期末テストが終わり、既に梅雨も明けかけていた。窓から射し込んでくる目が眩みそうな白い光が、廊下のリノリウムを光らせている。昼休みの高校生たちはどの顔も、あと二週間ほどで訪れる夏休みに浮かれているように見える。
夏が嫌いな十代がどこにいるだろう? 暑いのにはうんざりしても、学校という鎖からほどかれることが、嬉しくないわけがない。
「とにかく、出来てないならよかったじゃん」
周りの目を気にして、隼悟は直接的な言葉は使わない。二人でトイレに行って、戻ってくるところだった。俺は汗がたまったワイシャツの胸元をパタパタやりながら、どう言ったらこの納得出来ないような気持ちを表せるか考えていた。
「そうだけどさ、なんかさぁ。なんかだよな」
「なんかって、なんだよ」
「いや、俺、このままずーっとみかると付き合って、結婚しちゃうのかなって」
「嫌なの?」
「嫌っていうか。だって、まだ高二だぞ俺たち。俺にとってはみかるはこれから何人も付き合う女の一人ってぐらいの感覚なのに、みかるはそうじゃないんだよ。未来永劫、俺と一緒にいる気でいる。というか、そう決め付けてる」
俺はひどい男なんだろうか。俺の考え方が間違っていて、みかるのほうがむしろまともなんだろうか。
今自分が手にしている恋を永遠だと無邪気に信じられるみかると、その無邪気さに押しつぶされそうになっている俺。
たしかに、高校生の時の恋愛がそのまま結婚に繋がる人だっているはずだ。でもそれは長い時間の間で自然とそうなっていくもので、今のうちから結婚だのなんだのを意識するのなんて、おかしいんじゃないのか。隼悟はいつものように口調は軽いが、目は冷めていた。
「ま、今別れるなんて言ったらお前刺されるよな。黒井ってそういうタイプだよ」
反論出来ない。
わかっている、みかるはきっと、俺がいなきゃ生きていけない。付き合い始めの頃はそれも嬉しかった。甘えられるのも執着されるのも、依存されるのも。愛しぬかれた末に誰かの絶対必要な存在になることは、自分が少しだけ偉くなった気になれるものだ。
でもそれもあまり長く続けば、辛くなる。みかるの気持ちのほうが俺の気持ちよりも大きい。それを事あるごとに思い知らされ、なんか申し訳ないような、ひどく悪いことをしている気分になる。俺が本当に悪い男だったら、むしろ楽なのかもしれない。
中央階段の前を通り過ぎようとする時、みかるの声が聞こえた。階段の一番下の段に女子何人かで並んで腰掛けて、くっちゃべっているらしい。話しかけるために近づいて、みかるじゃない女の声に立ち止まる。
「でもみかるも、案外小悪魔だよねぇ。あたしだったら絶対つけないけどな、彼氏にそんなウソ」
小悪魔だってー、と別の女が語尾を伸ばして言う。甲高い笑い声が起こる。ウソ、の二文字が頭の中でぐるぐる回る。みかるがいつ、俺にどんなウソをついたっていうんだ? まさか、の思いが喉を凍りつかせる。また違う女の声がする。
「妊娠したってウソつくなんて、ひどいって。逸見くん、本気でビビってたでしょ?」
「それともみかるってばさ、そんな可愛い顔しといて案外ドSなんじゃない? ビビってる逸見くん見て楽しんでたとか」
また笑い声。いや、お前ら笑うところじゃないだろそこ。全然笑えないだろ。まんまと騙された俺はどうなるんだ?? 隼悟が困惑した目で俺を見つめている。自分の顔が真っ青になっていくのがわかる。
「それでさ、逸見くん、どういう反応してたの?」
「うん、あたしと結婚してもいいって言ってくれた」
心から嬉しそうなトーンだった。ここからは死角になっていてみかるのことは見えないのに、喜びを溢れさせているみかるの顔が頭に浮かんで、後頭部を強く殴られた気がした。
俺はみかるに裏切られたんだと思った。
「いいねぇみかる、愛されてるじゃーん、やけちゃうねぇ」
「あたしも同じこと、彼氏に言ってみようかな」
たまらなかったのか、隼悟が一歩を踏み出した。女たちの声がさっと止む。数秒後、隼悟の後ろからそろそろと出てきた俺を見て、みかるが小さく口を開けた。もう誰も笑っていなかった。