「一時間くらいのドライブだと思って、気楽にしてね」
舞美は意気揚々とする葵人に「はあ」と気の抜けた返事をする。
ドライブと言われても、楽しめそうではない。
「今日、車で来てよかった。洋介さんにワインを用意していると言われて、 電車で行く予定だったんだけど、急な仕事が入って会社から直行したんだ」
「今日、お仕事だったんですか?」
「うん。実は土日でも仕事のときがあるから、土日に会おうと決めたけど、会えない日もあると思う。ごめんね」
「いえ、私は全然大丈夫です」
「ホッとした? ガッカリした?」
舞美は「え?」と運転する葵人を見た。
今の聞き方は、ちょっと意地悪な聞き方のような気がした。
丁寧な話し方をする葵人だったら「ホッと安心しています? ガッカリしてくれると嬉しいのですが」……と、こんな感じだろう。
口調が変わって親しみやすいというか、話しやすい感じはする。いいことだと思うのだが、くだけた口調にまだ慣れなくて困惑してしまう。
舞美自身も徐々に敬語をなくそうとは思うが、タイミングが難しい。
「ちょっとだけ、ホッとしました」
舞美が答えると、葵人が笑う。
「舞美さんのそういう正直なところ、好きだよ」
「えっ、そ、そうですか」
いきなり好きだと言われて、舞美の顔は熱くなった。熱の帯びた顔を葵人に気付かれないように、俯かせる。
サイドの髪で隠れそうだと安心したのは一瞬で、横から伸びてきた手で髪を持ち上げられた。
車は赤信号で止まっていた。
「どうした? 具合悪い? 車酔い?」
葵人の心配する声が耳に届き、舞美は首を横に振る。
「具合、悪くないです。なんでもないので、気にしないで」
「わかった。でも、少しでも気分が悪くなったら言ってね。すぐに止まるから」
「はい、ありがとうございます」
舞美はまだ熱い頬を触りながら、気遣ってくれる葵人の横顔をそっと見た。
真剣な顔で運転する姿は、凜々しい。
なんだか、惚れてしまいそう……えっ、私、今なにを思った?
ダメだってば、こんなことを思うなんて!
舞美は動揺して、顔を横の窓に向ける。窓にうっすらと映る自分の顔には焦りの色が現れていた。
葵人に「舞美さん」と呼ばれ、舞美は顔を左から右へと動かす。
「はい?」
「来週、行きたいところとか、したいことある?」
「行きたいところ……んー、咄嗟に思い浮かばないです」
「そうだよねー。定番なお出かけと言ったら、どこだろう?」
舞美の脳裏にふと、映画館が浮かんだ。
映画の上映時間はだいたい二時間だ。その間は、話をすることもなく、静かに時間が過ぎていく。
いいかも!
「映画はどうでしょう?」
「映画かー、いいね。舞美さんはどんなジャンルが好き?」
「どんな……アクションとかサスペンスとか、ハラハラドキドキするのをよく観ます」
「俺も、アクションもサスペンスも好き。今、話題になっているサスペンス映画、あったよね?」
意外にも好きなジャンルが同じとは、嬉しい。舞美の声が弾んだ。
「あります、あります! 観たいなと思っています」
「うん、観よう。どこの映画館がいいか時間も調べて、連絡するね」
「はい、楽しみです!」
「映画デートだね」
舞美は「ん?」と首を傾げる。
さらりと言われたワードを聞き流せなかった。
勘違してもらっては、困る。
デートの約束をしていない。
「デートでは、ないですよ?」
葵人が気まずそうな顔をした。
「ごめん……デートみたいだなと浮かれました。一緒に映画を観る、それだけだよね?」
「そうです」
「うん、わかっている」
葵人は自分自身を納得させるかのように頷いていたが、その様子がどことなく寂しそうだった。
落ち込んでいるのか、葵人は口を閉ざしてしまった。舞美もなにも言えなくなり、車内に流れる洋楽バラードを聴きながら外に目を向ける。
グループで楽しそうに歩く人たち、寄り添うカップル、前をしっかりと見て歩く人……いろんな人が目に入った。
地球上には多くの人がいる。その中で、どうしてこの人は私を選んだのだろう。
もっと合う人がいると思うのに……そんなことを考えていると、車はマンションの停車スペースに到着した。
「舞美さん、今日はこちらのお願いを受けてくれて、ありがとう」
「お願い?」
舞美はどんなお願いをされたのかと考える。
身に覚えがなかったからだ。
「会いたいというお願いを聞いてくれましたよね?」
丁寧な口調に戻った葵人に見つめられ、舞美はドキッとした。
「それは、実咲に……あ、葵人さんが実咲に頼んだのでしたよね?」
「そうです。断られるかもと心配だったけど、今日お会いできて、嬉しかったです。楽しい時間になりました」
「私も、楽しかったです」
ちょっと困ることもあったけれど、全体的には楽しい食事時間だった。
舞美の返事に葵人の表情がぱあっと明るくなる。
「よかった、楽しかったと言ってくれて。嬉しすぎて、今日は眠れそうにないな」
「葵人さん」
「ん?」
「ちゃんと寝てください。お仕事や運転をして、お疲れでしょうから」
葵人が頷く。
「本当に舞美さんは優しいね。こんな俺を気遣ってくれて、ありがとう!
