夏休みが近くてどの高校も授業は午前中で終わるから、昼過ぎの街は制服姿が多い。
地元の駅ビルをいつものように江里と二人で散策していると、何度も知った顔に会った。女連れで友だちに会うのは気まずい。気を遣って「じゃあまた」なんて言われると、明日どんな顔でこいつに会ったらいいのかわからなくなる。
ましてや江里は本当の本気で好きになった女の子じゃなくて、いわば成り行きでこうなってしまった間柄なのだ。俺たちのことを勘違いしている他人の目を、どんなふうに見れば良いのやら。
「あれー、江里じゃん? そっちもデートぉ?」
ポップコーンがはじけるようなはしゃいだ声がすると思ったら、篠崎麻央だった。隣には彼氏の八幡隼悟、その隣には八幡の親友の逸見陸人に、そして市原琴子。
市原以外はみんな割と有名人だ。篠崎は男好きのビッチとして、八幡は金髪頭として、逸見はこの間黒井を振ったばかりの二年生でも有数のイケメンとして。
江里と篠崎は中学が一緒で同じクラスだったこともあるらしく、普段からつるむほど仲は良くないものの会えば立ち話ぐらいはする仲だ。
「そっちもってことは何? 麻央たちはWデートってわけ?」
「そっ。あたしと隼悟、それに逸見くんと市原さんね」
「へー。市原さん、彼氏出来たんだね? よかったじゃん」
「ち、違うよ。彼氏とかそんなんじゃなくて」
真っ赤になった市原に逸見がなんてことのない顔で「何? 違うの?」なんて言い出して、もっと真っ赤になった市原が江里と篠崎と八幡に笑われている。
幸せそうに頬を赤らめる市原は、特にきれいな顔立ちをしているわけでもないのになんだか可愛く見える。逸見と黒井が別れてからずっと逸見といい感じで、最近通学路でも時々逸見と一緒にいるのを見かける市原。
あんなに可愛い子と付き合っていた逸見がどうしてこんな何の変哲もない、普通の女の子を次の彼女に選んだのかはわからないが、ともかくも恋をするとそれだけで女がきれいになるというのは本当なんだろうと思った。
「麻央さ、中学の頃にすっごい好きな人がいたんだけど、その人と別れてからなんかおかしくなっちゃって、いろんな男といっぺんに付き合うようになっちゃったんだ。恋愛依存症っていうのかな。でもこの度、八幡くん一人に彼氏をしぼったの。えらいよね」
四人と別れた後、江里はさっそく歩きながらしゃべりだした。すれ違った同じジャージ姿の中学生たちが、きゃらきゃらと甲高い笑い声を上げる。付き合うとか別れるとかがまだ半ばゲームのように行われていたあの頃、今思い返せば本当に子どもだったと思う。今でも大人には遠く及ばないけど。
「まぁ、その前に何人も付き合ってたってのがおかしいけどな。逸見は、市原と付き合うことにしたらしいな。意外だな」
「意外っちゃあ意外だけど、市原さんはずっと逸見くんのこと好きだったんだって」
「なんでそんなこと知ってんだよ」
「女同士だと早いから。噂、広まるの」
そんなもんかなぁと首を捻っていると、江里がいきなり立ち止まった。視線が一点でカチッと固まっている。どうした、と言おうとしたらシッと人差し指を立てられ、観葉植物の鉢の裏へ引っ張っていかれた。
ぶらぶら歩いてるうちに、いつのまにかサーティーワンや銀だこやモスバーガーが建ち並ぶフードコートまで来ていた。ランチタイムを外れているせいか、ずらりと並んだ白いテーブルはぱらぱらとしか埋まっていない。
「どうしたんだよ」
「静かに。ほら、あれ」
パキラの葉っぱの間からラメのマニュキアを塗った指を突き出し、テーブルを挟んで向かい合う二人を指し示している。小谷彰彦と西嶋志乃。少し前まで付き合っていて、かなり噂になった二人だ。片や葵や黒井みかるに負けずとも劣らない美少女、片やサエないバスケ部の補欠で、西嶋と付き合って初めて名前を知ったという人も多い。
「ごめんね、こんなところにわざわざ来てもらっちゃって。わたしたち、とっくに別れてるのに」
大のJ―POP嫌いな葵が聴いたら思いきり眉をひそめそうな、流行のアイドル曲のインストゥルメンタルバージョンがBGMとして流れていて、機械で作られたメロディの隙間から二人の会話が漏れ聞こえてくる。
これはもしかして、いやもしかしなくても、盗み聞きに当たるんじゃないだろうか。江里にこんなことやめようと言って、今すぐその場を立ち去るべきなんじゃないだろうか。しかし理性を卑劣な野次馬根性が打ちのめして、俺は結局西嶋の声に耳を澄ませている。
「はっきり言うね。わたし、今でも小谷くんが好き。別れてからも、ずっと好き」
その言葉は間違いなく小谷に向けられているのに、なぜか自分に言われている気がして胸がどくんと跳ねた。江里も同じ思いなのか俺の隣で今にも息が止まりそうな顔をしている。西嶋は落ち着いた調子で続ける。
