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第三話 あなたじゃなきゃ(1)

 砂糖菓子みたいな色のピンクのクレーンがゴリラの山から離れていく。クレーンゲームのクレーンはアームがひどく弱くて、よほど運がない限り絶対に目当ての商品を掴めないように出来ている。


今回もアームはゴリラのほっぺたを少しかすっただけで、カチッと虚しい音を立てた。何も掴んでいないアームはそれでもプログラム通りの動きをして、景品の出口の上でぱかっとぬいぐるみを離す動きをする。プレーヤーをあざ笑うように。



 中尾なかおくんがMONO COMME CAの財布を開き、小銭入れのファスナーを開けて中を探った後、お札を一枚取り出す。北里柴三郎。


「両替してくる」

「え?」

「小銭、もうなくなっちゃったから」

「いいよそこまでしなくて」


 慌てて、つい大きな声になってしまった。中尾くんの一重でやや釣り目気味の目が見開かれる。ゲームコーナーに入って「どれか欲しいのある?」って聞かれて、実は大して欲しくもないのにとりあえず指差したゴリラのぬいぐるみに、何度もチャレンジしてくれた律儀な人。



「欲しいんじゃないの?」

「欲しいよ、でもこれ以上は悪いもん。中尾くんの気持ちだけで十分。ありがとう」



 中尾くんは納得いかないという顔で北里柴三郎をしまって、歩き出した。あたしは斜め後ろから遅れないようについていく。


背はあんまり高くないから歩幅はあたしとどっこいどっこいだと思ってたら、やっぱり男の子、歩くのがずっと速い。


ゲームコーナーの騒がしさが遠ざかると二人の両側にはファンシーショップが軒を並べ、可愛いキャラクターグッズやバラエティ雑貨の原色が視界の端っこを埋め尽くす。


日曜日の駅ビルはとにかく人が多くて話し声でがやがやしていて、あたしと中尾くんは大勢の会話が絡み合う中をおしゃべりもせず、黙って歩いていく。二人にはまだ笑顔で話し合える共通の話題なんて、ひとつもない。今日が初めてのデートだった。



 足が痛い。生まれて初めてのデートだから、気合入れて慣れないハイヒールを履いてきたんだけど、こんなことになるなら気取らないで普通にスニーカーにすればよかった。


足が痛いからもっとゆっくり歩いてほしいって言えばいいだけなのに、中尾くんの斜め横顔はぴんと強張っていてどこも見ていなくて、そんなことはとても言い出せない。


待ち合わせて歩き出し始めた時のように、今は緊張で体じゅうの筋肉が引きつってたりしない。映画を見てファミレスでご飯を食べているうちに緊張は解けて、「デート」って言葉の重みからはすっかり開放された。代わりになんとも言えない気まずさがあたしの心臓をがっしり掴んで、身動きをとれなくしている。



「何する?」



 中尾くんはあたしを見ないで言った。あたしは左手首に巻いた時計をちらっと見て時間を確認する。まだ四時半。外はしっかり明るいし、うちの門限は夜の九時だからだいぶ間がある。でも。



「今日はもう、帰ろうかな」



 ちょっと勇気のいる言葉だった。これ以上あなたとはいたくないって意味に聞こえないといいんだけど。中尾くんは特に嫌そうな顔はせず、かといって笑いもしない。



「じゃあ送ってくよ」



 一歩駅ビルの外に出ると梅雨らしいむわっとした空気が首筋にまとわりつく。空はここに入った時と変わらない、どんよりしたコンクリート色。雨が降りそうでなかなか降らない、本当にもどかしいお天気。


日差しがない割に湿気がものすごくて蒸し暑い。足が痛い上に汗までどっと吹き出す。しばらく歩くと中尾くんがようやくあたしの足の異常に気づいて、歩調を緩めてくれた。でも「ありがとう」が言えなかった。


バスに乗っていて目の前におばあちゃんがやってきて、席を譲りたいけど小さな一歩が踏み出せない、居心地の悪さ。あの時の気持ちに似ている。



 家の前まで行ったら家族に見つかりそうだから、少し遠い公園の前で別れた。ブランコと滑り台とベンチと砂場、それだけが置かれて花壇にマリーゴールドが植えられている、小さくて小奇麗な公園。


遊ぶ子どもの姿はなくて辺りはしんとしていて、ちょっと付き合いの進んだカップルだったらここでキスぐらいはするんだろう。だけどあたしたちは少し離れて向かい合うだけ。結局、一度も手を繋がなかった。



「中尾くん家って、どこだっけ」

「ここから自転車で二十分くらい。そこのコンビニの駐輪場にチャリ置いてある」

「そうなんだ」

「じゃ」



 中尾くんが手を上げ、あたしも一瞬手のひらを見せる。少しずつ離れていく後姿をなんとなく見ていた。華奢だけどしっかり筋肉がついてよく日焼けした二本の腕。膝までのハーフパンツに合わせた白いポロシャツ。野球部のトレードマークの青々とした坊主頭。


 彼が、あたしの彼氏。そして今のが、人生初のデートだった。



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