五月の大型連休最終日の朝、目覚めた舞美は窓から空を見上げた。青い空に白い雲がいくつか浮かんでいる。
朝晩は肌寒いが、日中は暑くなるらしい。バーベキュー日和になりそうだ。
ボトムスは動きやすいようにデニムパンツにして、黒のTシャツに黄色のシャツを着た。黒のキャップを被り、キッチンにいた奈美に声を掛ける。
「お姉ちゃん、こんな感じでどう? おかしくない?」
「おかしくないよ。元気そうで、いいね。そろそろお迎えが来る頃じゃない?」
奈美が丸い置き時計に視線を移した。
舞美はアイボリーのショルダーバッグを斜めがけにする。
「やばい、時間だ。行ってくるね!」
「行ってらっしゃい」
スニーカーを履いた舞美がマンションを出たとき、ちょうどマンションの前に白いセダン車が止まった。
車から降りてきた葵人が助手席のドアを開ける。
「おはようございます。どうぞお乗りください」
紳士的な葵人の対応に舞美は恐縮して「ありがとうございます」と乗り込んだ。舞美が座ったのを確認して、葵人は静かにドアを閉めた。
舞美は振り向いて後部座席にいる慎平に右手を振る。
「桑名くん、おはよう」
「おはよー。いやー、しかし、高見澤さん、俺に対する態度と全然違いますね」
「全然って……?」
舞美が首を傾げたとき、車が動きだした。
慎平が苦笑する。
「迎えにきてもらっている立場で文句は言えないんですけど、俺には窓を開けて乗ってと言うだけで、わざわざ外に出てドアを開けなかったのに、氷室には丁寧で親切だなーと」
「えっ? あ、そうなの?」
舞美は慎平に答えながら、涼しげな顔で運転する葵人に目を向けた。
葵人が気まずそうに口を開く。
「舞美さんには、優しくしたいですから」
「えー、俺にも優しくしてくださいよ」
「君に優しくしてくれる人は、別にいると思うよ」
「はい? 俺に優しくしてくれる人がいるって、誰ですか? 氷室か? 俺に優しいよな?」
「舞美さんは誰にでも優しい方ですが、特別桑名さんに優しくはないと思います」
葵人はちょっとムッとしていた。舞美は初めて見る苛立つ様子がおかしくて、笑った。
それにしても慎平に優しくしてくれる人とは、実咲のことだろう。
葵人も実咲の好きな人が慎平だと知っているようだ。二人はあまり仲が良い婚約者ではなかったと言っていたが、いろいろなことを話しているみたいだ。
舞美は葵人の横顔をジッと見つめた。赤信号で車を停止させた葵人が困ったような顔を舞美に向ける。
「えっと、舞美さん、どうかされましたか? 私の顔になにか?」
葵人は自分の顔になにかが付いているのかと頬をさすった。
「いえいえ、なんでもないです。あ、そろそろ着きますよね?」
舞美は何気なく見ていたのがバレて、慌てて話を変えた。
「はい、あと少しです」
「実咲たちは、今到着したみたいです」
舞美はスマホに届いたメッセージの内容を伝えた。実咲は京太の車で、香乃を含めた三人で向かっていた。
舞美たちは海の近くのバーベキュー場に到着して、トランクからクーラーボックスとキャリーカートを下ろした。クーラーボックスをのせたカートを慎平が押す。
葵人は場所を地図で確認しながら、慎平の隣を歩いた。舞美は背の高い二人に置いていかれないようにと、足を必死に動かした。
先に来ていた三人が椅子を並べていた。
バーベキューコンロとテーブルはバーベキュー場のスタッフが設置していて、椅子だけは必要な数を自分たちで運ぶらしい。
いち早く舞美たちに気付いた実咲が駆け寄った。実咲の服装は水色のカットソーに白のデニムパンツで、髪型は毛先を巻いたポニーテールだった。
「舞美―、おはよう!」
「おはようって言っても、もうお昼に近いけど」
「そうだね」
舞美は実咲と笑い合いながら、初対面の二人に会釈した。
「紹介するねー。こちらが葵人くんの妹の香乃ちゃん。今大学三年生だよ」
香乃は水色のシャツに白のデニムパンツは着ていて、実咲とリンクコーデでしたようだ。二人は姉妹のように雰囲気も似ている。
実咲に紹介されて、香乃は両手を軽く合わせて、丁寧にお辞儀をした。
「はじめまして、高見澤香乃です。今日はよろしくお願いします」
