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第20話 待ち人こず

 それから数日間、要の元に好意を告げてきた女子からの電話はなかった。彼女は塾にも普通に通っていたし、要のアドバイスもあってランクを落とした大学への進学を決意したようだ。

 ほっと一息ついていた要だが、今度は彼女からこんなメッセージがラインに届いていた。

『大切なお話があります。塾が終わった後でお話しできませんか?』

「また……」

 なんだか嫌な予感がしつつも、生徒である彼女を無下にはできない。要は『いいよ』と返信を彼女に返していた。


「今日は遅くなるから、夕ご飯先に食べちゃってて」

「え?」

 朝食を食べていた壮太は、要のこの言葉に少しばかり驚いた。

 女子との電話の一件があって以来、要は早めに帰って来て自分と一緒に夕食を食べていてくれた。それがどういう訳か、今日はできないと言ってくる。

「あの、またアイツじゃないですよね?」

 じっと茶碗を持ったまま要を睨みつけると、要は顔を引き攣らせた。どうも図星らしい。

 壮太は眉間にしわを寄せ、不機嫌そうに要を見つめ続ける。

「ああいうのはしつこいから距離置いた方がいいですよ。いくら生徒だとしても、要さんを独占しすぎです」

「うーん。そうかな? 彼女も年頃だし、相談したいこともけっこうあるような気がするんだけど……」

「それは要さんを繋ぎ留めておくための方便ですよ。なに、罠にはまってるんですか。そんなに女子と関係もてるのが嬉しいんですか!」

「壮太君……」

 困ったような要の声音を聞いて、壮太はしまったと我に返る。そっと要から視線を逸らして、壮太は彼に告げた。

「その、遅くなったとしても先寝ちゃいますからね。夕飯は冷蔵庫に入れておきます」

「ありがとう。どうしてくれると助かるよ」

 要の言葉にずきんと胸が痛む。顔を向けると、要は困ったような、それでいてどこか悲しげな表情を壮太に向けていた。

「大丈夫。変なことにはならないように絶対にするから。それこそ、女子高生と付き合うなんて俺には考えられないよ。自分の職だって危うくなる」

「そうですよね……」

 じゃあ、なんでΩである自分とは同居しているのだろうと壮太は考えてしまう。要と壮太はやましい関係にはない。でも、壮太がΩであることを知れば、2人は付き合っているのではと考える人もいておかしくない。

 少なくとも男性のΩは、この国では女性のように扱われることがかなりある。だからこそ、壮太はそういった目で見られることに苦手意識を持ってしまう。

 それでも要との同居を決意したのは彼が信頼できる人間だと心の底から思ったからだ。

「なるべく早く、帰って来て下さいね」 

 ぶっきらぼうにそう言う。

「うん。わかってる」

 すると要から、嬉しい言葉が返って来た。その言葉が欲しかったはずなのになぜか素直に『ありがとう』と言うことができない。

「帰ってこなきゃ、先に寝ちゃいますから……」

「わかってるよ。寝てて」

 拗ねた表情を浮かべた要を見つめる。すると、要は困ったような笑みを浮かべて壮太にそう言ってくれた。

 朝ご飯を食べ終えた要は、お盆に空になった食器を纏めて持つと立ち上がる。そしてキッチンへとその食器を持っていくのだった。


 その日の夜、要は夜の10時になっても戻ってこなかった。要の分の夕ご飯をラップで包みながら、壮太は要のことを考える。

 あの女子と一緒にいて、要は大変な目に遭ってないだろうか。もし自分のことで何か言われていたら、どうしようかと壮太は迷う。

 スマホで電話をかけようとも思ったが、要の迷惑になるのではと思いそれはとどまった。

 違う。スマホ越しにあの女子が出て来て、壮太にこういうことを恐れているのだ。

「やっぱり先生は、あんたじゃなくて私を選んだ!」

 そんなことはないと思いながらも、壮太はその不安を捨てきれない。もし、要が女子の好意を受け入れたら、どうしようかと壮太はありえないことを先ほどから考えてしまっている。

「要さんは、本当に俺と一緒に居ていいのかな?」

 そして、自分と共にいて要の立場が危うくならないかと心配にもなる。Ωでない人間が、Ωと一緒に生活をするということはそういう目で見られるということだ。

 でも、壮太は自分が妊娠できる体であると知っていても、それを自覚することができない。自分が性的に興味を示すのは女性だけだ。子供を見て可愛いとは思うが、欲しいと思ったことは1度もない。そして、発情期はあるが生理のようなものを経験した覚えもない。

 そんな自分が女性と同じような立場にあることに、壮太はずっと居心地の悪さを感じている。

「でも、要さんなら付き合ってもいいのかな?」

 あまりにも女子にモテないので、モテる要に嫉妬してそうに口走ってみたこともあった。でも、要がもし自分を好きになってくれたら、このモヤモヤする気持ちも受け入れられるのだろうか。

 ぎゅっと自身を抱きしめて、壮太は自分が『母親』になる場面を想像する。自分は生まれたばかりの子供を抱きしめていて、その隣には『父親』である要がいる。

 そして要は、自分を子供ごと抱きしめてくれるのだ。

「要さんなら、受け入れられるのかも……」

 体の奥底から、ジンと熱がこみ上げて来て壮太はなおも強く自身を抱きしめた。

「ただいま……」

 微かに要の声がする。

 はっと壮太は我に返って、玄関へと駆ける。そこには疲れた顔をした要がいた。

「ただいま。やっと決着がついた……」 

 泣きそうな要が笑みを浮かべる。

「なにがあったんです……」

「先生なんて大っ嫌いって言われちゃった。なんかそれがショックでね」

「え?」

 要の言葉に壮太は頭が真っ白になる。

 あんなにも要にかまってもらったのに、その言葉を要にぶつける権利があの女子にあるのだろうか。そう思われて仕方がなかったのだ。

「なんで、そんなこと……」

 怒りが顔に滲み出てしまう。それを見た要が、慌てた様子で言った。

「ああ、フラれたのは俺のせい。俺が、変なこと言っちゃったから……」

「ヘンなこと……?」

「ああ……うん……」

 困った様子で、要は視線をさ迷わせる。そして、じっと壮太を見つめてきた。

「君のことを話したら、Ωの男と一緒に居るのはおかしいって言われたんだ。だから、そういう偏見を持つ生徒の面倒は見らえないって……。なんか、そう言っちゃった」

 困ったような、泣きそうな笑みが要の顔に浮かび上がる。その笑顔を見た瞬間、壮太は要を抱きしめていた。

「ちょ、壮太君!」

「ごめんなさい。でも、要さんが俺のせいで悪く言われるのがイヤで……。俺のせいで嫌われちゃうのが納得でできなくて……」 

 こみ上げてくるものがあって壮太は泣きそうになる。その涙を堪えて、壮太は要を見上げていた。

「本当にごめんなさい。あんな、余計なことしちゃって……」

 けれど、壮太を見つめる要の顔は以外にもスッキリした表情を浮かべていた。

「ううん。君のことを悪く言う人間なんて、たとえΩの生徒でもごめんだよ。あの子とは距離を置かせてもらう。まあ、進学の悩みになら答えてあげるけど」

 要は壮太に微笑みかける。その笑みがなんだか嬉しくて、壮太もまた要に微笑みを返していた。


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