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第17話 おすすめされても

 今まで葵人が使う一人称は、『わたし』だった。誰に対してもそうだと舞美は思っていたのだが、違ったようだ。


 たぶん京太や実咲の前では『俺』を使っていたのだろう。二人はビックリする舞美を不思議そうに見た。


「もしかして葵人、舞美ちゃんの前では『私』と気取っていたのか?」

「気取っては、いない。丁寧に話しただけだ。印象をよくしたいから……」


 ムッとしながら話す葵人の声は、徐々に小さくなっていった。気まずそうな顔を舞美に向ける。


 葵人の言葉遣いは、いつも丁寧だった。会社の後継者らしく子どもの頃から厳しく教育されてきたからなのだろうと、舞美は勝手に解釈していた。


 気心の知れた人には、くだけた話し方をするとわかり、普通の人だなと安心する。

 なんだか心がほんわかした舞美に、葵人が謝った。


「すみません。雑な話し方をして……」

「いいえ! そういう話し方でいいです」

「そういうとは?」

「普段京太さんや実咲に話すような口調で、私にも話してください」


 葵人は「そうですか」となにかを考えるように、壁に顔を向けた。

 舞美はサラダを食べながら、返事を待つ。

 葵人が「わかりました」とふたたび舞美に目を向けた。


「舞美さんも敬語を使わないでください。お互い、親しくなるために敬語を使わないようにしましょう」

「えっ、私も、ですか?」

「もちろん。どちらもじゃないと意味がないでしょ?」

「そうでしょうか……」


 舞美が戸惑っていると、実咲が口を挟んだ。


「舞美、難しく考えなくていいんだよ。私に話すように、葵人くんや京太さんに話したら?」

「でも、あちらは年上だし……」


 舞美は躊躇った。

 年上の葵人と京太が敬語なしで話すのは、問題ないと思う。自分は年下なのに、生意気なのではないか……実咲のように昔から知っているのならいいけれど。


「いきなり敬語なしは難しいよね。徐々でいいと思うよ。それよりも今は食事を楽しまない?」


 京太の気遣いに、舞美は安堵した。


「ありがとうございます、徐々になら、なんとか変えられそうです。サラダのドレッシング、美味しいですね」

「あ、私も思った。美味しいよね」


 実咲が同意すると、葵人も相づちを打つ。


「うん、美味しいね。洋介さん特製?」

「そうそう。自慢のドレッシングだって」


 京太さんの答えに三人が納得する。


「どおりで美味しいはず」

「だから、美味しいのね」

「さすがだな」


 美味しい料理を食べることで、緊張しない話し方になった。それからは、他の料理の感想を言い合いながら、楽しく食事を進めた。


 最後にバニラジェラートとティラミスがそれぞれの前に置かれる。他にもデザートはあるが、まずは定番を食べてもらいたいと洋介がスタッフと運んできた。


「いただきます……わあ、美味しい!」

「美味しいね」


 舞美と実咲は顔を見合わせて、うんうんと頷いた。葵人と京太も「美味しい」と頬を緩める。

 洋介が安心したように、微笑んだ。


「葵人くんと、そちらの実咲さんでしたっけ? 京太に、お二人は舌が肥えているから厳しい評価をするかもしれないと脅されたんですよ。なので、口に合わなかったらどうしようかと心配でした」


