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第四話 彼女の妊娠(1)

「生理が来ないの」



 そう言いながら、みかるは笑ってた。どうしようもなく困っていて俺の隣は居心地が悪くて仕方なくて、一方で嬉しくてたまらないという気持ちを隠せていなかった。



 俺の部屋だった。フローリングの上には制服のズボンや花の刺繍がついたブラジャーなんかが散らばっていて、ベッドにはくしゃくしゃに折れ曲がったタオルケット、ダストボックスには饐えたような臭いを放つティッシュペーパー。


部屋中に充満したみかるのものと自分のものとが混ざった臭いが嫌な具合に鼻を刺激するので、一服して誤魔化していた。あと三十分もすれば、スーパーのレジ打ちのパートに出ているオフクロが帰ってくる。


それまでに服を着て部屋からタバコの煙を追い出して、みかるを帰さなきゃいけない。ぼんやりしている暇なんかないのだが、俺は脳の全機能がフリーズしたらしく文字通りの茫然ぼうぜん自失ってやつで、ひたすらぼけっとしていた。我ながら間抜けな声が出る。



「え?」

「来てないの、生理」



 みかるが裸の太ももをもじもじとこすり合わせながら繰り返す。俺のほうを見ない顔は、やっぱり笑っている。いやおかしいだろ。こいつはなんで笑ってるんだ? 今どうして笑えるんだ? 自分が何を言ってるか、わかってないのか?



「来てないって、どれくらい?」


 パニックになりかけている割には的確な質問が出てきた。ちょっと間があった後、みかるは重たげに口をもごもごと動かした。



「二ヶ月。今月まだで、先月も来なかった」

「なんでもっと早く言わないんだよ」



 ついきつい声になった。生理が来ないまま二ヶ月ということは、妊娠二ヶ月? いや三ヶ月? たしかあれは、特別な数え方をするはずだった。男の俺にはよくわからないけれど。


さっき自分自身をぶちまけたばかりのみかるの下腹に、つい視線が行く。薄く肉がついたぺったりとした腹に、内側に宿っている生命の存在は感じられない。感じられないだけで、そこに「いる」のかもしれない。責任とか平穏無事な日常の消失とかに言い換えられる、それ。タバコを握る指先が急に冷たくなる。


 みかるはかすれた声を出しながら、やっぱり口を笑いの形にしていた。



「言わなきゃ言わなきゃとは思ってたの、でも言いづらくて、言うのが怖くて。自分でも認めたくなかったっていうか。ごめんね」



 笑顔の「ごめんね」に初めて自分の身勝手さに気づく。俺の思考が咄嗟に行き着いたのは責任を取らなきゃとか今まで通りの日々がぷっつり断ち切られるんじゃないかとかいうことで、みかるのことをちっとも思いやろうとしてなかった。


二人で作った結果にしろ当事者はむしろみかるで、俺なんかよりずっとみかるのほうが辛いはずで、そしてみかるは俺以外頼れないのに。この子はこんな小さな体に大きなものを抱えて、二ヶ月も一人で悩んで苦しんでいたのだ。


 言うのが怖いっていうのは、みかるがそんな俺の身勝手さを見抜いていたからだろう。



「そのこと、誰かに言った?」

「ううん、陸人が初めて」

「親とか友だちとかにも?」

「うん」

「それでいいよ」



 華奢な肩にそっと腕を回した。さっきまで俺の下で熱くなってたのに、今は冷蔵庫の中の林檎みたいになっている。みかるが急に健気に思えて愛しくて、肩を包む指に力が入る。



「陸人、あたし、どうすればいいかな? どうすればいいのか、本当にわからないの」

「大丈夫だよ、俺がついてる」



 よくもまぁそんな立派なことが言えたものだと思う。俺だってみかると同じ高校二年生でまだ何も持たない子どもで、突然突きつけられた事実にろくに身動きも出来ず、幾通りも想像されてしまう嵐のような未来に怯えてるだけなのに。中身の入ってない空っぽの言葉を、みかるは疑おうとしない。素直に俺にもたれかかり、冷たい頬を胸に押し付けてくる。



「ありがとう」



 床に置いた飲み終わりのコーラの缶にタバコを突っ込んで消して、強く、でも下腹部を気にしながら優しく、みかるを抱きしめた。なぜか悪い予感がしていた。


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