月曜日の昼休み、実咲が総務部に顔を出す。
「舞美、ご飯行こう」
「うん」
舞美はミニトートバッグに財布とスマホとポーチを入れて、実咲とエレベーターに乗った。部署が違うので、二人が昼休みに会えるのは週に二回くらいだ。
エレベーターには他にもたくさんの人が乗ってきて、二人は小声で話した。
「どこにする?」
「裏のカフェは?」
「いいね」
意見が一致して、オフィスを出て左に曲がって真っ直ぐ進む。交差点を左に曲がり、数メートル先のカフェに入った。オフィスから徒歩五分の場所だ。
白い壁に木目調のテーブルと椅子が並ぶナチュラルな雰囲気のカフェで、実咲と舞美は入社したときから何度も訪れていた。
店内は混雑していたが、運良くひとつの席が空いていた。
舞美は日替わりのパスタセット、実咲はエビピラフセットをオーダーする。コンソメスープを飲みながら、実咲が昨日のことを聞いた。
「葵人くんとの食事、どうだった?」
「美味しかったよ」
「また会うことになった?」
「誘われたけど、断った」
「どうして?」
舞美が答えようとしたとき、「お待たせいたしました」と料理が届く。
舞美はフォークとスプーンを手に取り、口を開いた。
「だって、高見澤さんと私では家柄が違いすぎるから」
「そんなことで?」
「そんなことじゃないよ、大事なことだよ。私たち、結婚を考えてもいい年齢でしょ? だから、もし付き合ったら結婚まで考えないといけないじゃない? 結婚はお互いの家のことも大事だから、家柄が違うと難しいと思うの」
「家のことより、本人たちの気持ちが大事じゃない?」
実咲も葵人と同じことを言う。お互いの気持ちが大事だから、二人は婚約解消した。
同じような家庭環境で育ったから、考え方が似るのは当然なのかもしれない。
「高見澤さんも実咲と同じことを言っていた。二人にしたら、家に縛られたくないと思うのだろうけど」
「舞美だって、自分の好きな人と結婚したいと思うよね?」
舞美は「もちろん」と即答する。
結婚するなら、やはり好きな人がいい。
「私も葵人くんも同じだよ。自分の好きな人と付き合いたいし、結婚もしたい。私ね、好きな人がいるの」
「えっ、そうなの? 初耳」
「うん、誰にも言ったことがないからね」
実咲は苦笑して、ピラフを口に入れた。舞美はパスタを食べながら、実咲が続けて話すのを待つ。
だが、実咲は食べるだけで話さなかった。舞美はもどかしくなり、聞いてしまう。
「実咲が好きな人って、私の知らない人?」
「ううん、知っている人」
舞美はフォークとスプーンを置いて、周囲に目を配った。会社の人はいないから聞いても良さそうだと判断する。
「誰?」
「桑名くん」
「えっ、ええつ! ほんと?」
「声、大きい」
ビックリして大きな声が出た舞美は、実咲に注意されて手で口を押えた。
今押えても意味がないが。
「ごめん、ほんとに?」
「そう。いつも元気で、優しいじゃない? 話していて楽しいし」
「たしかに元気で、楽しい人だよね」
「舞美、優しいが抜けている。すごく優しいんだよ」
それは……実咲のことが好きだからだ。
まさか、二人が両想いだったとは……。舞美は慎平の気持ちを知っているが、今ここで話せない。
「うまくいくといいね」
「舞美、応援してくれるの?」
舞美の返答が予想外だったようで、実咲は不思議そうな顔をした。
「当たり前だよ。実咲の恋が実ったら、私も嬉しいもの」
「でもさっき、家柄が違うと難しいと言ったよね?」
「あー、言ったけど……んー」
舞美は困った。言われてみれば、実咲と慎平も育った家庭に差がある。
安易にうまくいくことを願ってはいけなかったのではないか……。
「ごめん、深く考えないで答えた。でも、実咲と桑名くんは家のことを関係なしにしたら合うと思うんだよね」
「私も舞美と葵人くん、合うんじゃないかなーと思っているよ」
舞美は「んー」と唸った。
家のことはひとまず置いて、まずはお互いの気持ちで考えるべきなのかも。
舞美の頭には、悲しげな葵人の顔が思い浮かんだ。
葵人に歩み寄ったほうがいいのかな……だからと言って、実咲たちと違い、自分たちは両想いではない。
舞美はどうするのがいいのか、わからなくなった。
「実咲は告白するの?」
「したいけど、もし振られたらと思うと怖くて」
「そうだよね」
実咲は美人で性格もいい。それでも恋には臆病になってしまう。
実咲が告白したら、二人は結ばれると思うのだが、やはりそれは言えない。
「桑名くんと二人でお出掛けするのが夢だけど、簡単に誘えないんだよね-。あ、そうだ。みんなでバーベキューしない?」
「みんなって?」
「私と舞美と桑名くん、それと葵人くんも。四人でどう?」
実咲は名前をあげながら、親指以外の四本を立てた。
「バーベキューは楽しそうだけど」
