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第3章 好きです

第15話 いつまでも待つ?

「好きです」


 オフィスを出た舞美が駅に向かって歩き出したとき、目の前に赤いチューリップが現れた。それを持っているのは、葵人だ。

 舞美は目をパチクリさせる。

 今、なにを言われた?


 好きですと聞こえたけれど……気のせいだろうか?

 葵人は反応しない舞美に小首を傾げた。


「舞美さん? こちら、チューリップです」

「チューリップなのは、わかります」


 さすがにチューリップは舞美でもわかる花だ。子どもの頃から親しみがあったし、学校や公園などいろんな場所で見た。有名な童謡は何度も口ずさんことがある。


 聞きたいのは、そういうことではない。


「花言葉は知らないのですけど、もしかして……」

「愛の告白です。だから、舞美さんへの想いをお伝えしましたた」

「そう、そうですか……」


 舞美は頭を抱えたくなった。なんとなく予想していたとおりの花言葉を聞かされて、どうしてここで言うのかと怒りに近い感情が湧きあがってくる。

 人が多く行き交う夕方の道で、言うことではない。


 葵人はそんな舞美の気持ちをまったく察していないようで、目を輝かせていた。舞美が喜んで受け取るのを待っているみたいだ。

 前にも思ったが、花に罪はない。受け取ろうと手を伸ばしかけた舞美の耳に、いくつかの声が入ってきた。


「ねえねえ、愛の告白とか言ってたよ」

「あの人、やばくない?」

「チューリップ持って、告白? すごーい」


 聞こえていないのか、周りの声など気にならないのか、葵人はずっと舞美を見続けている。

 舞美は周囲の人たちのジロジロと見る目に耐えられなくなり、チューリップを持つ葵人の手首を掴んだ。


「こっちに来てください」


 退社したばかりの緋衣ハウジングに戻った。舞美は誰もいないロビーの隅まで葵人を引っ張っていく。

 葵人は掴まれた手首を何度も見ながら、舞美の動きに合わせた。

 端のテーブルの前で立ち止まった舞美は、葵人の手をパッと放す。


「ごめんなさい。つい引っ張ってしまって」

「いいえ、謝らないでください。私は嬉しかったです」

「えっ、嬉しかった?」

「好きな人に触れられたら、嬉しいに決まっているではないですか」

「は? いえ、そんなつもりでは……」


 そんなつもりではないのなら、どんなつもりなの?

 舞美は答えながら、心の中で自問自答した。


「いいんですよ。そんな照れなくても大丈夫です」

「照れてなんて……」

「私のせいですよね? 公衆の面前で伝えてしまって、すみません」


 一応自分のしでかしたことをわかっているようだ。だが、すみませんと言いつつも悪いとは思っていないように感じられる。

 舞美は腰に手を当て、ため息をついた。


「座りましょうか……」


 「はい」と返した葵人が座るのに合わせて、舞美も腰を下ろした。

 テーブルに置かれたチューリップは、なんだか行き場を失ったみたいで儚げだ。かわいい花なのに……。


 舞美はチューリップから葵人に視線を動かした。葵人はずっと舞美を見ていたようで、二人の視線が交わる。

 目が合った瞬間、舞美は先ほどの告白を思い出した。唐突すぎて、言われたことをわかっていてもちゃんと受けとめていなかった。


 好きです……シンプルだが、わかりやすい告白をされた。

 この人が私を好き?

