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第六話 子どもでいよう(1)

デートの定義ってなんだろうか。



 放課後に制服のまま肩を並べて駅ビルをブラブラし、女の子のペースに合わせて洋服や雑貨を物色する。何をしようというしっかりした目的があるわけじゃないが、行動よりも二人きりで一緒にいる、そのこと自体を楽しむ。


しかし俺と江里えりは明らかに、二人でいる、ただそれだけのまっさらな事実じゃなくて、行動そのものを楽しんでいた。そして洋服屋に入った江里は棚にずらっとぶら下がった洋服たちを本当に楽しそうに物色し、俺は別に何の感動も関心もなくその様子を一歩下がって見守っている。



「ねぇ、これすっごい可愛くない?しかも二九〇〇円だって。やっすー」

「安いな」

「試着してきていい?」



 こう聞かれて待たされるの嫌だから嫌、とは言えない。試着室に入った江里を壁にもたれて待ちながら、Honeysの店内を眺める。


安くて可愛い服が多いと人気の女物のアパレルチェーン店は、放課後の今は制服姿の女子中高生がとにかく多い。オープンに付き合っている仲だが、一応知った顔がないか気になってしまう。


俺の地元の駅は結構発展していて、うちの高校の生徒の中にも放課後ここまで足を伸ばし、遊んで帰る奴が多かった。男子の目当てが四階建てのでっかいゲーセンなら、女子の目当てはHoneysを始めとする駅ビルに軒を並べる洋服屋だ。



と、試着室のカーテンが開く。黒いタイダイ柄のワンピースに身を包んだ江里が、にんまり俺に笑いかける。どうやらかなり気に入ってるらしい。



「どう、似合う?」

「うん……可愛い」

「オッケー。じゃあ決まりっ」



 まもなくカーテンが閉まり、中から衣ずれの音が漏れ聞こえてくる。ドキドキしているのはカーテン一枚隔てた向こうで江里が裸になっているからじゃなくて、あのワンピースを着た葵を思い浮かべてしまったからだ。ああいう服は小柄な江里より、背が高くてすらっとした葵によく似合うだろう。


 江里は俺の初めての彼女だ。キスもセックスも経験があったけど、女の子と「付き合う」のは正真正銘これが初めて。


カップルとして、週に二日は放課後を二人きりで過ごす。こうやって地元の駅ビルをぶらぶらして、時々ボウリングやカラオケに行って、お茶をして。江里といるのは楽しい。


一年の頃からよく一緒に遊んでた気心の知れた友だちだし、大体のことについて意見が合う。でも、それだけだ。楽しい、気を遣わなくて済む。江里に対してそれ以上の感情は起こらない。



 Honeysを出て、さりげなくさっきのワンピースが入った買い物袋を持ってやる。江里はありがと、と男と付き合うことに慣れている女らしく当たり前の顔をして紙袋を差し出してから、あっと何かを思い出した声を出す。



「そうそ、この前保樹やすきが買ってくれた指輪、葵にあげちゃった」

「指輪って、あの小指用の、ピンクのハートの石がついたやつ?」

「そうそ、葵、あれ欲しそうにしてたし、それに手がきれいな葵のほうが指輪似合うし。いいよねぇ?」



 別にいいよと頷いて、それでその話題は終わった。この駅ビルの二階のアクセサリーショップで、一月半前に江里に買ってやったやつだ。ちょうどバイト代が入ったばかりだったし一応恋人なんだし、たまには彼氏らしいこともしてやらなきゃと思ったわけだが。



 俺は買ってやってから一度も、江里の小指にあの指輪がはまっているかどうか、気にしたことがなかったんだ。




 帰ってくると葵が大舘おおだて家の庭のガーデンテーブルでぼんやり頬杖をついているのが、背の低い生垣の向こうに見えた。


誰かが出て行った直後らしく門のフェンスが開けっ放しで、葵は考え事に夢中なのか俺が帰ってきたのに気づきもしない。時刻はまもなく夜の七時、ピンクや紫に染められた空の光がここまで落ちてきて、葵のくっきりと彫りの深い顔に微妙な陰影を作っている。