「ね、そうしよう。私は葵人くんを誘うから、実咲は桑名くんを誘ってくれない?」
「あー、うん」
婚約解消して自由に恋愛できるようになった実咲を応援したいが、舞美の気持ちは複雑だった。
葵人も一緒に過ごすことになるとは……誘いを断った身としては気まずい。
とりあえず、舞美は慎平を誘った。午後に慎平が総務部に来たときに話したのだ。
慎平は「行く!」と目を輝かせた。
実咲と一緒なのが嬉しいようだ。
舞美が今日の業務を終えて帰り支度をしていると、実咲がやって来た。
実咲は舞美に体を寄せて、こっそりと話す。
「葵人くん、オーケーだったよ」
「桑名くんも」
「本当に? よかったー。総務部に行ったあと、すぐに外出しちゃったから話していないの」
実咲は嬉しいと喜んだ。
「そうそう、葵人くん、ここに来るって」
「ここに?」
「下で待っていると思うよ。行こう」
実咲は舞美の腕に手を回して、急かした。舞美は慌ててバッグを持ち、実咲と一階まで降りる。
「あの、大きいの、なに?」
葵人は実咲が言うようにロビーで待っていたが、大きいカスミソウの花束を持っていた。葵人の顔がスッポリと隠れるくらい大きい。
あまりの大きさに舞美は動けなくなる。
歩を止める舞美の背中を実咲が軽く押した。
「行こうよ」
「えー」
行こうと促されても、舞美の足はなかなか進もうとしない。
舞美たちが行くよりも先に、葵人が気付いた。
葵人は花束を上げて、大きく振った。自分の存在をアピールしているようだが、そんなことをしなくても十分に目立っている。
舞美の顔が引きつった。
「ほら、行こう」
またもや実咲が急かす。舞美はおずおずと歩きだした。
「舞美さん、お疲れささまです。こちらをどうぞ」
「きれいなカスミソウですね」
透明のペーバーに包まれて、水色のリボンを結んだカスミソウの花束は可憐で美しかった。
もしかして、花言葉は可憐だろうか?
舞美は花束を受け取って、尋ねた。
「カスミソウの花言葉は可憐、ですか?」
「いいえ、違います」
葵人は真顔で否定した。舞美は適当に言ったことが恥ずかしくなる。
「違いますか、すみません」
「謝ることではないですよ。カスミソウの花言葉は幸福です」
「素敵な花言葉ですね」
「私は今日、とても幸せな気分になったので舞美さんに贈りたいと思いました」
「なにか、いいことがあったのでしょうか?」
舞美は仕事で嬉しくなる出来事があったのだろうかと考えた。
だが、違った。
「舞美さんが私とバーベキューしたいと言ってくれたことで、幸せになりました」
どういうこと?
バーベキューしようと言い出したのは、実咲だ。
それなのに、舞美が希望したようになっている。
舞美が実咲に目を向けると、実咲は口パクで「ごめんね」と言った。舞美は小さく息を吐く。
「高見澤さんは、お料理しますか?」
「いえ、私はあまり……あー、アウトドア好きの友だちがいるので誘ってもいいですか?」
「いいですけど」
「もしかして、
実咲が口を挟んだ。葵人の友だちを実咲は知っているようだ。
「そう、京太」
「あ、香乃ちゃんも呼んじゃう? 五人より六人のほうがいいかなと思うけど」
「香乃か、喜びそうだな」
また舞美の知らない人の名前が出てきた。葵人と実咲は長年婚約していただけあって、共通の知人が多そうだ。
葵人がハッとした顔で舞美を見る。
「香乃は俺の妹で、今大学生です」
舞美がつまらなそうにしているように見えたのかもしれない。葵人が気遣って、説明してくれた。
舞美は口もとを緩ませる。
「妹さんがいらっしゃるんですね。大学生だなんて、かわいいでしょうね」
「そうですね。年が離れているので、かわいいです」
葵人は妹思いのようだ。妹をかわいいと話す様子を見て、舞美の心がほんわかした。
「ところで、舞美さん」
「はい」
あらたまって呼ばれた舞美は、ビクッと背筋を伸ばした。
「連絡先を交換してもらえないでしょうか」
「連絡先?」
「みんなの予定を聞いて、バーベキューの日程を決めたいと思いますので、連絡先を教えてもらえると助かります」
「でも、私には実咲を通してもらえたら……」
舞美は実咲に目を向ける。
「私を間に挟むより、直接葵人くんとやり取りしたほうがスムーズだよ。誰かを挟むと話がちゃんと伝わらないこともあるしね」
たしかに、今日も実咲は話を変えて葵人に伝えていた。舞美がバーベキューしたいと言ったのではないのに……。
咎めるほどのことではないが、ちゃんと伝わらないとモヤモヤしてしまう。
舞美はバッグからスマホを取り出した。葵人も上着のポケットからスマホを出す。
「ありがとうございます」
葵人は無事、連絡先を交換できて嬉しそうに笑った。子どものように目を輝かせる姿を舞美は思わずかわいいと思ってしまう。
自分よりも年上の人にそんな感情を抱くなんて……私はどうかしているのではないだろうかと困惑したが。