「うわぁそれ最悪じゃん。その後気まずかったでしょ。先生、なんか言ってた?」
「なんも言ってない。二人で慌てて保健室出て、ほとんどなんもしゃべらないで別れちゃった。顔が近づいてた時はなんともなかったのに、終わったら急に恥ずかしくなるって不思議だよね」
朔美がお菓子でほっぺたをいっぱいにしながら笑う。今日のお昼のデザートは砂糖のような甘いつぶつぶがふりかけられたおせんべいで、あんまりおいしくないけれどとりあえず食べている。口がやたら渇くので、自販機で買ってきたジュースをちびちび飲みながら。
「にしても琴子、すごいね。やる時はやるじゃん、意外と」
「自分でもびっくり。よくそんなこと言えたと思う」
「勇気出すなら逸見くんの前で出したらいいのに」
「それはもういいんだ。あたし、逸見くんに告白はしない」
きっぱり、声に力を込める。割り切れないものが喉の向こうでわだかまっている。朔美が意地悪そうに顔を覗き込んできた。
「それで琴子が前を向けるんならいいけれど」
「前、向ける。と、思う」
「ほんとー?」
「ほんとだもん」
「なんか嘘っぽいな。まぁとにかく、琴子が幸せならいいよ。あたしは彼と別れるし」
朔美は付け加えるように、さらっと言った。おせんべいをかじる口元がなんだか寂しげだった。
「どうして」
「あいつ、他に好きな人出来たんだって。同じクラスの子みたい」
「ひどい」
「学校違うし、こんなこともあるだろうなぁとは思ってたけどね」
無理やり笑ってみせる朔美に、そういえば最近自分のことばっかりで、朔美の話を全然聞いてあげていなかったことに気づいて、反省した。あたしだけじゃない。朔美だっていろいろあるに決まってるのに。
朔美がおせんべいを包んでいた薄いビニールのパッケージを手の中で小さく畳みながら、独り言みたいに言う。
「恋愛ってさ、片思いでも両思いでもなかなか上手くいかないもんだね。あたしたちがまだ、子どもだからなのかな」
「それもあるだろうけど、それだけじゃないと思うよ」
朔美が頷く。小さくなったパッケージがマニュキアが光る指の間でくしゅっとつぶれる。
オクテなあたしも積極的な朔美も美人の西嶋さんも、それぞれ傷ついてそれぞれ悩んでる。みんな幸せになりたいのは同じなのに、みんな上手くいかない。恋は人の心と心の問題だけど、人間の心はとっても複雑に出来ていて、時々予想もつかない動きをするから。それは「大人になったら」で解決するような、そんな単純なことなんだろうか。
朔美が気を取り直すように、ぽんと肩を叩いてきた。
「今日、放課後は中尾くんとお勉強デートだっけ?」
「うん、中尾くん数学得意だから、いろいろ教えてもらうつもり」
「他のこともばっちり、教えてもらいなさいよ」
朔美らしい冗談にけらけら笑っているうちに、時計の針は進んでいく。
今日からテスト週間のため、放課後の部活はない。といっても甲子園を目指す中尾くんたちは朝練と昼休みに集まっての練習は欠かさず、更に各自で自主トレも続けているらしい。本当に本気で、すごいと思う。あたしにはちょっと真似出来ない。
放課後の校門の前で待ち合わせて歩き出すと、周りの視線をどうしても意識してしまう。同じ制服のカップルは、嫌でも校内の注目を浴びるから。今まではずっと視線のあちら側で好奇心をふくらませている立場だったけれど、なってみるとこちら側の立場もなかなか気恥ずかしい。斜め上から中尾くんの声が降ってくる。
「どこで勉強しようか」
「やっぱり、ファミレスじゃない?それか駅前のマックとか」
ファミレスにしよう、と言って半歩先を行く中尾くんが進行方向を変えた。通学路から一歩道を外れただけで、周りから制服姿は消えてしまう。
五分ぐらい歩くと、道の両側には個室ビデオだとかランジェリーパブだとか制服クラブだとか、怪しい雰囲気の看板が次々現れる。十数メートル向こうに「HOTEL」の文字さえ見える。
まだ明るい時間だからなのか辺りは閑散としていて、静かさがかえって気まずいムードを増幅させる。吐き出したガムや誰かの
「おかしいな。ここらへん、サイゼあったはずなんだけど」
中尾くんが言い訳がましく言う。たぶん迷っちゃったんだろう。戻ろう、と言おうとした喉から体温が消える。足が地面に張り付いたように止まる。中尾くんが何歩か歩いたところで振り返って、やがてあたしが見ているものに気づく。
仲良く腕を組んだ逸見くんと黒井さんが、ホテルの建物に吸い込まれていくところだった。きっと、そういうところに入るのに慣れているんだろう。当たり前のことをするような、迷いのない足取り。