寝る前に今日の舞美さんを思い浮かべるね」
「いえ、私なんか思い浮かべなくても……」
「じゃあ、なにを思い浮かべたらいい?」
「なにを? えっと、あ、降りないと他の車の迷惑になりますよね。今日は送っていただき、ありがとうございました。気をつけて、帰ってくださいね!」
舞美は早口で言い、急いで車を降りた。
一応停車スペースではあるが、長時間の停車は避けたほうがいい。
突然テキパキと動く舞美に、葵人は困惑しているようだった。だが、すぐに笑顔見せて、手を振る。舞美は車が走り出してから、手を振り返した。
きっと葵人は、バックミラーで確認しただろう。
映画館を観る日は、なにを着ていこうかな。
そんなことを考えながら部屋に入ると、ビールを片手にテレビを観ていた奈美が微笑んだ。
「食事、楽しかったみたいね」
「えっ?」
「浮かれた顔しているもの」
舞美は「ええっ!」と頬を両手で押えた。
浮かれた顔って、どんな顔?
「そんな別に浮かれることなんてないし、浮かれていないよ-」
「美味しくなかったの?」
「えっ? あ、ううん! すごく美味しかったよ」
「お腹が満足したから、浮かれていたんじゃないの?」
「あ、そうそう。お腹が満足で、浮かれていた」
舞美は満足した胃袋のあるあたりに手を当てる。
「なんか怪しい! 今、なにを考えながら入ってきた? 浮かれていたのは、食事のことじゃないの?」
奈美から鋭い質問をされて、舞美はギクッとした。
奈美は子どもの頃から舞美のちょっとした表情の変化によく気付いた。落ち込んだときは励ましてくれ、嬉しかったときは一緒に喜んでくれた。
優しい姉ではあるが、洞察力が優れているから隠し事をしてもすぐバレるのが困りものだった。
今も答えにくい質問をされて、舞美は動揺を隠せなくなった。
「あはは……別になにも考えていないよ。食事以外に浮かれることもないし」
「怪しい。そういえば、今日は花をもらっていないの?
「花男って……うん、いたよ。ここまで送ってもらった」
「わかった! 送ってもらう車の中でいいことあったんでしょ?」
「いいことなんて、別にないよ。あー、映画を観に行くことになったけど」
「その話、詳しく聞かせなさい!」
自分の部屋に行こうとした舞美は奈美に腕を掴まれて、今日のことを一部始終言わされた。
奈美は舞美が困ったということに、大きな口を開けて笑った。
「あー、おもしろい」
「全然おもしろくないよ」
「花男、いいと思うよ」
「じゃあ、お姉ちゃんが付き合う? 紹介しようか?」
「それ、本気で言っている?」
奈美に真顔で返されて、舞美は肩をすくめる。
「冗談です……」
冗談でも自分に好意を示している人に、他の人も紹介できない。葵人にも
奈美にも失礼なことだ。
舞美は失言を反省して、やっと自分の部屋に入った。
部屋着に着替えてスマホを見ると、葵人からのメッセージが届いていた。
候補の映画館が二つと、それぞれの上映時間の連絡だった。
どこの映画館でもいいが、たぶん葵人は車で迎えに来るだろう。近くに止めやすい駐車場があるだろうかと調べる。
駐車場を調べた上での候補らしく、どちらの映画館も近くに駐車場があった。それならば、なにを基準に選ぼう。
スクリーンの大きさかな……カップルシート?
どちらにもカップルシートありとの表示があり、舞美の目がそこに釘付けになった。
もしかして、葵人はカップルシートを利用したくて、この二つを選んだのでは?
でも、普通のシートのほうが多いから違うかもしれない。
考えすぎだと首を微かに振っていると、また葵人からメッセージが届いた。
『どちらにもカップルシートがあるので、ご安心を!』と。
まさか舞美がカップルシートを望んでいると思っているのだろうか……。
舞美が『普通の椅子がいいです』と返すと、『そうですか』としょんぼりした様子の返事が届く。
舞美は座席の多いほうを選び、時間は葵人にお任せした。午後一時に迎えに行くと連絡が来て、舞美はホッとする。
よかった、朝から会うことにならなくて……安堵した舞美はベッドに横たわり、目を閉じた。
なんだか疲れた日になった……。