「ごめんね、困るよね、別れたのにこんなこと言っても。でもね、ほんとなの。小谷くんが好きで忘れられなくて、見かける度に目で追っちゃって。そういうの、キモイって思う?」
「思わないよ」
初めて小谷の声を聞いた。男にしては高く、いつも喉が潰れてるような声が、少しだけ震えていた。西嶋のソプラノも掠れる。
「小谷くんさえよければ、もう一度わたしと付き合ってくれるかな?」
「……ありがとう」
純粋な「ありがとう」なのか、それとも断るための優しい台詞なのか、どっちにも取れる言葉。二人がどうなろうがまったく関係ない俺の額に汗が滲む。江里が落ち着きなく指の腹同士をこすり合わせている。
「ありがとう、言ってくれて。僕もずっと、西嶋さんが好きだった。別れてからもずっと。けど、西嶋さんが……いや僕が、西嶋さんと付き合ってるのを周りにいろいろ言われるのが、嫌になって。そんなのくだらないってわかってたしずっと後悔してたよ、西嶋さんにああ言っちゃったこと」
「じゃあ、わたしのことあんまり好きじゃなかったっていうのは」
「嘘だよ。ごめんね、本当にバカだ僕。でもまさかあれを取り消してなんて言えなくて、一生懸命西嶋さんのこと忘れようとしてでも無理で、そしたら西嶋さんのほうからこんな。ほんと、ありがとう。僕なんかに勿体無い」
べったりと白く塗られたテーブルの上で、小谷が西嶋の手を握った。壊れ物に触るような、おっかなびっくりな手つき。西嶋の大きな目が潤む。ふふ、と照れ笑いのように唇が揺れる。
「しばらくは、みんなに内緒にしようか。わたしと小谷くんが復活したこと」
「いや。そんなこと、しなくていい」
そこで江里にわき腹をつっ突かれ、俺たちは足音を立てないようにして素早くその場を離れた。二十メートルほど行ってやっと江里が振り返り、ほうとため息をつく。
「いやぁ、すげぇもん見ちゃったな」
「だねぇ」
「しっかしあんな似合ってないカップル、他にいないだろ。周りにいろいろ言われて別れたってのは気の毒だけど、いろいろ言われる組み合わせなんだからしょうがない」
「まぁいいんじゃない、本人たちが幸せなら。それにしてもすごいね、西嶋さん。フラれてもう一度告白するなんて」
「だな。俺には絶対出来ないし。西嶋は女の割に強いよ」
「えー、女の子はみんな、その気になればあれぐらい強いもんだよ?」
江里が歌うように言う。その横顔はどこか意味深で、何か別のことを言おうとしている予感があった。
「女は強い、の。誰でも心のどっかに、怖くても一歩踏み出してぶつかってく、そんなガッツを秘めてる。それに比べると男は情けないよね、いっつも女のほうばっか頑張らせちゃって。保樹もそんな、情けない男になるつもりなの?」
「何が言いたいんだよ」
「葵にコクっちゃえばって言ってるの」
江里とその話をしたことはないが、お互いちゃんと気づいていた。俺が葵を好きなこと、江里がそれを知っていること。口調は軽いのに俺を見る目は真面目で、つい視線をあさってのほうにやってしまう。
「彼氏に浮気を勧める彼女ってのも、前代未聞だな」
「うちら、そもそもニセモノのカレカノじゃん。何? あんたちょっとでも、あたしのこと好きだったの?」
「いや、違うけど」
「だよねぇ」
江里がケタケタ笑い出して、それを見ていたらなんか俺まで気が抜けてしまって、江里と一緒に腹が震えた。
コクってきたのは、江里のほうだった。二年生になったばかりの頃三人でカラオケに行って、途中で葵がバイトだからと帰ってしまって、江里と二人きりになって。江里はあいみょんのバラードを歌った後でふっと思い出したように、
「うちら付き合わない? そのほうが、葵も安心すると思うんだ」
なんて言い出して、いきなり過ぎて戸惑いつつ首を縦に振ってしまったのだ。葵と二人きりになる度「江里のことどう?」と聞かれる苦痛から、逃れられると思ったから。
葵は一年の頃からずっと、俺と江里をくっつけたがっていた。自分が俺を振ってしまったことが後ろめたくて、なんとか俺に彼女を作ってやりたかったんだろう。優しいのか自分勝手なのかわからない。
「あん時元彼と別れたばかりで暇だったし、じゃあ葵のリクエストに応えてやるかーって思ったわけよね」
「なんだよそれ」
「でもニセモノなんて、いつまでも続かないでしょ。そろそろ潮時だよ、うちら」
「そうだな」
「そして、葵にコクってやって」
「どうせフラれるよ」
「フラれてもいいじゃん。あたしには出来なくても、保樹には出来ることがあるし」
そうやって俺らは相変わらず恋人同士にしてはよそよそしい距離を挟み、昼下がりの駅ビルで気持ちよく別れた。