「容赦ないんだからもう。うわー、手の痕がくっきり残っちゃってる」
「……すまない」
事前に説明がなかったことに釈然としない気持ちになりつつ、力づく制圧したことをエレオノーラは詫びた。
「お部屋にいらっしゃったら『レオナルド様付のメイドになった、ブライアンの孫のアルフィーです』と自己紹介するつもりだったのに、まさか目が合うなり拘束されるなんて思いませんでしたよぅ」
自由になった手首をぷらぷらさせ、アルフレッド(女バージョン)は口を尖らせた。
「……どうして事前に説明しなかったんだ?」
「靴が届いたのが今朝だったからです。オレ――じゃなかった、わたしの足が小さすぎて取り寄せになることはご存じでしたよね」
身長は平均より少し低い程度だが、力をいれたら簡単に折れそうなほど手足が細い。
エレオノーラは、小柄なメイドの足下をチラリと見た。
真新しい靴に包まれた足は、小さいからかお人形のようだった。
「そういえばブライアンが、そんな感じのことを言っていたな」
部屋で一度魔導具を試してみた結果、メイド服は伯爵家の備品として用意している物で事足りたが、靴はサイズが合わなかった。到着次第ブライアンの代役を務めると報告されていた。
「しかし、なにも今日でなくてもいいだろう」
「レオナルド様には専属メイドがいなかったでしょう。まさかお嬢様付のローズさんが対応するわけにもいきませんし、お客様の前で専属無しではお二人の不仲が疑われます」
「ああ、たしかに」
この屋敷の人事権はエレオノーラが握っている。
世間にはエレオノーラがレオナルドを冷遇しているようにみえるだろう。
「というわけで、オレ――じゃなくて、わたしがレオナルド様付のメイドとなりました。レオナルド様が客人を呼ばれる場合は、もれなくこの姿になるので問題ないですよね」
伯爵家にはローズマリー以外にもメイドがいるのだが、全員持ち場がある。
今はまだレオナルドの専属としての仕事は不定期だ。
兼任させるよりも、レオナルドに客人がいる日はブライアンではなくアルフレッドが女になってメイドとして働いた方が合理的である。
「理屈はわかった。だがこの場で許可を求めず、前もって言って欲しかった」
「えっと。『その方が面白いでしょう』ってローズさんが」
「……あいつ」
エレオノーラは眉間に皺を寄せたが、ハッとして振り返った。
ノアを置き去りにして、つい話し込んでしまった。
途中から声を潜めて会話していたからか、ノアには状況がよくわからなかっただろう。
案の定、彼は表情を曇らせていた。
「すまない。こちらの連絡ミスだった。不安にさせてしまって申し訳ない」
「……いいえ。大事に至らなくて何よりです……」
慌てて説明したが、ノアの表情は晴れないままだ。
「アル……フィー。ノアの時間を無駄にしないよう準備するよう言っておいたはずだが、どうなっているんだ?」
てっきり応接室に、着る予定の礼装が用意されていると思ったが何も置かれていない。
さり気なく雑貨を足したことで人間の部屋らしくなった空間には、ティーセットが持ち込まれただけだ。
「寝室にあるみたいです。オ――わたしは関与してませんが、ローズさんが色々準備してましたよ」
「専属だと言うのなら、ちゃんと把握しておけ」
「メイドとして人前に出るのは今日が初めてなんです。化粧とか初めてだったし、自分の準備で手一杯だったんですよぅ」
「自分で身支度したのか?」
「はい! 結構面白かったです! でも毎日だと面倒くさいかも」
こう言ってはなんだか、初めてとは思えないくらい上手い。
エレオノーラやブライアンは性別が変わってもオリジナルの印象まんまだが、アルフレッドはかなり違う。おそらく化粧の効果だろう。
前者二人は目鼻立ちがはっきりしていて、化粧をしてもあまり代わり映えしない。
対してアルフレッドは、パーツの主張がなく印象に残りにくい顔立ちだが、その分化粧映えがする。
男の時は地味の一言だが、今は物語のヒロインのような美少女に仕上がっていた。
「へえ、凄いな。男にモテそうだ」