「よっ」



 大舘家の庭に入っていきながら声をかけると、葵はまず目を見開いて、それから渋い顔をした。そんな態度を取られるのには慣れているので今さら凹まない。


葵は私服に着替えていて、ペイズリー柄のブラトップにショートパンツというかなり露出度の多いいでたちだった。あまり深くはないものの谷間がちらっと見えて、慌ててその部分から目を逸らす。



「おばさんは? 中、やけに静かだけど」

「向かいのお家にゼリーあげにいったの。お中元でいっぱい届いてさ。保樹のとこにも、そのうち持っていくんじゃない」


「そう」

「てか、勝手に人ん家に入ってこないでくれない?」


「いいじゃん幼なじみなんだから」

「親しき仲にも礼儀あり」



 高校に入ってから、葵はこの言葉をよく使うようになった。俺を拒むように。


やれやれとかぶりを振りながら空いているガーデンチェアに腰掛ける。家を建てた時に余った木材で作ったというこのテーブルセットは、本来は退屈な昼下がり、優雅に庭でお茶なんかを飲む時のものらしい。


しかし実際はもっぱら、葵が夏の夕方、夜風に当たりながらぼんやりするためだけに使われている。風雨に晒されてペンキが剥げかけた椅子に尻をつけながら、葵の左手を確認する。ピンクのハートの石は、見当たらない。



「指輪、はめないの?」

「指輪って?」

「こないだ、江里からもらったやつだよ」


「あぁ……あれ、左手の小指にはめとくと幸せが逃げない指輪なんだってさ。つまり幸せな時にはめなきゃ意味ないでしょ?」



 それは今自分が幸せでないとカミングアウトしてるようなもので、俺は苦笑しながら曖昧に頷いた。


少し前、葵は去年から付き合ってた彼氏と別れた。藤屋一臣ふじやかずおみっていう同じ学校の奴で、葵とは一年の時にクラスが一緒だった。


あまり目立つタイプじゃないが落ち着いていて大人びた雰囲気を持っていて勉強もやたら出来て、顔もけっこうきりっとしてて葵とはよく釣り合ってたのだが、最後は中学の頃に付き合っていた女とよりを戻し、あっさり葵を捨てたのだ。


そんな男に入れあげる葵を見ているのも腹立たしかったが、今でも葵は明らかに藤屋への失恋を引きずっている。



「意外だな。葵がそういうジンクス、本気にするなんて」

「いいじゃない別に。ところで今日は江里とデートだったんでしょ? どうだった?」


「どうって別に、普通だよ」

「普通って。あんた、男なら壁ドンして、キスぐらいしちゃいなさいよ」

「お前、やれやれってうるせぇよ」



 またこの話だ。葵はいつまでも手ひとつ繋がず、健全で清らかなお付き合いをしている俺らに苛立っている。一年の頃から俺と江里をくっつけるのに夢中で、二人きりになれば「江里のことどう?」なんてしつこく聞いてきて、付き合い始めてそれも終わりだなと思ったら、今度はこの調子だ。


こっちは葵にそんなことを聞かれれば、辛くてたまらなくて内蔵がぎゅっと捻られたような痛みが皮膚の下から突き上げてくるのに。



「あんたと江里が普通じゃないからいけないんでしょ、心配させないでよ」

「普通って何だよ、まだ高校生なんだから純愛でいいじゃん。中学の頃の俺らみたいなのがおかしかったんだよ」



 つい、きつい口調になる。中学の頃のことをちらっと思い出した。今より少しだけ幼い顔の葵が、舌を伸ばしながら冷めた目で俺にキスをねだったこと。俺に向かって尻を突き出して、無心に腰を動かしてたこと。今では切ない感傷しか起こさない記憶が押し寄せてきて、手のひらを握る。葵が目を伏せる。返ってきた声は掠れて強張ってた。



「あたしは別に、保樹と付き合ってないし」


 その言葉がどれほど俺を傷つけるか、葵はわかって口にしてるんだ。俺はどうしようもなくなって下を向き、葵が立ち上がる。芝生を踏む音が遠ざかっていって、突然止まった。



「あたし、彼氏出来たから」


 ばっと顔を上げた俺に、挑戦的な目が一瞬合った。葵はすぐにツンと前に向き直り、駆け足で家の中に消えていった。



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