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第3話 かわいいと言われても

 そして、また翌日の退勤後に舞美は慎平とエレベーターから降りた。


「お、いるいる。今日はピンクの薔薇を持っているぞ」


 舞美は慎平の後ろに隠れるようにして、会社の前に立つ葵人の様子を窺った。

 今日も一輪の薔薇を持っている。色は慎平が言ったとおり、ピンクだ。


「ピンクって、どんな意味があるのよ?」

「知らない。きっと、あの人が教えてくれるよ。ほら、氷室が先に行けよ」


 慎平は舞美の腕を引っ張って、前に押しだした。舞美は進もうとしないで、足を踏ん張る。


「えー、行きたくない」

「この期に及んで、なにを言っているんだよ。早く行かないと、かわいそうだろ? じろじろ見られてるぞ」


 慎平が言うように葵人を見る通行人が多かった。

 薔薇を持つ姿が、映画かドラマのワンシーンみたいでかっこいいからかもしれない。

 居心地悪そうに首の後ろをかく姿も絵になっていて、俳優みたいだ。


 そんな人の前に私が行く?

 無理、無理、無理だ。


 慎平が動こうとしない舞美の顔を怪訝そうに覗きこむ。


「どうしたんだ? 行かないのか?」

「あそこ、目立つ……」

「たしかに、目立つな。じゃあ、こっちに呼んできてやろうか?」

「うーん」


 あっちとこっち、どっちがマシ?


 考えあぐねる舞美にしびれを切らしたのか、慎平は呆れ顔で葵人のところに行ってしまった。

 なにかを話す二人がパッと舞美を見た。舞美の肩がビクッと跳ねる。

 なんだろうと思っているうちに、慎平は葵人を舞美の前まで連れてきた。


「昨日のとこに行こう」

「あ、うん……」


 慎平に促されて、舞美は非常階段に足を進める二人を追った。葵人は今日もスーツをきちんと着て、えんじ色のネクタイを身に付けている。

 慎平が少し距離を開けると、葵人は舞美の前に立った。


「氷室さん、お願いがあります」

「なんでしょうか?」

「下の名前を教えてください」

「舞美です」

「まいみさん……どのような漢字で書くのでしょうか?」

「えっと、待ってくださいね」


 舞美はバッグから名刺入れを取り出し、そこから一枚の名刺を抜いた。

 先日、葵人に名刺をもらったときに交換として渡したかったが、あいにく受付に持ってきていなかった。

 もらったのに返さないのはよくないと判断した結果、名刺を渡すことにした。


「私の名刺です。このような漢字で書きます」

「ありがとうございます」


 葵人は両手で丁寧に受け取り、名前を確認して目を輝かせた。


「美しく、舞う。舞美さんにピッタリですね!」

「えっ?」


 名前が自分にピッタリだと言われたのは初めてだった。

 戸惑う舞美の後ろで、慎平が「プッ」と噴き出す。


 なにがおかしいのよ……舞美に睨まれて、慎平は笑いを堪えながら言った。


「うん、俺もピッタリだと思うよ」

「思ってもないこと言わないで」

「あの、舞美さん……」


 憤慨する舞美の前で葵人がおそるおそるといったふうに声を出す。


「はい?」

「そちらの方とは、どのような関係ですか?」

「ただの同期です」


 舞美が答えると慎平は一歩前に出た。離れて、見守るのをやめたのだろうか……。


「そうです、俺と氷室はただの同期です。ここに一応いますけど、俺のことは気にしないで話をしてください」


 葵人は「では遠慮なく」と前置きして、舞美に向き直った。


「今日はこちらの薔薇を用意しました。ぜひ、受け取ってください」

「ピンクでかわいいですね……」


 舞美は受け取らず、感想を述べる。


「ピンクの薔薇の花言葉には、舞美さんが言ったようにかわいらしいがあります。ほかに、感謝、温かい心、上品などがありますが、私は感謝の意味を込めさせていただきます」

「感謝ですか……」


 大事なボールペンを拾ったことへの感謝だろうか、と舞美は考えた。

 だが、違った。


「私とまたお話をできる時間を作っていただいたことに感謝しています。やはり、舞美さんはとても優しいですね。それに、この薔薇のようにとてもかわいいです。舞美さんと会っていると、私の心はほくほくと温かくなります。一昨日よりも昨日、昨日よりも今日、一日増えるごとに私の想いは膨らんでいます。どうか、私の気持ちを受け取ってください」