 京太が焦った声を出した。


「ちょっと、待って。脅してはいないから。人聞きの悪いことを言うなよ」


 葵人が苦笑する。


「まったく、京太は……兄さんの料理はどの店のよりもうまいんだと自慢していたのに。洋介さん、ほんと美味しかったです。他の料理も食べたいので、また来ますね」

「葵人くんに褒めてもらえて、嬉しいよ。ぜひまた来て。今度は彼女とでも」

「彼女……そうですね。二人で来られるよう、がんばります」

「ん? 葵人くん、彼女いないの?」

「はい……好きな人はいるんですけど」


 葵人はチラッと舞美に視線を向けた。舞美は思わず、顔を背けてしまう。

 洋介が小首を傾げる。


「好きな人に告白しないの? 葵人くんなら、誰でもオーケーするでしょ? イケメンだし、性格もいいし」

「え、そんな簡単には……」


 自信なさげにする葵人の肩に、京太が手を置く。


「葵人ほどのいい男はいないよ。真面目で優しいしね」


 京太は言いながら、舞美を見た。友人をおすすめしたいようだ。


「うん、葵人くんは優しいよ。ちょっとずれているところはあるけど、正義感が強くて、曲がったことはしない」


 実咲も舞美に向けて、話した。

 みんなからおすすめされても、困る……。舞美も葵人がいい人なのは、認めている。ちょっとおかしな行動はするけれど。

 でも、この場でどう答えたらいいのか……。


「ちょっと! 京太も実咲も舞美さんを困らせることを言わないで。舞美さん、二人の言うことは気にしなくていいから」


 舞美は葵人に「はい」と小さな声で返す。


 葵人は自分でも自分がおすすめだとアプローチするのではないかと、舞美は危惧した。

 だが、違った……思えば、気持ちを何度も伝えてきたが、強引に迫るようなことはしていなかったような……。

 葵人なりに、舞美の気持ちに寄り添ってくれているのだろう。


「舞美さんの答えが出るまで待つと言ったのに、待てなくて申し訳ない」

「いえ、あの、ずっと待たせている私が悪いんです。いまだに答えが出せなくて……でも、今日は会えてよかったです」

「ほんとに?」


 葵人が身を乗り出したので、舞美はビクッと肩を揺らした。京太が葵人を「おいおい」とたしなめる。


「行動がちぐはぐになっているぞ。落ち着けって」

「あ、ごめん。つい嬉しくなって」


 葵人は浮かせた腰を落として、椅子に座り直した。


「舞美さん、一か月も会えなくて寂しかったです。まだ答えを出さなくてもいいけど、たまに顔を見せてもらえないかな?」

「たまに……?」


 たまにとは、どのくらいの頻度だろうかと舞美が疑問に思っていると、京太がまた口を挟んだ。


「たまにとか言いながら、一日置きにしようとしていないか?」

「一日置きなら、たまにだよな? 毎日じゃないし」


 葵人の考えるたまには、一日置きだったようだ。

 京太が指摘する。


「いやいや、一日置きはたまにじゃない。一瞬間に一度くらいがたまにだろう」

「は? 少ない。一週間に一度では、俺の寂しさが埋まらない……舞美さんは、どのくらいがいいと思う?」


 ちゃんと舞美の意見を聞こうとしてくれるのは嬉しいが、葵人が納得してくれるか不安になった。

 それでも、希望を伝えなくては……。


「私は、一週間に二回がいいかなと思います」

「なるほど、二回か」


 葵人は顎に手を当て、ふむと頷いた。

 すんなりと納得してくれたようで、舞美は胸を撫で下ろす。

 しかし、安堵するのは早かった。


「では、土曜日と日曜日でどう? 休日なら一緒にいられる時間が長いよね」

「ええっ!」


 まさか会う二日を土日で考えるとは……予想外の提案で舞美はビックリした。


 一週間に二回と言ったのが悪かった。

 三日置きとか四日置きとか、言うべきだったのだ。

 舞美は自分の発言を撤回したくなった。もう遅いのだろうか?


「あの、休日はちょっと……」


 静かにコーヒーを飲んでいた実咲がクスクスと笑う。


「葵人くんは真剣に考えているんだろうけど、やっぱりおもしろいね。でも舞美、休日に会うのはいいかもよ」

「えー、どうしてー?」

「朝から夜まで一緒にいたら、お互いをよく知れると思うよ。そうしたら、

早くに答えを出せるんじゃない? やっぱり合わないなとか」

「あー、そうだね……わかりました。土曜日と日曜日にしましょう」


 舞美も早くに答えを出したかった。

 京太が「ヨシ」と手を合わせる。


「決まりだね。葵人、舞美ちゃんの寛容な決断に感謝したほうがいい」


 葵人は頷いて、舞美を見つめる。


「舞美さん、ありがとうございます! 楽しんでもらえるプランを考えるね。まずは、明日かな?」


 明日は日曜日だが、さすがに急な話だ。

 葵人はこの機会を逃すものかと思っているのかもしれないが、舞美にとってはものすごく困る話になる。


「ごめんなさい。明日は、ちょっと用事があるので」


 部屋の掃除をするくらいの用事だが……。


「あー、残念」


 次に会うのは一週間後と約束をして、舞美たちは帰り支度をした。


「ごちそうさまでした。洋介さん、長居してすみません」


 見送りに出てきた洋介に、葵人は頭を下げた。

 レストランに着いたときはまだ外が明るかったけれど、今は暗い。

 洋介は柔和な表情で首を横に振る。


「大丈夫だよ。今日は来てくれて、本当にありがとう。またぜひ来てください」


 洋介は、ひとりひとりに顔を向けた。

 舞美と実咲は「はい」と笑みを浮かべる。

 美味しい料理と居心地のいい空間、また来たいと心から思った。

 終わりのほうで疲れが出たが、楽しいひとときだった。


 外に出ると、運転手の小島が迎えに来ていた。

 実咲に続いて、車に乗ろうとした舞美は葵人に腕を掴まれた。


「舞美さん」

「はい?」


 舞美は動きを止めて、葵人に向き合う。


「家まで送るよ。ぜひ送らせて」

「え、いえ、小島さんに駅まで送ってもらって、電車で帰るので大丈夫です」


 実咲が「舞美」と車から顔を出した。


「葵人くんに送ってもらいなよ。予定より遅くなっちゃったから。電車よりらくでしょ?」

「ええっ! でも……」


 なんで実咲はそんなことを言うの?

 戸惑う舞美に、小島が話す。


「送ってもらったほうがいいと思いますよ。夜の電車は酔っ払いがいるかもしれないですし、夜道も危険ですからね」

「そうだよ、危険がいっぱい。葵人くん、舞美をよろしくね。小島さん、行きましょう」

「はい」


 実咲に返事をした小島は、後部座席のドアが閉めて運転席に急いで回った。

 走りだす車に舞美は「待って」と手を伸ばすが、闇の中に残される。

 実咲に置いていかれたら、葵人に送ってもらうしかない……。

 舞美は観念して、葵人に頭を下げた。


「葵人さん、よろしくお願いします」

「安全運転を心掛けるから、安心して」

「はい……」


 葵人の運転する車には、バーベキューのときに乗った。静かな運転で乗り心地がよかった。だから、運転面での心配はない。

 心配なのは、車の中でのことだ。

 ここから自宅まで車で一時間くらいかかる。バーベキューのときは慎平もいたけれど、今日は二人だけだ。


 一時間もなにを話したらいいのだろうか。

 なにも話さないでいるのは空気が重くなりそうだ。


 今日のことや今後のことを電車で揺られながら、考えようと思っていたのにこんなことになるなんて……舞美は頭を抱えたくなった。


 葵人の車に乗った舞美は、ゆっくりと助手席のシートベルトを締める。

 レストランの閉店まで残るという京太が二人に「気をつけて」と手を振った。



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