「氷室舞美です。こちらこそよろしくお願いします」
実咲は続けて、男性を紹介する。
「こちらの方が
「水谷京太です。葵人とは、高校からの友だちです」
「はじめまして、氷室舞美です」
実咲は慎平にも二人を紹介した。
慎平は二人に明るく挨拶をしながら、実咲をチラチラ見ていた。舞美は慎平を小突いて、小声で話す。
「実咲がそんなに気になるの?」
「かわいすぎだろ、あの髪型」
「たしかにかわいいよね」
慎平は初めて見る実咲のポニーテールに見惚れていたらしい。
ふとやるべきことを思い出したのか、慎平は準備を進めている京太のところに向かった。
京太と慎平が調理する係となり、肉や野菜をバーベキューコンロに並べていく。
あまり料理をしないという実咲と香乃は紙皿を持って、焼けるのを待っていた。舞美は野菜をカットしたあと、焼く側に加わる。
葵人はというと……スマホであれこれと写真を撮っていた。記録係のようだ……。
「舞美さん、こっちを向いてください」
「えっ、私?」
舞美は強張らせた表情を葵人に向ける。肉をひっくり返していた慎平が笑った。
「氷室、そんな険しい顔するなって。もっとニッコリしないと」
「ニッコリって……」
撮影のためとはいえ、葵人に笑顔を向けるのはどうかと躊躇う。香乃が自分のスマホを取り出して、葵人の肩を叩いた。
「お兄ちゃん、撮ってあげるから舞美さんの横に行ったら?」
「それは、ありがたい」
葵人は嬉しそうな顔で、舞美の隣に立った。
「京太、トング貸して。舞美さん、二人でポーズを決めましょう。こんなのはどうですか?」
葵人は左手を腰に当て、右手で持ったトングを空へと伸ばした。
なんともいえないポーズだ……。
スマホを構えていた香乃が呆れる。
「ちょっとお兄ちゃん、かっこよくもかわいくもなくて変だよ」
「変か? じゃあ、こっちに変えてみるか」
葵人はトングを左手に持ち替えて、右手を腰に当てた。右手と左手を変えただけで、ほとんど変わっていない……。
「ちょっとお兄ちゃん、ふざけないでよ」
「いや、ふざけてなんか……」
高見澤兄妹のやり取りに慎平が噴き出した。
「高見澤さん、それ、真面目にやっているんですか? 左右を変えただけじゃないですか」
「あ、そ、そうですよね」
葵人はトングをまた右に……また左に……そしてまた右にと何度も持ち替えていた、
いったいなにをしようと……舞美は目をパチクリさせる。
「葵人、もしかして緊張しているのか?」
京太に問われて、葵人はトングを両手で握り、ピタッと動きを止める。
「だって、ほら、舞美さんと初めてのツーショットだから、少しでも自然なポーズをしたいと思って」
「自然なポーズ?」
とても自然には見えない、不自然だ。
おかしな動きをしているというのに、葵人自身は真面目に考えていたようだ。
舞美はトングを持っていない手で口を押えて、肩を揺らした。笑ってはいけないと思うのだが、こらえきれない。
「フッ、フフッ、フフフフフッ」
変な笑い方になってしまった。
そんな舞美につられて、京太が笑う。
「舞美さん、おかしいですよね。葵人、舞美さんにウケているよ。よかったじゃないか」
「いや、ウケようとしているつもりはないけど」
「いいから、それもう返して。肉が焦げるから」
葵人がポーズを決めている間に肉がどんどん焼けていた。京太の分まで焼いている慎平が忙しそうだ。
葵人は「ごめん」と慌ててトングを京太に返した。
「お兄ちゃん、普通にピースをしたら?」
「そうだな。舞美さん、ピースしましょう」
葵人は両手でピースサインを作り、舞美に微笑む。舞美は「はい」と言い、トングを置いて葵人を真似た。
「これでいいですか?」
「はい、バッチリです」
「はーい。お二人とも笑ってー」
舞美は両手ピースで、香乃が構えるスマホに笑顔を向けた。
しかし、葵人がいつまでも舞美を見ているから香乃は撮れなくて、困った顔をする。
「お兄ちゃん! こっち向いてよ。撮るよー」
「ああ、悪い。つい、舞美さんがかわいくて」
葵人は慌てて、正面を向いた。舞美がチラッと見た葵人は浮かれているような表情をしていた。
実際、浮かれていたらしい……。