 葵人は薔薇を差し出したまま、頭を深く下げた。

 昨日に続いて、今日も熱烈な告白だ。想いを伝えられて、舞美は素直に嬉しく思う。

 でも、不審にも思えてしまう。

 だって毎日、一輪の薔薇を持って告白する人……怪しすぎるから。


「すみません、お気持ちは受け取れません」

「ダメですか……薔薇だけでも受け取ってもらえませんか。お願いします!」


 必死に懇願されて、拒否できなかった。花に罪はないし……。

 舞美は薔薇を掴んだ。


「お花はいただきます。ありがとうございます」

「私の気持ちは、どうしたら受け取ってもらえますか?」

「どうしたらと聞かれても、困ってしまいます。受け取りたいという気持ちが私にはないので……」


 ここまで断るのだから、諦めてほしかった。

 しかし、葵人はしぶとい。諦めるという考えには至らないようだ。


「明日、また来ます」


 勝手に約束をして、帰った。


 舞美はまたもや引き止められなかった。思うようにいかないのが悔しくて、かわいいピンクの薔薇が恨めしくなる。

 そんな舞美の前で、慎平が腕を組んで笑う。


「今日も熱烈だったねー」

「どうしたらいいのよ。ああ、もう!」


 舞美はのんきに笑う慎平を睨んだ。


「俺に当たるなよ。女はやっぱ、花をもらうと嬉しんだろ?」

「まあ、嬉しい人のほうが多いと思うよ。桑名くんも花を添えて、告白してみたら?」

「嫌だよ。俺には、花で愛を語る趣味はない」

「花で愛を語る趣味って……」


 舞美は苦笑して薔薇を見た。

 言われてみれば、葵人は花言葉を用いて想いを熱く語っていた。


「花があっても、そう簡単には成功しないもんだな」

「そうよ。花で決められることじゃない。あ、桑名くんだったら成功するかもよ。試しにやってみたら?」

「は?」


 舞美が小声で「実咲に」と言うと、慎平は焦った声を出した。


「な、なにを言ってるんだよ。どうして、俺が実咲に……」

「慎平の気持ちはバレバレだよ。実咲と話すときに声のトーンが上がっているもの」

「なあ……実咲は俺のことをどう思ってる?」

「知らないよ。聞いたことない。いい人だよね、とは言っていたけど」

「いい人か……」


 慎平はガックリと肩を落とした。


 いい人は恋愛対象外になることが多い。舞美にとって一番仲の良い同期は、実咲だ。

 実咲が誰かを好きだとか、かっこいいとか言ったことを聞いたことがなかった。


 舞美が聞くと、話をはぐらかすのだった。しかし、実咲が誰かを『いい人』だと言ったのは慎平だけだ。


 舞美にとって慎平は他の人よりも特別な存在なのかもしれない。


「いい人止まりにならないようにがんばりなよ。実咲がいい人だと言うのは、桑名くんしかいないんだから」

「俺だけ?」


 舞美は自分を指差す慎平に「うん」と答えた。

 そのとき、「舞美?」と背後から呼ぶ声がした。

 呼ばれた舞美よりも先に反応した慎平が「み、実咲」と驚く。


 「お疲れさまー」とにこやかに近寄る実咲に慎平の表情が強張った。まさかこのタイミングで実咲が現れるとは思っていなかったのだろう。

 同じ会社で働いているのだから、あり得ない偶然ではない。


「二人、ここでなにしているの?」


 実咲の質問に慎平が狼狽えながら、答えた。


「別になにも……あ、氷室が告白されていたんだよ」

「ええっ、舞美が誰に?」

「高見澤グリーンの人」

「高見澤グリーン……あ、もしかしてその薔薇は告白されたときにもらったの?」