「侍従連中のウケは良かったですね。冗談で口説いてきたヤツもいましたよ」
アルフレッドは誇らしげに胸を張った。
女になった自分にも、同僚たちにも嫌悪感はないらしい。
「よかったな」
いやいや女装させるのは忍びない。アルフレッドの満更でもない様子に、エレオノーラは安堵した。
「レオナルド様。服のことですが、寝室から持ってきましょうか?」
「いや、移動した方が早い。ノアと話したいこともあるし、下がってくれ」
使用人が部屋に控えている状態で、告白の返事をするのは些かきまりが悪い。
エレオノーラの指示に、アルフレッドはぺこりとお辞儀をして退室した。
「……見た目は及第点だが、作法はまだまだだな」
アルフレッドの姿が見えなくなると、エレオノーラはため息をついた。
言葉遣いも立ち振る舞いも、まるでなっていない。
もしノア以外の客人の前で、今のような言動をしたら問題だ。本人は前向きにメイドとして働くつもりのようだし、一刻も早く専属に相応しいレベルの作法を身に着けさせなければ。
「ノア。未熟な者に対応させてしまって申し訳ない」
「……愛らしい娘でしたね」
会話に加わらず、静かにお茶を飲んでいたノアが口を開いた。
「え?」
「未熟なところすら魅力になる。屈託がなくて純真な感じで……親近感がわくというか、守ってあげたくなると言うか。ああいうタイプを好む男性は多いんでしょうね」
「ああ、そうみたいだな」
祖父のブライアンは女になると高嶺の花タイプになるが、孫のアルフレッドは手が届きそうな可愛い花だ。注目を集めるのは前者だが、異性にモテるのは後者だろう。
「あそこまでレオナルド様と距離の近い女性を見たのは初めてです」
「まあ、騎士団に女性は少ないからな。そもそも普段は女性と話す機会がない」
後方支援も含めて男所帯だ。王家や女性の国賓を護衛するための女性騎士がかろうじて存在するが、近衛騎士に属する一部隊扱いなので接点は少ない。
ノアにしては珍しいことだが嫌味だろうか。
(それにしては表情が暗いわ。どういう意図で言っているのかしら)
使用人の教育不足に気分を害したにしては、雰囲気がおかしい。
「彼女、お茶を淹れるのは上手でしたよ。レオナルド様ともすぐに打ち解けて……お二人は相性がよろしいんでしょうね。専属と合わないと苦労しますから、喜ばしいことです」
言葉は肯定的だが、歓迎している感じではない。
「ええと……彼女のような女性が、ノアの好みだったりするのか?」
社交の場でもないのに、ノアが個人的に女性を褒めるのは珍しい。
もし【アルフィー】のような『守ってあげたくなる庶民派ヒロインタイプ』がノアの好みなら、エレオノーラはかすりもしていない。
「……俺の気持ちはお伝えしたはずですが」
ついこぼれ落ちてしまった言葉に、ノアの顔から表情が抜け落ちた。
告白されておきながら、あまりに無神経な問いだったと気づいたエレオノーラは慌てた。
「そっ、そうだったな!」
「忘れていたのであれば、そのまま無かったことにしていただいて構いません」
「そんなことはない! そうだ服! 先に用事を済ませよう!」
「ええ、早く終わらせましょう」
(『終わらせる』って用事のことよね!?)
まさかレオナルドへの気持ちではないと信じたい。
今日はノアに告白の返事をして、これからの相談をするつもりだったが流れが悪すぎる。
ここで「私も好きだ!」と言ったところで、もっと気まずくなるだろう。
とにかく空気を変えようと立ち上がったエレオノーラは、寝室の扉を開くなり勢い良く閉めた。
「どうされたんですか?」
上背のあるレオナルドの後ろにいたノアには、室内の様子が見えなかったらしい。
(セーーーーフ!!!!)
あんなの見られたら一環の終わりだ。
「なんでもない」
「それならば扉を開いてください」
「なんでもないが、ちょっと座って待っていてくれ。この部屋に持ってこよう」
絶対にあの部屋をノアに見せる訳にはいかない。
(なんの準備をしているんだローズマリィィィィッッ!!!!)
扉の向こうには、まるで新婚初夜の夫婦の寝室のようなムーディーな空間が広がっていた。