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第三話 あなたじゃなきゃ(4)

 一緒に帰るっていっても中尾くんは自転車通学であたしは電車通学、学校を出て駅が近づくまでのほんの十数分しか一緒にいられない。


そのことを中尾くんから言われ、「次から待ってなくていいよ」の言葉に気持ちがしんと沈んでしまう。黙々と足を動かすあたし。自転車を押しながら歩く中尾くん。二人の間に会話はなく、アスファルトの上を長い影がのろのろ動いている。



「ねぇ、アイス食べない?」



 おそるおそる言うと、中尾くんは一瞬目を広げたもののあっさりOKした。逸見くんのアドバイス通り行動したわけだけど、なかなか効果的なのかもしれない。


 学校から歩いて五分のコンビニに寄り道してアイスを買って、駐車場で立ったまま食べる。あたしはチョコレートバー、中尾くんはガリガリ君のソーダ味。


少し離れたところにD組の大舘葵さんと綿貫わたぬき江里さんが縁石に腰掛けてて、あたしたちと同じようにアイスを食べている。派手でよく目立つ二人は二年生の中でも有名人だけど、あたしとは接点がない。



「大舘と藤屋って、最近別れたよな」



 中尾くんが独り言みたいに言った。驚きながら、それでも大舘さんたちに聞こえないよう声をひそめる。



「そうなの!?」

「うん、俺藤屋と同じクラスで、本人から聞いた。市原、知らなかったんだ。女子のほうがそういう情報は早いんじゃないの」

「知らなかったよ。どうしてだろう、お似合いなのにね」



 綿貫さんの隣でアイスを食べる大舘さんの斜め横顔からは、好きな人と別れたばかりだなんて暗さはちっとも感じられなかった。けどきっと、本当は辛いんだろう。二人はファッションの話をしているらしく、ワンピースとかベルトとかいう単語が時々聞こえてくる。


 ほんの数分でアイスを食べ終わり、ゴミを「もえるゴミ」のダストボックスに放り込んで、再び並んで歩き出す。やっぱり会話はなく、自転車のタイヤがカラカラ回る音だけが二人の真ん中で響いている。何だ、これじゃあさっきとちっとも変わらないじゃないの。ただ単に、アイスを食べて喉を潤しただけだ。



「甲子園、行けるといいね」



 苦し紛れのような一言。ちょうど小さな四つ角を通り過ぎたところで、道路の端に設置されたミラーに引きつったあたしの顔が映っている。だんまりの時間が怖いくせに、ちっともろくなことを言えない。無口な中尾くんが恨めしくなる。



「行けるわけないよ、どうせ」



 野球部の人たちは本気で甲子園を目指してると思ってたから、自転車を押しながらあっさり言う中尾くんの言葉に拍子抜けした。日焼けした横顔はどこか寂しそうだった。



「でも、目標なんでしょう。去年もおととしも、その前も、ずうっと」


「目標は目標。現実、甲子園なんてうちのレベルじゃとてもとても無理なんだよ。ちっとも売れてないゴミみたいな劇団の大道具係が、ハリウッドスターになりたいって言ってるようなものなんだ」



 中尾くんがそんなにたくさん言葉を繋げるのを初めて聞いた。釣り目がちの目は怒っているようにも悲しんでいるようにも見えて、それでも西日を映して力強く光っていた。



「みんなわかってる。わかってて、それでも頑張ってる。成功者として神様に選ばれるのはほんのひと握りの人間だとしても、選ばれないやつだって頑張らなきゃいけない。頑張れば頑張った分だけ、そのことが別の何かの力になる。今はわからなくても、いつか絶対わかる。そう信じてる、俺たちは」



 そこまで言って更に何か続けたそうに、ふっと唇を閉じた。


 中尾くんは本当に、野球のことだけを言ってるんだろうか。


あたしたちはこれから大人になるにつれて、嫌でも選ばれたり選ばれなかったりする。みんなが有名大学や一流企業に入れるわけじゃないし、抱いた夢が叶わないこともある。


恋愛だって競争だ。逸見くんのことを好きな子はいっぱいいても、現実に逸見くんの彼女になれるのは一人だけ。どんなこともそうだし、世の中ってそんなものだ。


けどそれを受け入れて、理想に届かない自分と折り合いをつけて、頑張らなきゃいけない。頑張って生きていかなきゃいけない。厳しいけど、それが現実。十年そこそこしか生きていないあたしでも、それぐらいのことはもう知ってる。



「中尾くん、大人だね」

「違うよ、OBの人の受け売り。たまに練習見に来ると、そういうこと言って帰ってくんだ」



 やがて駅前の大通りが近づいてくる。少し遠くで踏み切りのカンカンという音がする。ここが二人の分かれ道。あたしは駅を目指し、中尾くんは自転車にまたがる。


なんだかすっきりしないものをお互い抱えたまま、じゃあね、と手を振って別れる。自転車を漕ぐ中尾くんは一度も振り向かないまま、路地の奥に消えていった。



 中尾くんはさっき、あたしと逸見くんが話していたところを確実に見ていた。それを口にしなかったのはわざとなのか、それとも単に忘れているだけなのか、わからなかった。



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