次の日もみかるは休んだ。朝のうちに京子がみんなをまとめ、放課後にみかるの家に行く計画をまとめていく。京子はこういう時、デキる女だ。きっと将来は格好いいキャリアウーマンとかになるんだろう。あたしはどうせ万年お茶汲みの腰掛けOLだけど。
「あのさ、お見舞いってあんまり時間かからないよね? うち、五時から約束あるんだけど」
「さすが麻央、今日もデートなんだ」
ひゅうと唇を鳴らすあすかに苦笑する。今日は二番目の彼の弘喜と会う約束をしている。弘喜は市内のあまり評判の良くない私立高校に通うひとつ上の高三で、春休みにナンパされて以来三ヵ月半の付き合いだ。弘喜の存在を知らせた時、前から付き合ってた遼は好奇心に目を輝かせるだけで、嫉妬なんて一ミリも見せなかったっけ。
京子がスマホを取り出し、ネット検索を始める。
「みんなでお金出し合ってさ、ケーキぐらい買ってこうよ。みかるの家の近くのケーキ屋、調べとくね」
「えーヤバい、うち二円しかないんだけど」
「何二円って。早紀さ、いくらなんでもビンボー過ぎっしょ」
しゃべれば無意識のうちにいつもの大声になる。みんなが合わせて笑って、登校してきたばかりの男子たちが迷惑そうにこっちを振り返ってる。うるさいなら、勝手にうるさがってればいい。うちのクラスのレベルの低い男共なんかに興味ないし。
三人も彼氏がいることを自慢したくもないけれど秘密にしておけばバレた時が面倒だから、割とオープンにしている。
クラスのみんなの反応は大体京子と同様、「麻央って悪いオンナ」って感じだ。本当の本当はどう思われているかわからないけど、少なくともみんなはそんなこと関係ないって、他の人と同じように接してくれる。
男子や他のクラスの子の中には「ヤリマン」ってあたしの悪口を言ってる人もいるものの、あたしのことをちゃんと知ってくれてる子たちの中には、そんな人はいない。それって、すごいありがたいことだと思う。たとえ、お腹の底では汚い女だって思われてるんだとしても。
放課後、予定通り七人でお金を出し合ってケーキを買って、みかるの家に向かった。みかるのお母さんはうちらやみかるの歳を考えれば四十は過ぎてるはずなのに、どこかあどけなさまで感じさせる美人だった。
とびきり若くは見えないけれどお肌の状態とかはうちのママとは全然違ってるし、くるくるした目と丸くカットしたショートボブはみかるにそっくり。だけど出迎えてくれたその美人のお母さんは目の下に隈を貼りつかせ、唇も青ざめていて、一目で疲れきっているのがわかった。
「ありがとう、わざわざ。今みかる、ここに呼んでくるからね」
そう言ってふらついた足取りで二階に通じる階段を上って、二分も経たないうちに戻ってきた。困ったような、そして申し訳なさそうな、取り繕う笑顔を浮かべて。
「ごめんなさい。みかる、誰にも会いたくないって」
「じゃあこれ、渡しておいてもらえますか」
何度かこの家に来たことがあるという希が、ケーキの箱を差し出した。痩せた手がやっぱり申し訳なさそうに箱を受け取り、ちょこんとお辞儀をする。
「みかる、完全に引きこもっちゃってるんだね。だからみかるのお母さんもあんな……」
黒井家の門のフェンスを閉じながら莉奈が呟いた。誰からともなく、今までいた家を振り返る。
雨風に晒されてちょっとだけ変色しているクリーム色の壁、てっぺんに可愛らしくちょこんと載っている屋根は可憐な花のようなモーブピンク。出窓を撫子の花とテディベアが飾っていて、リビングのレースのカーテンには薔薇の刺繍がしてある。
特に大きいとか金持ちそうとかじゃないけれど、いかにもみかるが住むにふさわしい、みかるそのもののような、可愛い家だった。可愛いけど壁を指でちょんと押せば凹んでしまいそうに頼りない、可愛いだけの家。めぐみが少し沈んだ声を出す。
「そりゃ心配するでしょ、娘が引きこもりなんだから」
「でもさ、みかるのお母さんもお母さんだと思う、娘に甘すぎ。うちが三日も四日も引きこもって学校行かなかったら、無理やり部屋から引きずり出されるって」
