ドアがぷしゅうと音を立てて左右に開き、めぐみと希が手を振りながら降りていく。二人は中学が一緒で、地元の駅も一緒。ちなみにあたしと京子も地元が一緒で、家もチャリで十分ぐらいしか離れてない。うちらの場合は、中学は違ったけれど。
電車が動き出し、京子が少し疲れた顔をしてシートに深く体を沈める。ひとつ向こうの地元の駅に着くまでは、京子と二人きり。あたしは京子を電車の中で見送って、更にもうひとつ向こうの駅で降りる予定だ。弘喜に会うために。
「ね、京子」
「ん?」
「実のとこどう思ってるの?あたしが三股かけてること」
あたしらしくない、マジな口調になる。京子が小さく笑った。
「そりゃ、よくないとは思うよ。だって麻央、三人とも好きで付き合ってるわけじゃないじゃん。恋に恋してるわけじゃないけど、男と付き合ってる状態に依存してるでしょ」
浅く首を縦に振った。
精神科医の診断なんか受けなくたってわかる、あたしは間違いなく恋愛依存症だ。常に彼氏がいないと気が済まないし、フラれて一人になるのが嫌だから、常に相手が何人かいないと駄目。
ラインの履歴に男の名前がないと、不安になる。男から必要とされること、たとえ体だけでも愛しいと思ってもらえること、その気持ちよさに依存してしまっている典型的な恋愛ジャンキー。
「依存ってさ、いつか絶対自分で断ち切らなきゃいけないと思うんだ。麻央だって、幸せな恋愛したいでしょ? でも依存してる限り、麻央は本当に幸せにはなれないんじゃないかな。依存って、視野が狭くなっちゃってる状態じゃん? 依存しているものばっかり大きく見えて、他のことが上手く考えられない。そんな時に幸せなんか見つけられっこないし」
「じゃあ、依存はどうやったら断ち切れるの?」
「わかんないよそんなの」
「何それ」
「それは、麻央が自分で考えることでしょ」
その通り。電車が鉄橋に差し掛かり、震動が下から突き上げてくる。金色に光り始めた水面が車内から見下ろせる。
「自分を幸せに出来るのは自分だけ、依存を断ち切れるのも自分だけじゃん? あたしは見守ることしか出来ない」
「京子は、あたしに依存を断ち切ってほしいと思う?」
「そりゃね。けどそれは、麻央の問題。あたしはあんたの愚痴に対してアドバイスすることしか出来ないし、麻央が望まない限りそれ以上のことはするべきじゃないから」
「京子ってさ、顔も老けてるけど、実際大人だよね」
「一言多いし」
二人で声を立てて笑った。大人が家に帰るにはまだ少し早い時間で車内はがらんとしてたから、遠慮ナシの大笑いだ。電車が橋を渡りきり、見慣れた町が近づいてくる。京子がリュックを背負い、降りる準備を始める。
十代の友だち関係って結構ベタベタしがちで、ベタベタするだけに疲れちゃって時にいじめめいたことに発展したりもするけれど、京子の場合は違う。大人っぽい自立した付き合いが、自然に出来る子なんだ。そんなところが好きだから、あたしは京子には何でも言えるのかもしれない。
地元の駅につき、京子が降りていく。たっぷり手を振った後、電車が走り出す。向かいのシートには誰も座ってないから、貸切のミニシアターを見てるみたいに目の前にばん、と西日に包まれた町の景色が大映しになる。
いつも見ていたはずのスーパーの屋根、建ち並ぶマンション、うねりながら流れていく川。この町がこんなにきれいだったことに、今さらのように驚いてしまう。
依存は視野が狭くなっちゃってる状態、か。たしかにずっと視野が狭かったあたしは、すぐ傍にあったこんな美しさにちっとも気づかずにいた。
次の駅にはすぐ着いた。希たちの地元の駅とあたしと京子の地元に比べれば、弘喜の地元はあまり離れていない。そしてここの駅前はなかなか発展している。
