カフェを出ると、雨はやんでいた。
外はすっかり夜の色になり、街には至るところで明かりが灯されている。
日中は汗ばむくらいの陽気だったが、日が沈んで気温が一気に下がった。
雨が降ったせいもあるのだろう、前日よりも肌寒く感じる。
葵人は湿っているジャケットを片手に持ち、舞美に向き合った。
「今日は相合い傘をしてくれて、ありがとうございます」
相合い傘?
そんなことをしてつもりはないけれど……そう言われると、照れくさい。
頬が熱くなった舞美がなにも返せないでいると、葵人が言葉を続けた。
「傘に入れてくれたお礼をさせてください」
「えっ、お礼?」
たいしたことをしていないのに、お礼?
一瞬だけ熱くなった舞美の頬をひんやりした風がさます。
葵人は外灯の下で「はい」と穏やかなに頷いた。
「夕食をごちそうさせてください。これからどうですか?」
「あー、夕食は姉と食べる予定なんです。私、姉と住んでいるので」
「お姉さんと暮らしているのですね。では、おうちまで送ります。車、御社の駐車場に止めさせていただいていますので、すぐそこにあります。ぜひ遠慮せずにお乗りください」
舞美はぜひ遠慮させていただきたいと思った。
「あの、今日は外で食べる予定で、駅の向こう側で姉と待ち合わせしているんです」
舞美は徒歩七分のところにあるJRの駅の方向に顔を向けた。
咄嗟についた嘘を見破られないよう、葵人から顔を背けたのだった。
葵人は待ち合わせ場所まで送ろうとしたが、駅の反対側に車で行くには遠回りになってしまう。舞美はそのことを話して、やんわりと断った。
葵人が残念そうな顔をする。
「お姉さんとのお食事、お楽しみください。それでは、お礼は月曜日にさせていただきます」
「お礼なんて、いらないですよ」
「舞美さんに喜んでもらえるものにしますので、楽しみにしてください。私も舞美さんからのお返事、楽しみにしています」
舞美はなにも楽しみにしていない……。
「楽しみにされても、困ります」
「大丈夫ですよ。どんなお返事でも受け止めますから。それでは、素敵な週末をお過ごしください。おやすみなさい」
「えっ、あ……」
葵人は言うだけ言って、早々と駐車場に向かってしまった。角を曲がる前に振り返り、手を振る。
名残惜しそうにするわりには、切り替えが早いというか……。
呆気に取られていた舞美は会釈することしかできなかった。そんな会釈でも満足したのか、葵人は嬉しそうに口もとを緩ませていた。
今夜、奈美は学生時代の友だちと飲み会だった。舞美は、ひとりの夕食を簡単なチャーハンで済ませた。
舞美よりも遅くに帰宅した奈美は酔っていて、ご機嫌だった。
「わー、オレンジ色が増えてるー。カラフルだー」
「お姉ちゃん、お帰り」
すでに入浴を済ませた舞美はパジャマにパーカーを羽織っていた。
一輪挿しに二本ならなんとか飾ることができたが、増えた五本は入らなかった。全部をガラスの花瓶に移し替えて、リビングのテーブルで眺めていた。
「ねえねえ、今日の薔薇にはどんな花言葉があるの?」
「信頼、絆だって」
奈美は「わかった!」と右手の人差し指をピンと立てる。
「絆を深めたいと言われたんでしょ?」
「それだけじゃないけど、当たり……」
「お、当たった-」
奈美は緩んだ顔でキッチンへ行く。千鳥足の奈美を心配した舞美は、あとを追った。
冷蔵庫から出したミネラルウォーターをコップに注いで、奈美に渡す。奈美は、それをゴクゴクと飲み干して「はー」と息を吐いた。
「まーいみ、どうしたのよ? 浮かない顔してるけど」
「困ってるの」
「困ってる? どんなことに……あ、待って。トイレ、行きたい。ちゃんと聞くから、ちょっとだけ待ってて」
「うん」
舞美は奈美が使ったコップを片付けて、リビングのソファに座った。
なかなか奈美が戻ってこない。
もしや、トイレで寝てしまったのでは?
様子を見に行こうと立ち上がったとき、トイレのドアが開く音が聞こえた。
「ごめん、うとうとしてた。あー、眠い」
奈美は舞美の隣に腰を下ろし、膝を抱えた。まぶたが今にも閉じそうだった。
こんな状態の人に相談しても、まともな返事が聞けるとは思えない。葵人とのことを相談したかったが、今夜は諦めるしかないだろう。
舞美は、虚ろな目をする奈美の肩を揺すった。
「お姉ちゃん、メイク落として寝なよ」
奈美はハッと目をしっかりと開けるが、ゴロリと横になった。
「ちょっとー、起きて。着替えないと。そのまま寝たら、お肌が荒れるよ」
「んー、起きる……。ごめん、話はあした、聞くね……」
舞美に腕を引っ張られて、どうにかこうにか体を起こした奈美は自分の頬を叩いた。
洗面所から戻ってきた奈美は「おやすみ」と自分の部屋に入る。
舞美は大きく伸びをして、寝ようとリビングの明かりを消した。
何日も悩みたくないから、早めにどうするか決めたかった。決めるのは舞美自身だが、誰かの意見を聞きたかった。
ベッドで友だちに相談しようかとスマホを操作するが、日付が変わる時間になっていたので迷惑になると考えて、やめる。
ひと晩寝て、考えよう。
大事なことは時間を置いてから、考え直すのがよいはずだ。
そうしたら、明日には最適な答えが出るだろう。
しかし、いくら考えても、奈美に相談しても答えを出せないままで週末が過ぎていった。