「それはあすかがそういう性格だからでしょ。みかるの場合は、そんなこと出来ないよ」
早紀が言って、あすかがそう? と首を傾げた。京子がおもむろに大きな一歩を踏み出す。何かを決意したような目に、親友の勘がざわついた。
「ちょ、京子、どうしたの? なんかヤバいこと考えてない?」
「麻央は黙ってて」
腕であたしを制し、京子がぐいとみかるの家を見上げる。というか睨みつける。おそらくみかるの部屋と思われる、出窓に撫子の花とテディベアを飾った二階の角部屋を。
「こら、みかる!! いつまでも甘えてんじゃないわよ!!」
よく通る、キンと尖っていて潔い感じの声だった。住宅街の細い路地、あたしたちの後ろを通り過ぎようとしていた背広姿の男の人がびっくりした顔でこっちを振り返る。
三十メートルぐらい向こうの路地で集まって立ち話してたおばさんたちも、何事って見開いた目をこっちに向ける。
希が顔面蒼白になり、めぐみが何かを言いかけて京子にやっぱり腕で制され、他のみんながぽかんと口を開けている中、京子の声は続く。
「あんたがどんなに引きこもろうが学校休もうが拗ねようが、逸見くんは二度とあんたなんかのところに戻ってこないわよ。みかるが悪いんだから。みかるは逸見くんに、絶対にやっちゃいけないことをしたんだよ」
めぐみが眼鏡の奥の瞳を見開いた後その目をアスファルトに投げ、他のみんなもそれぞれ俯いたりぼんやり京子の背中を見つめている中、あたしは不意打ちに往復ビンタでも食らったみたいな気がしていた。京子の言葉は、まるで自分に言われているように響く。
「なくなったもんにいつまでもしがみついてたってしょうがないじゃん。あんたのことは可哀想だと思うけど、そうやっていつまでもグズグズ拗ねてんのはあたしは嫌い。あんたのこと心配してくれてる人が、ここにこんなにいるじゃない。逸見くん一人いなくなったって、みかるにはみかるのこと好きな人がたくさんいるんだよ。拗ねてる暇あったら、そういう人たちにこれから自分が何を返せるか考えなさいよ」
言い終わって京子は小さく息をついた。ブラウスの胸が浅く上下した。
京子やみんなが期待していたことは、起こらなかった。そのままの状態でたっぷり三分は待ったけれどみかるの部屋の窓は開かないし、玄関からさっきのお母さんが出てきて、みんなありがとうなんて涙ながらに言うこともなかった。
ただ、道の端っこで井戸端会議中のおばさんたちがこっちに少しずつ移動してきて、それをきっかけに隣の家からもそのまた隣の家からもずっと向こうの家からも、次々人が出てきてはあたしたちと五、六メートルほどの間隔を空けて止まり、様子を窺う。
みかるの家とあたしたちに、べったり濃厚な好奇心の視線が貼りつく。まだ真っ青な顔の希が耐えられないと言うように京子のリュックのベルトを引っ張りながら言った。
「どうするの。これ、まずいよ」
「とりあえず、退散しよっか」
それが鶴の一声になって、あたしたちは文字通り一目散にその場を立ち去った。夕方といっても最高気温三十五度の真夏日だから、走ればすぐに汗が噴き出してくる。七人で住宅街を全速力で駆け抜け、大通りに出たところで京子が足を止め、みんなも釣られて止まった。誰からともなく笑い出した。
「京子超男前。マジ尊敬だわ」
なんて言いながら、あすかが京子の背中をバシバシ叩いてる。早紀と莉奈が口々に言う。
「ほんっと尊敬するよ今の京子、すんごい格好良かったし」
「でもみかる、あれで出てくると思う?」
不安そうな莉奈の質問に京子はさらっと答える。茶色い前髪を濡らす汗が爽やかだ。
「出てこなかったら次の手考えなきゃね。今度は部屋のドアをノコギリで切っちゃうとか」
「うち、ノコギリあるー!」
あすかが嬉しそうに言ってみんながどっと笑った。自転車に乗った男の人がベルを鳴らしながら近づいてきて、歩道いっぱいに広がってしゃべったり笑ったりしてるあたしたちの横を迷惑そうに通り過ぎていった。