あたしのクラスは理系で女子が全部で八人しかいないからみんな仲が良くて、女同士にはつきものなグループの分裂だとかいじめだとかとは、無縁だ。
今日も登校するといつも通りみんなは教室の窓際に固まって輪を作っていて、学級委員をやっているリーダー格の
「どうしたの?」
「みかる、また休んでるよ。今日で三日目」
バスケ部に入っていて一七三センチの長身と男の子みたいなベリーショートが特徴のあすかが、顎をしゃくってみかるの席を差した。
昨日も一昨日も、使われることのなかった席。みかるは彼氏に別れを告げられて以来、ずっと学校を休んでいる。みかるの元彼は逸見陸人、隼悟の親友で校内でも有名なイケメンで、みかるとは一年近くの付き合いだった。
たしかにあんなにいい男にフラれたら、しばらく学校を休みたくなるのも無理はないかも。
「
「そんな、やめちゃまずくない!?」
「そうだよ、男にフラれて高校中退なんてバカじゃん。後で絶対後悔するし。第一、獣医になりたいってあの子の夢はどうすんのよ」
熱っぽい京子の言葉に、みんなコクコク頷いている。女の身でわざわざ理系を選択したあたしたちには、既に一応将来の夢と呼べるものがある。
京子は薬剤師志望、あすかと希が看護師志望、早紀と
まぁ、あたしみたいに仲良しの京子が薬剤師になりたいらしいからじゃとりあえず薬剤師、ってノリで進路希望調査票を埋める人もいるくらいだし、まだ高二なんだからこれから夢が二転三転することもあるだろうけど、みかるの場合は将来どうする? って話になった時、あたしは獣医になる!! ってそのおっきな目をきらきらさせてたから、あたしなんかと違って本気なんだろなぁって思ってた。
本当の本当に、叶えたい夢があるんだって。みかると一番仲の良い希が、暗い顔で言う。
「だから、そうやって慰めたよ。今高校やめたら、獣医になれないよって。そしたらもうどうでもいい、獣医なんかなれなくてもいいって返ってきた」
「うわぁ、完全に参っちゃってるね」
莉奈がかぶりを振って、彼女のトレードマークのポニーテールが左右に揺れる。彼氏にフラれて、つまりこの世で一番大事なものを失って、将来の夢も学校も友だちも何もかもどうでもよくなっちゃう気持ちは、あたしにはよくわかる。
でも他のみんなにとってはそうでもないらしくて、みかるに同情しつつもそこまでの落ち込みっぷりに呆れてる感じが六人の顔に少なからず表れてた。たった十六、七年しか生きてないあたしたち、みんながみんな、死にたくなるほどの大失恋を経験してるわけじゃない。
「そもそもさぁ、なんで逸見くんと別れちゃったの? あんなに仲良かったし、あの二人は絶対壊れなそうだったじゃん」
あたしが聞くと、早紀が口元に手のひらを当てて声をひそめた。
「やっぱあれじゃない、妊娠事件」
「えっ何、みかる妊娠したの!?」
つい言っちゃったあたしを、京子が声がでかいって小突く。やたら声が大きいのはあたしの長所でもあり、欠点でもある。めぐみや希が慌てて男子に聞こえてないかきょろきょろ確かめている。すいません、と肩を縮めて呟いたあたしにあすかが言う。
「そっか、麻央はあの場にいなかったもんね。妊娠ってのはウソ。そう言って、逸見くんのこと騙したんだってさみかる。逸見くんがどう反応するか、産んでもいいよって言ってくれるかどうか知りたかったわけよ。要は愛を確かめようとしたんだな。けどその、妊娠はウソでしたーってのが逸見くんにバレちゃって」
「たしかにそれは、男は引くかも。みかる、やっちゃったね」
でしょ? とあすかが声のトーンを上げる。男に引かれるようなことならきっと、あたしのほうがたくさんやらかしてるんだろうけど。みかるのこと、全然言えないんだけど。
