「なんか、デートって微妙だね」
登校してくる生徒たちを教室の窓から見下ろしながら言うと、
おでこに薄く塗ったファンデーションが崩れそうな、随分大胆な眉のひそめ方だった。好きな人の前だったら百万円払ってでもしたくない顔。
「それ聞いたら、中尾くん泣くよ。わーカワイソ」
「だってさ、昨日」
それからあたしは昨日の拍子抜けするほど退屈でやたらと疲れたデートのことを朔美に話した。
昨日、あたしと中尾くんが一緒にいた頃、朔美も彼氏と一緒にいたらしい。きっとあたしたちとは違って楽しくて、ちゃんと盛り上がったんだろう。いや、そもそもデートって楽しいものなんだ。本当は。
「まだデート慣れしてなくて段取りとか下手なんだよ。ずっと
朔美は迷わず中尾くんをかばう。高校二年生の女の子の中でもまぁまぁ経験豊富なほうに入る朔美の恋愛アドバイスは、聞いててすごくもっともらしい。
「きっと女の子と出かけるのなんて、初めてだったんだろうし。これからゆっくり自分たちなりのデートしていけばいいじゃん。会話がないのも退屈なのも、中尾くんが真面目な証拠だって」
「そういう問題じゃない気がする。中尾くんは全然悪くないの」
「じゃあ、琴子の問題?」
朔美の言葉にちょっとドキッとする。改めてあたしは中尾くんにとてもひどいことをしてるんだって気づく。
朔美から顔を逸らして視線を窓の外に向けると、梅雨の晴れ間の朝に降り注ぐ白々とした太陽の光とスカッと澄み渡るソーダ色の空と、校舎に吸い込まれていく同じ制服たちが見える。
「やっぱり本当に好きな人とじゃないと、だめなのかなぁ」
独り言みたいに言った途端たまたま
少し長めのウルフカットにしている髪は先生に目をつけられない程度に染めていて、ちょっとハーフっぽいきりりとした顔立ちは朝早いせいか、少しだるそう。今日はワイシャツの色はブルー。白も似合うけどブルーもなかなかだ。
一人でそこまで考えたところで、胸はきらきらした甘いときめきでいっぱいに膨らんでいた。いけないいけない、中尾くんと付き合うって決めた時から、こんなことはもうしないって決めたはずなのに。
姿を見つければ理性が働く前に、目が条件反射でその背中を追いかけてしまう。ふと、視界に新たな人物が突入してくる。肩までの黒いショートボブに瞳のくるくるした、ウサギかリスを思い起こさせる可愛い女の子。
姿を見れた、ただそれだけで手のひらを離れた風船のようにふわふわ空に吸い込まれていきそうになってた心が、しゅうと音を立ててものすごいスピードでしぼんでいく。
朔美を見ると、あたしの内心は何もかも顔に出ていたのか、呆れた声で言われる。
「あんたさぁ、逸見くんのこと忘れるんじゃなかったの? そのために中尾くんと付き合ってるんでしょ?」
「そうなんだけどさ」
中学の頃からずっと逸見くんが好きだった。全校集会はもちろん、体育祭も文化祭も修学旅行も卒業式の時だって、いつも逸見くんばかり目で追っていた。高校だって、逸見くんに合わせて選んだんだ。本当は先生から、あたしの成績ならひとつ上の高校も狙えるよって言われてたんだけど。
もっとも逸見くんのことを好きな女の子なんて、あたしの他にもたくさんいる。その多くは思いを伝えても呆気なくその思いを打ち砕かれていて、逸見くんが付き合うのは今だと黒井さんだけど、男の子から人気のある可愛い子ばっかり。
あたしなんてとても逸見くんに相応しくないし、告白したって「ごめん」って言われるだけだってわかってるから、とても気持ちを伝えられない。
どこのクラスの誰々が逸見くんにコクった、そしてフラれた、なんて噂は年中教室を飛び交ってる。逸見くんに思いを伝えた女の子たち、結果的にフラれたんだとしても、すごいと思う。あたしはそんなこと、一生出来そうにないから。
受け入れてもらえる見込みのない告白なんて、飛び降りたら確実に死ぬってわかっているジャンプ台から、自ら身を投げるようなものだ。
「あーあ、あたしも黒井さんみたいに美人だったらな。そしたら好きな人と付き合えるのに」
「そんな簡単なもんじゃないでしょ」
「そうかなぁ?」
そうだよ、と朔美は頷きながら手鏡を出し、ずれてしまったらしいコンタクトを直し始める。あたしと同じ高校二年生なのに妙に指の動きが色っぽい朔美を見ながら、たしかに美人とか美人じゃないとか、それだけが全てじゃないのかもな、と思う。
朔美は特別きれいな顔をしてるわけじゃないけれど、いわゆる肉食系っていうんだろうか。社交的で積極的で男の子にも自分からアプローチするタイプで、見た目だってなかなか努力してる。たとえば化粧。
眉毛を描いてリップグロスを塗るだけで終わらせちゃうあたしと違って、毎日ばっちり、決めてきてる。朔美には高校に入ってから、彼氏が途切れたことがない。一年の夏休みに初エッチも経験してるし、今は去年の文化祭で知り合った他校の彼と付き合っている。
「話聞いてると、なんか遠そうだよね」
鏡を閉じながら朔美が言う。話していると、時々朔美があたしより年上の、ずっと大人の女の人みたいだなって思うことがある。むしろ、あたしが子どもっぽいだけなのかもしれないけど。
「何が?」
「琴子と中尾くんの初体験」
「なっ、何言ってるの」
真っ赤になってるあたしを見て朔美がにやりと笑う。絶対面白がってる、この人。
「でも付き合うんだったら、いずれはそういうことにもなるでしょうよ」
「まぁ、そ、それはそうなのかもしれないけれど」
あの野球一直線の真面目な中尾くんが、青い坊主頭を光らせて迫ってくるなんてことがあるんだろうか。一瞬だけ頭に浮かんだ図を慌てて振り払う。想像するだけで体温があっという間に五度ぐらい上昇しそうだった。
高校生だから朔美も含めて、周りではもうそういうことが特別じゃなくなり始めている。つまりあたしと中尾くんがそうなっても、ちっともおかしくないってこと。
「付き合う」ってことの重みをしみじみと確認する。高校二年生のあたしたちの間ではもう、「付き合う」は手を繋いだりキスをしたり、たくさんしゃべったりすることだけじゃない。相手に自分を丸ごと、もらってもらうことなんだ。
あたしはそんな大きいことに、飛び込んでしまったんだ。