まずエレオノーラの目に飛び込んできたのは、ベッドに散らされた薔薇の花びら。
もうこの時点でアウト。
そしてカーテンの閉じられた部屋は薄暗く、アロマキャンドルの柔らかな光が昼間とは思えないしっとりとした雰囲気を演出していた。
これでツーアウト。
最期がベッドサイドに置かれた一式だ。
一瞬しか見ていないが、謎の液体が入った小瓶やら盥やらタオルやら、普段寝るときには必要ないであろう小物が並んでいた。
たぶんあれは潤滑油とか、身体を清める為の道具だろう。
言い訳の余地なくスリーアウト。
(そういうことをするつもりで家に誘ったと誤解されるじゃない!!!!)
「違うんです。部下が勝手に~」なんて、言い逃れはできない。
恋人にすらなっていないのに、あんな部屋に招くとか身体目的だと言っているも同然だ。
「使用人が準備したのであれば、散らかっているとは思えませんが、どんな部屋でも俺は気にしませんよ」
「いや、あの。余計なものがあったというか、お前の目には触れさせたくないというか……」
ガッチリとドアノブ握りしめたまま、言葉を濁した。
「……俺はレオナルド様に不埒な想いを抱く男ですからね。寝室に入れたくなくなるのも当然です」
ノアの口から予想だにしない言葉が出てきて、ぎょっとした。
「そんなこと考えたこともない!」
不埒なのはローズマリーの頭だ。
「いいんです。わかっています」
「わかってない。違うと言っているだろう!」
くるりと身を翻したノアの腕を掴もうとして、先ほど力加減を間違えてアルフレッドの腕に痣を作ってしまったことを思い出した。
咄嗟に壁に手をついて、ソファに戻ろうとするノアを立ち止まらせる。
「顔を上げてくれ。誤解だ」
それでもノアは俯いたままだ。
もう片方の腕も塞がってしまったので、レオナルドは身をかがめて顔を覗き込んだ。
「私の目を見てほしい。お願いだ」
顔を近づけると、ノアがぎゅっと目を閉じた。
(え?)
肌が白いので、頬が紅潮しているのがよくわかる。
(こ、これって……)
何も考えていなかったが、この構図はあれではないか。
ローズマリーの参考文献にあった壁ドンというやつだ。しかも顔を近づけた今の体勢は、キスしようとしているみたいだ。
無言で目を閉じたということは、ノアも同じことを考えたのだろうか。
(その反応はカモンなの? ウェルカムと考えていいの!? それとも、いざその場になったら怖くなったとか!?)
キスされる覚悟で目を閉じたのか、実際に迫られたら嫌だと感じてしまい身を固くしているのか判断がつかない。
(どっちなのか聞くべき?)
都合よく解釈してノアを傷つけたくない。無粋だろうがノアの意思を確認すべきだろう。
「ノア。その――ちょっと待て。ローズマリー、何故お前がそこにいる」
「そろそろ始まったかな、と思いまして。不測の事態に備えて寝室の外に待機しようかと」
「……」
何が始まったと考えたのか確認したくもない。
「わたくしのことはお気になさらず続けてください」
「いや無理だろ」
「主人にとって使用人は家具のようなものです。部屋に家具が一つ増えたところで、気になさる必要はございません。どうぞ続きを」
「いやお前は人間だから気になる」
「どうぞ続きを」
退室する素振りもなく、ガン見してくる自称家具にエレオノーラは半眼になった。
人に見られてする趣味はない。
「ローズマリー。五分待ってやるから、あの部屋を片付けろ」
「必要なものは全てご用意させていただきましたが、なにか不備がございましたか」
「不足じゃなくて余分な物が多すぎる。全部撤去だ」
「……かしこまりました」
エレオノーラの命令に、ローズマリーは若干不満そうな顔をした。
*
ローズマリーの登場でムードがぶち壊しになった後、衣装を確認したノアはあっさり帰宅してしまった。
一度駄目になってしまった雰囲気は、短時間では復活しなかった。
これからの話どころか、告白の返事すらできていない。