中学の時の、一生懸命にあいつを好きすぎて、ちょうど今のみかるぐらいにおかしくなってたあたし。卒業してから一年と四ヶ月、少しは大人になってもいいはずなのに、辛い記憶はまだ完全に過去になってない。思い出しそうになって胸が冷たく震える。
クラス一の優等生のめぐみが、ずれかけた眼鏡を直しながら窓の外を指差す。
「しっかしさぁ、逸見くんが最近市原さんとやたら仲いいのは何なわけ? 今だって、ほら」
十四個の目が一斉に、同時に校門をくぐった二人に集中する。くすぐったそうな顔をしながら、友だちでも恋人でもない中途半端な距離を挟んで歩く二人。付き合う寸前って感じで、甘酸っぱいハートが二人の間でぴちぴちはじけているのが見えそうだ。莉奈が露骨に不愉快そうな顔をする。
「つまり逸見くん、市原さんに乗り換えたってこと?」
「ううん、市原さんのほうから逸見くんに近づいたんだって。市原さん、逸見くんと同じ中学で、その頃からずっと好きだったみたい」
希の言うことがどこまで本当かわからないけど、恐ろしい。狭い校舎の中ではあっという間にウワサは広まる、秘めた恋がちょっとしたきっかけで明らかになったら、次の瞬間にはもうみんながそのことを知っているんだ。めぐみが口を尖らせた。
「つまりみかるがいるって知ってて、逸見くんのこと奪ったの? それひどくない?」
「いや、ひどいのは逸見くんだね。心変わりは仕方なくても、もっとみかるのこと思いやってほしかった、彼氏なんだから。それをしないのは、薄情だよ」
あすかが腕組みしながら言って、みんなもほぼ同意という顔をする。市原さんは割と地味なタイプだけど普通にいい人って感じだし、あんまり悪く言いたくない。それに女同士ならではの陰険なムードを、この仲良しクラスに広げたくはない。おそらく、ここにいる七人の共通意見。
「うーんでも、正直逸見くんの気持ちもわからなくはないかな」
机に腰掛けて足を組んでいた京子が、並んで歩く逸見くんと市原さんを見下ろしつつ、ため息が出そうな顔で言った。特に美人ってわけじゃないけど、シャープな顎のラインとスッと通った鼻筋のおかげで、京子はこの中で一番大人びて見える。
「みかるって、重いタイプだと思うんだよね。逸見くんのことすごい好きで態度にめっちゃ表してたじゃん? 逸見くん、それに疲れちゃったのかも。今回の妊娠事件もそうだし、今だって逸見くんにフラれた途端休み出すし。そういうとこが重いっていうか」
「そういうもんかぁ。なんか難しいねぇ、恋愛って」
めぐみがなかなか解けない方程式を前にしたような言い方をする。みかるには可哀想だけど、京子の言う通りだ。愛は軽すぎても重すぎてもいけない、適度なラインを超せば途端に男は離れていく。あたしはそのことをよく知っている。あすかがクールに手を振った。
「どっちにしろ、あの二人が仲良いのなんて今だけだよ。市原さんには可哀想だけど、あのいい加減男が相手じゃあ続かないって」
「いや、そうとも決め付けられないっしょ。相手が違えばまた違うだろうし」
早紀が言って、莉奈があすかに一票! と人差し指を上げてみんながぷっと笑ったところで、チャイムが鳴って担任が入ってくる。三十六人のクラスメイトがいそいそと席に着き、学級委員の京子が号令をかける。みかるがいなくても、みかるがひょっとしたら今泣いてるかもしれなくても、始まっていくいつも通りの一日。
HRの最中に携帯をこっそり確認すると、隼悟からラインが来ていた。相変わらず一行だけで、『今日カラオケ行かない?』。短い代わりに、いっぱい届く無愛想なライン。いいよ、とあたしも短く返した。