね」と告げて、要は苦笑を顔に浮かべる。
そして、通話を続けたまま自分の部屋へと戻っていった。
「また、アイツかよ……」
ばさっと手に持っていた教科書をテーブルに落とし、壮太は大きくため息をつく。
要は世話好きなことは壮太が誰よりも知っているし、お節介役なのも知っている。だからといって、こんな遅くに電話をかけてくる非常識な人間がいるだろうか。
「要さん。ちょっと、周りに人間に優しすぎだよ……。バカじゃないの」
そう呟いて、壮太は机に散らばった英語の教科書やノートを片付け始めた。
付き合いが始まってからうすうす勘づいていた。でも、壮太の想像以上に要は自分を顧みない所がある。それが、壮太には許せない。
「人には自分のこと大切にしろとか言っといて、自分は全く逆ってどういうことだよ。おかしいよ。そんなの」
文句を呟いても、その言葉が要に届くことはない。
「ああ、俺……。この同居無理かも……」
しんどい。
要と一緒にいると、要の優しさを目の当たりにすると、そんなことを考えてしまうことすらある。もっと要も、自分のことばかりを考えてくれればいいのに……」
「俺は、自分のことばっかりなのにあの人は……」
要の嬉しそうな笑顔が頭を過る。
その笑顔を彼はいつも自分ではなく他人のために浮かべるのだ。それがなんだか、納得がいかない。
「ああ……もうやめよう。寝よう……」
苦笑して、壮太は勉強道具を持って部屋へと戻る。
「だから……それはできないよ。その気持ちは本物じゃない。俺に、君は受け止められない」
壮太と要の部屋は隣り合っている。
おちつかないのか、要は廊下に出て塾の女子と話を続けていた。初めは、希望の進学校に行くことを母親が反対しているという内容だった。
それがいつの間にかズレにズレて、女子が要への好意を仄めかすものになっている。その気持ちを要は丁寧に聞きつつ、受け取れないと彼女を傷つけないように断っている。
でも、女子はその優しさに漬け込んで、要の気持ちを自分に振り向かせようとしているようだった。そのあざとさがなんだかとても気持ち悪い。
「って、なにやってるんだよ。俺……」
そっとドアを開けて、壮太はその会話を盗み聞ぎしていた。初めは普通に布団に入ってうとうととしていたが、そのうちに言い争うような声が聞こえてきて目が覚めてしまったのだ。
気がついたら、廊下で通話をする要の話をこっそりとドアを開けて聞いていた。
「だから、君の気持には応えられないよ。俺はただの塾講師で君はその生徒。それだけの関係だ。それを勘違いしないで欲しい」
先ほどと同じようなやり取りをまた要は続けている。
「さっさと断って、電話切っちまえばいいのに……」
その様子をドアのすきまから壮太はイライラとしながら眺めていた。しつこい女子もどうかと思うが、それをきちんと断れない要の優柔不断さにうんざりする。
「だから、ね、もういいでしょう。もう遅いし、寝ないと学校にも行けなくなっちゃうよ」
少しばかり険しかった要の言葉が和らぐ。どうも相手も要の言葉に理解を示して来たらしい。
やっと話が纏まったかと壮太は安心する。
「え、今から来て欲しいって! それは————」
でも、次の瞬間要から発せられた言葉に、壮太は大きく目を見開いた。
「ちょっと待って、会わないとこのままどこかに行っちゃうって、その……!」
女子が家出をすると要を脅している。それがわかった瞬間、壮太の中でなにかが爆発した。
「ちょっと待てよ! いくら塾の生徒だからって、塾の先生を自分の問題に巻き込んでいい訳ないだろうが!」
ドアを思いっきり開け、壮太は要のスマホに向かって怒鳴りつける。
「へ、壮太君?」
「あ……!」
要が驚いた様子で壮太を見つめる。壮太は我に返り、唖然と立ち尽くした。スマホからは「ちょっと、誰ですか⁉」と女子の怒鳴り声が聞こえる。
意を決した壮太はきっとスマホを睨みつけ、大股で要はと近づいていた。
「えっと、その壮太君。え、え⁉」
「ちょっと貸して!」
スマホを要から強引に奪い取り、壮太はスマホに向かって叫ぶ。
「今、何時だと思ってるんだよ! あんたが要さんを好きなのは勝手だけど、その気持ちを要さんに押し付けんな! あと、時間考えて電話しろ!」
「ちょっと、なんなのよ、あんた!」と電話から怒鳴り声が聞こえる。
人を怒鳴る元気があるのに、要さんには泣きついてたのかよと壮太は呆れていた。
「俺、要さんの同居人。あんたと要さんの話が煩くて眠れないんだ。じゃ!」
壮太は通話を切っていた。
「あ、壮太君……」
「要さん……」
狼狽する様子の要をきっと睨みつける。
それから壮太は怯えた様子でこちらを見つめる要に近づき、スマホを差し出した。
「電話。仕事関係の通話以外は夜12時以降控えてもらっていいですか? 俺、まだ成長期だし、寝不足になるとバイトにも勉強にも差し支えるんで!」
「あ、ごめん……」
「言葉ははっきり!」
「わ、わかりました!」
「はい! スマホ! 受け取って」
「はい……」
怒っている壮太から、要はおろおろとスマホを受け取る。
「じゃ、俺もう寝ますから。電話がかかって来ても、無視してくださいね」
「ごめん。メッセージ返して、明日やり取りするようにるよ」
「未成年との交際はズバッと断ってください!」
びしっと言いたかったことを要に告げる。
「うん! そうだね! もう、相手にしないよ……」
困ったような笑みを要は浮かべる。その笑みにどうしても苛立ってしまう自分が許せなくて、壮太は無言で部屋へと戻っていった。
『ごめん。君とは付き合えない。わかってほしい。もう、その話も通話では離さない』
そんなメッセージを先ほど話していた女子生徒に送り、要は大きくため息をつく。
部屋に戻った彼は、壮太の泣きそうな怒り顔を思い出していた。
「……怒らせちゃったな」
大きくため息をついて机の椅子に腰かける。
「同居ってすっごく難しいよな」
そうして要は、自分の気持ちを呟きにして吐き出すのだった。