洒落たケーキ屋に洒落た美容院、オープンしたてのぴかぴかの大型スーパーとかが建ち並ぶ商店街の一角に、弘喜と待ち合わせているミスドがある。
どうせこの後ここから歩いて十分のラブホに行くんだからホテルの前で待ち合わせてもいいのに、さすがにそれはちょっとってことで一応、ミスドに寄る。そうやってあたしに妙に気を遣おうとするのは、彼女を裏切って他の女を弄んでる罪悪感を少しでも軽くするためなんだろうか。
店員さんのいらっしゃいませ、を聞きながら店内に弘喜の姿を探す。弘喜は奥の四人がけのテーブル席にいた。
弘樹のチャームポイントの、くるくるというよりはぐるぐるって感じの南方系の目と視線がかち合った後、すぐにもっと強烈なオーラを感じた。弘喜の隣に座った女が腕組みしながらこっちを見ている。髪の毛のカールの仕方があたしよりすごい。そしてあたしよりもかなり可愛い。
まったく遼といい弘喜といい、なんでこんな可愛い彼女がいるのにあたしみたいな胸だけが取り柄のヤリマンと浮気するかね? ふわふわした足で席に向かいながら、そんなことを考えていた。なぜか逃げるという選択肢は頭に浮かばなかった。
「ごめん、スマホ見られちゃって麻央のことバレて、それでどうしてもこいつがお前に会いたいって言うもんだから」
弘喜の向かい側、カール女の対角線上に座った途端、弘喜がいきなり言い訳を始めた。あたし、なんでこんな情けない男にヤラせちゃったんだろう。今さらながら、謎だ。
「
ラメがいっぱい入ったグロスをごってり塗った唇が動く。声は高いのに、威圧感がある。寒気がして俯いた。
「ど、どうも」
「あんたさ、弘喜にあたしがいるって知ってて手ぇ出したの?」
挨拶もなしに、いきなり核心部分に切り込んでくる。指輪を三つもつけた手がアイスティーのグラスをかき混ぜていた。氷が不機嫌そうにガラガラ鳴る。
「知ってたの? どうなのよ」
「はい、知ってました」
「ひとのもんに手ぇ出すなんて、最低。てかあんた、弘喜のことどう思ってんの」
「どうって」
「好きかって聞いてんの」
目の前にいる弘喜を見た。がっちりした肩幅をみっともなく縮めて俯いて、クーラーの効いた店内でこの人何なのって言いたくなるほど汗をかいている。サーフィンで日に焼けたという顔も真っ青だ。
こんな男のこと、ちっとも好きじゃない。ていうかあたしは今きっと、誰のことも好きじゃない。愛しいのは駿の思い出だけで、誰より愛さなきゃいけない自分のことさえうまく愛せない。
美雪の顔に目を映すと、冷ややかな美しさがあたしを威圧してくる。この子はきっと、自分のことが大好きで大好きでしょうがないんだろう。あたしはあたしのことなんてちっとも好きになれないのに。いつ消えてしまってもいいぐらいなのに。
「別に好きじゃないです」
答えたら美雪の白い顔が真っ赤になりながら引きつって、数秒後、平手が飛んできた。顔の片側が爆発したみたいで、派手な音がミスドの店内いっぱいに広がり、その場にあった目という目があたしに集中する。
「最低」
ソプラノの声が震えていた。長い睫毛を上下にくっつけた目が潤んでいる。美雪は弘喜を盗まれて怒って泣いてるんじゃなくて、自分を愛せないあたしを悲しんでいるように見えた。そんなわけもないのに。
「すごい好きだって言うなら許したわよ、でも好きでもないくせに彼女いる男と付き合うなんて、信じらんない。あんたみたいなサセコがいるから女が馬鹿にされんのよ」
「美雪、みんな見てる……」
弘喜が肩に伸ばそうとした手を美雪はまるで汚いもののように振り払う。あたしは二人から逃げ、好奇心むき出しの視線から逃げた。
バッグを持って走り出すと美雪も弘喜も追いかけてこない。自動ドアが閉まる時、掠れたありがとうございました、が聞こえた。