 舞美は薔薇を握り直して、ぎこちなく「うん」と頷く。


「もらったっていうことは、付き合うことになった?」

「違う。薔薇はもらったけど、断ったの」

「えー、そうなの? その人、どんな人?」

「どんな人って……」


 興味津々に聞かれて、舞美は口ごもった。説明できるほど、葵人のことを知らない。


「紳士的なイケメン」


 答えたのは、慎平だ。実咲が現れたときは動揺していたが、冷静さを取り戻したようだ。慎平が続ける。


「背は俺よりも低いけど、百八十センチくらいかな。スラッとして俳優とかモデルみたいな感じで、とにかく真面目そう。うん、間違いなく真面目だろうな。真剣に薔薇の花言葉を説明し、舞美への想いを熱く語っていたから」

「えー、聞くだけでもすごい人だね」

「そういえば……高見澤葵人って言ってたよな? 社名と同じ苗字だから、社長の親族とか?」


 慎平の視線が実咲から舞美へ移る。


「えっ、そうなの? たしかに苗字は高見澤さんだったけど」

「えっ、葵人くん?」


 実咲の驚く声に、舞美と慎平は目を見開いた。

 葵人のことを、くん付けするほど親しい仲なのだろうか。


「実咲、高見澤葵人さんのこと、知ってるの? あー、そういえば、うちの会社と高見澤グリーンは昔から親交が深いんだったよね?」


 緋衣ハウジングの社長は実咲の叔父だ。実咲の母親とその叔父は兄妹である。

 実咲は縁故入社だが、社長と苗字が違うこともあって、知っている社員はわずかしかいない。


 舞美と慎平は知っているが、他の社員に言いふらしてはいない。親戚だけど、自分は経営に関わることはないと言われたから、頭の片隅に入っている程度の情報だった。


 実咲は言いにくそうにもじもじした。


「葵人くんのことは小さい頃から知っていて……幼なじみかな。年は私たちより三つ上で、うん、真面目な人だよ。でも、淡々としているところがあって、感情が読めないというか……あー、でも、熱い告白をしたんだよね? 葵人くんが舞美を……うん、葵人くん、見る目あるね」

「実咲的には、舞美におすすめできる人?」


 慎平の問いに実咲は、肩に提げていたトートバッグの持ち手をギュッと握って「うーん」と唸った。


「優しい人だから、悪くはないと思う……」

「なんか歯切れのよくない言い方だな」

「その、大人になってからはあまり話すことがなくて、今がどういう人かよくわからないから……」


 実咲の声は徐々に小さくなっていった。子どもの頃は仲良しだったとしても思春期あたりからよそよそしくなるというのは、よく聞く話だ。


 だから、実咲がハッキリと答えられないのは仕方がないことだと舞美は思った。慎平も同じように感じたのか、深く聞こうとはしなかった。


「まあ、どんな人であろうと決めるのは氷室だ。明日も来るって言ってたよな? そうだ、明日は実咲も立ち会ってみる? 幼なじみの熱い告白、見てみたくないか?」

「明日? 明日はショールームの入れ替えで、遅くなるから……桑名くんもでしょ?」

「ああー、そうだった! うわー、残念だ。俺も明日は立ち会えないや。舞美、がんばれ!」


 慎平は握った拳を舞美に見せた。


「うん……」


 慎平がいないと心細いが、慎平がいたからと言って、葵人の態度が変わるとは思えない。

 舞美はどうがんばったらいいのかはわからないが、ひとりで立ち向かおうと小さな決意をした。

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