目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第二話 梅にムクドリ(7)

真っ白い包帯は優しくすべき人の象徴のようでよく目立って、その日一日、僕はいつになくたくさんの人の優しさに触れた。


普段はクラスの中でもいるかどうかわからないような存在の僕が「大丈夫か、その足」と気遣われ、あまり口を利かない女子からも「大丈夫?」と声をかけてもらえる。単純な僕は、それが普通に嬉しかった。



 放課後、雄輔たちに手伝ってもらいながら階段を下りた。洋平が僕のバッグを持ち、雄輔が手すりを握ってないほうの腕を握って支え、万が一足を踏み外した時のために身体の大きな崇が僕の一歩先を歩く。


そんなにまでしてもらわなくてもと思いながら、僕は友人たちの厚意に素直に甘えた。三階の教室から全ての階段を下りた後、家庭科室の前の廊下で男たちの大きな笑い声が耳についた。


この一角だけ廊下が特別に広い作りになっていて、空いたスペースには卓球部の普段使われない台が仕舞われている。うるさい奴らは卓球台の影の、僕らから見えない位置にいた。



「しっかし、小谷イタかったなぁ。弱いくせに強がっちまってよぉ」



 知らない声が僕の名前を出した。全身が耳になり、包帯を巻いた足が動かなくなる。雄輔たちがはっと立ち止まり、一斉に僕を見る。別の声がする。



「ていうかさ、西嶋もなんであいつなんだよ。杉下のほうがずっといいじゃん」

「マジ、目ぇ悪ィんじゃねぇの? そうでなきゃ頭がおかしいとか」



 いくつかの声が歪んだ笑いを立てた。きっとみんな、話したことのない奴だ。僕のことをろくに知らない人間たちが、僕と西嶋さんのことを好き勝手に言っている。身体の奥でぎりぎりと熱くうずくものがある。今朝はじけ飛んだ何かが戻ってきて震えている。雄輔が何か言いたそうに僕の顔を覗き込んだ。



「つーかさ、俺志乃とヨリ戻そうと思ってんだよね。実は」



 杉下の声だった。へぇマジ? とさっき僕をイタかったと評した声が言った。



「だってさ、小谷みたいな童貞くんじゃ志乃が可哀想だろ。絶対満足させられねぇもん」

「何? 西嶋ってそんなエロいの?」


「エロいエロい。あぁ見えてすげぇんだって。五回とか求めてきたし」

「へー意外」


「清純そうに見えてそのギャップがいいんだって」



 目を怒らせた崇が足を踏み出した。洋平が何か言いかけたけれど、その声が届く前に崇は杉下たちの前にいた。下劣な笑い声がぴたっと止んだ。


 僕たちが崇の後から出て行った時、杉下たちは一様に青ざめていた。困ったように俯いてたり、泣きそうな顔になってる奴もいた。まるでこっちが被害者だと言わんばかりの表情に、噴き上げそうになっていたものがじわじわ静まっていく。口を開きかけた崇を手のひらで制する。



「いいよ別に」

「でも、彰彦お前」

「本当に、いいんだ」



 崇は僕を責めるように見た。僕はゆっくり首を振り、まだ青ざめてる杉下たちを一瞥した後、片足をかばいながら一人で歩き出す。


 まさか、僕が近くにいるなんて思いもしなかったんだろう。だからってこいつらの卑しさは変わらないけれど、結局彼らの言うことが多数意見なんだ。


チビでいいとこなしの僕、堂々と自殺点を決めた僕、肝心な場面ですっ転んで足を捻った僕。そんな僕と付き合っている西嶋さんがみんなにどう思われているのか、今のですっかりわかってしまった。



 高校名が刻まれた門柱にもたれて待っていた西嶋さんが、僕を見つけた途端ぱっと笑みを広げて駆け寄ってくる。可愛い笑みがひび割れた心に染みて、痛い。



「足、大丈夫? わたし、よかったらバッグ、持とうか?」


「ごめん西嶋さん。一緒には帰れない。今日だけじゃなくて明日もあさっても、二度と君と肩を並べて歩くことは僕には出来ない」



 きれいな顔がぴたりと固まって、紅潮していた頬から色が抜けていった。ピンクの唇が小さく震えていて、それを見ていたら鼻の奥が熱くなった。この人はこんな僕を、ちゃんと好きでいてくれてるのに。



「どうして……」

「よく考えたら僕、西嶋さんのことあんまり好きじゃないみたいなんだ。それなのに付き合うのはなんか、違うっていうか」



 嘘だ。本当は好きだ。ものすごく好きだ。こんなことを言わなきゃいけないぐらい、好きだ。

 何かを言おうとして言えず、唇を震わせてばかりの西嶋さんの横を素早く通り過ぎる。



「ごめんね」



 僕の声は、掠れていた。途端に西嶋さんが走り出した。学校を出て行く僕とは正反対に、校舎に向かって。そっちには杉下がいる。今の西嶋さんとヨリを戻したがっている杉下が会ってしまったらどうなるか、簡単に想像がつく。


でもそれでもいいと思った。あんな奴でも、僕といるよりは西嶋さんを幸せに出来るはずだ。美男美女で、誰にも文句を言わせない組み合わせなんだから。


 僕は弱い人間だ。周りの目なんか気にしなきゃいいのに、自分の気持ちを貫けばいいのに、それが出来ない。西嶋さんが僕のせいで杉下やみんなにあれこれ言われるのを、我慢出来ない。僕の存在が西嶋さんを汚しているという事実に耐えられない。


 痛い足をかばう妙な歩き方で通学路を行く僕の頭上で、ムクドリがギューイ、と鳴く。西嶋さんがきれいな梅なら、僕は根性なしの薄汚いムクドリだ。僕らはちょうどいい取り合わせ、じゃない。誰も僕と西嶋さんが一緒にいることを、望まない。


 ぼんやり顔を上げると視界の端っこに、校内でも有名なカップルが見えた。大舘おおだて葵と藤屋一臣だ。少しだけ染めたワンレングスがトレードマークの大人っぽくて美人の大舘と、やっぱり大人びていて落ち着いた美形の藤屋。たしか、もう八ヶ月ぐらいは付き合っているはずだ。


僕と西嶋さんとは違ってお似合いの二人だけど、彼らの間には恋人同士にしてはよそよそしい距離が空いていて、会話もない。つまらなそうに淡々と足を動かす二人はまもなく角を曲がって、僕の目の前から消えてしまう。


 あの二人にも、僕とはまた違う悩みがあるんだろうか。みんな求めているものは同じなのに、十七歳の僕らは一向そこにたどり着けず、届かないものに憧れて闇雲に手を伸ばしてばかりいる。


 ぽつ、と鼻の頭を濡らすものがあった。頭を押しつぶしそうなほど近くにある灰色の雲から、雨が落ちてきていた。傘の用意はないけど困らなかった。このまま濡れて帰るのが今はちょうどよかった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?