 これまでも好意を向けられていたのだから、今さら認識するべきことではない。


 舞美はジッと見つめる視線をフイッと逸らした。いつまでも見交わしているのは、なんだか照れくさい。

 徐々に熱くなっていく自分の顔を両手で覆って、俯いた。


「どうして……」

「はい?」


 舞美のくぐもった声を聞き漏らさないようにしたのか、葵人が前のめりになる。


「どうして困ることばかり、言うんですか?」

「困らせるつもりはないです。ただ私の気持ちをたくさん伝えたくて……チューリップ、嫌いですか?」


 舞美は「えっ?」と顔を上げた。いまだに舞美を見ていた葵人とふたたび目が合うが、咄嗟に視線をチューリップに移した。


 かわいらしい花で、見ていると心が和む。チューリップに対して、嫌な感情は出てこない。


「嫌いではないです。かわいいお花だと思います」

「では、私のことは嫌いですか?」

「えっ……高見澤さんのことは……」


 チューリップのことを聞くのと同じように尋ねられて、どう答えたらいいのかと迷う。

 バーベキューのときに好きでも嫌いでもないと思った。

 今も変わっていない……たぶん。


 葵人が右手を自分の胸に当てた。


「私のこと、どう想っていますか?」

「高見澤さんは……」

「はい」


 葵人は姿勢を正して、舞美の言葉を待った。


「実咲や京太さんから会社を継ぐためにいろんなことを頑張っていたと聞きました。真面目な方だと思っています」

「真面目だと言ってもらえるのは嬉しいのですけど、そういうことを聞きたいのではなくて……」

「ごめんなさい!」

「えっ?」


 葵人が聞きたいのは、自分に好意があるかないかだろう。

 真っ直ぐに想いを伝えられて、舞美の心は揺れ動いている。

 でも、受け入れる勇気が出ない。


 謝られている意味がわからなく戸惑っている様子の葵人に、舞美はふたたび「ごめんなさい」と伝える。

 葵人さらに困惑しているようだ。


「どうして、何度もごめんなさいと?」

「高見澤さんの気持ちは、嬉しいです。こんな私を好きになってくれて、私のためのお花も用意してくれて」


 舞美はチューリップに手を伸ばし、白のリボン部分を握って持ちあげた。


「よかった、受け取っていただけるんですね」


 葵人は安心した笑みを浮かべる。


「お花は受け取ります。ありがとうございます」

「私の気持ちは……」


 葵人の表情が曇った。舞美は心苦しくなる。


「ごめんなさい。今は受け取れません」

「先ほどからのごめんなさいは、そういう意味でしたか。でも今はというと、いつか受け取ってもらえる可能性があるということでしょうか?」


 舞美はチューリップをテーブルに戻す。


「すごく身勝手ですが、考える時間をください。今はハッキリとした答えが出せなくて……ごめんなさい」

「そんな、謝らないでください。舞美さんが悪く思うことは、なにもないですよ。舞美さんを悩ませてしまう私が悪いんです。すみません!」

「いえ……」

「京太にグイグイいくのはよくないと言われたけど……それだと自分らしくないように想えて……でも、やっぱりいけなかったですね。本当にすみません」


 葵人はハッキリとしない舞美を責めないで、自分が悪いと謝った。

 何度も……。

 真面目で優しい人だ……舞美の心がじーんと熱くなる。

 葵人は言葉を続けた。


「答えが出るまで、いっぱい考えてください。いつまでも待ちます。舞美さんが私のことを考えてくれるだけで、嬉しいですから」


 待つことを嬉しいと言われて、舞美は思わず笑う。


「高見澤さんって、真面目なのにやっぱりおもしろいですね」

「そんなおもしろいことを言ったつもりはないんですけど……」


 葵人は口もとを右手で覆って、顔を背けた。そんな葵人の頬にはほんのり赤みがさしていた。


「高見澤さん、もしかして照れています?」


 葵人の目が舞美へと動く。


「舞美さんの笑顔がかわいいから……。舞美さんの笑顔、大好きです。また笑ってもらえるよう、努力しますね。今度お会いできるときには、おもしろいことを言えるように考えます」

「あの、しばらくお会いしないでいたいのですが」

「えっ、会っていただけないのですか? どうして?」

「しっかりと自分の気持ちに向き合いたいんです。高見澤さんに会ってしまうとなかなか気持ちが定まらないような気がするので」

「そうですか……しばらく会えないなんて、寂しい……」


 葵人はシュンと肩を落とした。


「ごめんなさい」

「大丈夫です。いつまでも待ちますから」


 先に帰っていく葵人の背中には哀愁が漂っていた。舞美は葵人がオフィスの外に出たのを確認して、立ち上がる。


 帰ろう……帰って、このチューリップを飾ろう。


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