頭ではわかってる。二人は付き合ってるんだしラブラブなんだし、あたしたちはもう高校二年生なんだ。こんなの別に、特別なことでもなんでもない。大人は悪いことだって言うんだろうけど、あたしたちにはそれをあざ笑えるほどの若さと無邪気さがある。逸見くんたちも、そんな無邪気な若い二人だってこと。それだけなんだけど、だけど。
「市原さ、好きだよね。逸見のこと」
中尾くんが汚いアスファルトに視線を落として言った。突然突かれた核心に、声が震える。
「なんで」
「わかるよ、見てれば」
ふう、と長いため息が聞こえた。心臓が縮む。口の中に苦い唾が広がる。中尾くんは柔らかい言葉であたしを責める。
「俺と付き合ったのは、逸見を忘れるため?」
「違う」
「忘れるのに、俺だったらちょうどいいと思った?」
「違う」
「逸見みたいな格好いい奴と付き合うなんて自分には無理だけど、俺ならってこと?」
「違う」
否定してるのに、あたしにも中尾くんにも全部YESに聞こえてる。もう一度深いため息が二人の間に広がる。
「女の子と付き合うのなんて初めてで、どうしたらいいのか何しゃべったらいいのか、全然わからなくて。けど頑張ったよ、市原が好きだから。ずっと見てただけで話したこともなくて絶対無理だと思ってたのに、俺と付き合うって言ってくれてすごい嬉しかったし。でも頑張れば頑張るほど、わかっちゃうんだよ。市原は本当は俺のこと好きじゃないって」
「あのね、中尾くん」
日焼けした首がゆっくり振られ、中尾くんがあたしに背を向けた。
「もうやめよう。市原のことは好きだけど、一緒にいればいるほど、辛くなってく」
一人で歩き出す中尾くんを黙って見送った。結局ちょっとも好きになれなかったのに、その背中を追いかけたくて追いかけたくて仕方ないあたしがいた。自分にそんな資格がないことも、よくわかっていた。失恋したのは中尾くんなのに、むしろあたしのほうが大きなものを失ったんだと思った。
薄汚い街に生暖かい風が吹いて、電柱で剥がれかけているポスターがカサカサと鳴る。頭のつるつる禿げ上がったおじさんがこっちに歩いてきて、あたしを舐め回すように見て、声をかけるかどうか迷ったけど結局やめた、って感じで通り過ぎていく。ポスターのカサカサが耳障りだった。おじさんが視界から消えても風がやんでも、あたしはそこに立ち尽くしていた。
中尾くんは何の取り柄もない、ちっとも可愛くないあたしでも好きになってくれたのに、あたしはそんな中尾くんを傷つけただけだった。わかっていてもあたしはまだ、逸見くんが好きだった。
そしてこれからも、好きでい続けるんだと思う。
「生理が来ないの」
そう言いながら、みかるは笑ってた。どうしようもなく困っていて俺の隣は居心地が悪くて仕方なくて、一方で嬉しくてたまらないという気持ちを隠せていなかった。
俺の部屋だった。フローリングの上には制服のズボンや花の刺繍がついたブラジャーなんかが散らばっていて、ベッドにはくしゃくしゃに折れ曲がったタオルケット、ダストボックスには饐えたような臭いを放つティッシュペーパー。部屋中に充満したみかるのものと自分のものとが混ざった臭いが嫌な具合に鼻を刺激するので、一服して誤魔化していた。あと三十分もすれば、スーパーのレジ打ちのパートに出ているオフクロが帰ってくる。それまでに服を着て部屋からタバコの煙を追い出して、みかるを帰さなきゃいけない。ぼんやりしている暇なんかないのだが、俺は脳の全機能がフリーズしたらしく文字通りの茫然自失ってやつで、ひたすらぼけっとしていた。我ながら間抜けな声が出る。
「え?」
「来てないの、生理」
みかるが裸の太ももをもじもじとこすり合わせながら繰り返す。俺のほうを見ない顔は、やっぱり笑っている。いやおかしいだろ。こいつはなんで笑ってるんだ? 今どうして笑えるんだ? 自分が何を言ってるか、わかってないのか?
「来てないって、どれくらい?」
パニックになりかけている割には的確な質問が出てきた。ちょっと間があった後、みかるは重たげに口をもごもごと動かした。
「二ヶ月。今月まだで、先月も来なかった」
「なんでもっと早く言わないんだよ」
ついきつい声になった。生理が来ないまま二ヶ月ということは、妊娠二ヶ月? いや三ヶ月? たしかあれは、特別な数え方をするはずだった。男の俺にはよくわからないけれど。さっき自分自身をぶちまけたばかりのみかるの下腹に、つい視線が行く。薄く肉がついたぺっ