借り物を受け取る名目でノアの家を訪ねて話せばいいのでは、と目論んだのだが、なんと翌日ルキウス公爵家の使用人が一式届けに来てしまった。仕事が早すぎる。
「これって避けられてるんでしょうか?」
「俺に聞くな」
「そうですよ。カルロ殿下の恋愛経験なんて、四歳で乳母に初恋して一ヶ月と経たずフラれたきりなので何の参考にもなりませんよ」
「待てこら。どうして知ってるんだ」
「殿下の側近になる際に引き継ぎで知りました」
「なんでそんな情報引き継ぐんだ! 要らないだろ!」
「いえ、恋愛遍歴は重要ですよ。過去に関係があった相手には配慮しなければいけませんし、経験が浅すぎたらハニートラップ対策を強化する必要があるので」
「そ、そうなのか」
言われてみれば尤もだ。昔付き合っていたとか、袖にされた/した相手だと知らなければ、余計なトラブルを引き起こしかねない。
「王族の方は大変ですね」
「王族に限らず貴族の側仕えであれば、少なからず主人の人間関係は把握しているものですよ」
「うちは伯爵家ですが、私のことも同じように把握されているんでしょうか」
「エレオノーラ様の場合は、幼い頃に婚約されてご自身は一途。お相手が公爵令息ということで、余計な虫が寄ってくることもなかったのでどうでしょうね」
「言われてみれば、そうですね」
エレオノーラは中堅どころの伯爵家の一人娘だが、言い寄ってくる男はいなかった。
男にとって可愛げのない女だからだと思っていたが、エレオノーラが靡きそうにないタイプで、ノアという優良物件が隣にいたからかもしれない。
「お喋りはそのくらいにしろ。本題に入るぞ」
今日はいつものようにエレオノーラが突撃したのではなく、カルロから呼び出されたのだった。
「これが任務の詳細だ。速やかに準備に入れ」
「……ベリタス側の人員は最低限といった感じですね」
「あっちは敗戦国だからな。こちらから人数の制限はしなかったが、我が国に恭順する意を示しているんだろう。……志願者が少なかっただけかもしれないがな」
「セレスティア殿下は、十三歳ですか」
若いを通り越して、幼いと言っていい。
カルロとは年齢差があるが、一番年の近い未婚の王女が彼女だったのだろう。
和平のための輿入れとあるが、実際は人質だ。
セレスティアがいるリオルトに武力行使したら、ベリタスと縁を結んでも簡単に裏切られる、彼の国との政略結婚に意味はない、と周辺諸国は今後の輿入れを突っぱねるだろう。
ベリタスの王女がリオルトにいることが重要なので、セレスティアの年齢を理由に婚姻は当分先の予定だ。
「先代と側室の間に生まれた娘らしい。あまり表に出ず、後宮で慎ましく暮らしていたとあるが、正確なところはわからん。母親の出自も大したものではないし、放置されていただけかもな」
国王の寵愛を受ける姫が欲しいなどとは、ベリタスも考えてはいない。
ベリタスにおけるセレスティアの価値がどんなものであれ、王女の肩書を持つ存在を差し出すことに意味があるのだ。
国同士の政略結婚なのでカルロも拒否するつもりはないが、仮面夫婦となり頃合いを見て側室を迎える可能性はある。
「雨の少ない季節なので、このスケジュールなら予定通りに進行できるでしょう」
今回レオナルドは「輿入れのためにベリタスからやってくる王女一行の護衛」を命じられた。
騎士団長であるレオナルドが、わざわざ隊を率いて国境まで迎えに行くのは、一国の王女に対する敬意を示すのと同時にベリタスを威圧するためだ。
なにせレオナルドはリオルトの英雄だが、ベリタスにとっては悪魔のような男。
喉元過ぎて熱さを忘れる頃に、今一度レオナルドの姿を見せておこうということだ。
「女性騎士の動向許可が出ているが、どうするんだ?」
「もっと人数に余裕があれば連れて行くところですが、今はギリギリのシフトで回している状態なので止めておきます」
元より人数の少ない女性騎士だが、訓練中の事故で欠員が出てしまっている。
「その辺りの判断はお前に任せる。精々役目を果たしてくれよ、英雄様」