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第六話 子どもでいよう(7)

風呂から上がって寝ようとしたら、スマホがぶるぶる音声着信を告げた。画面に表示されてるのは葵の名前。かけ直すとものすごく不機嫌な声が、開口一番、言った。



『なんで江里と別れたの』

「あれ、もう聞いたの」


 我ながら白々しい返事だと思った。電波を通した声がもっと尖る。



『今、江里からラインが来た。なんでって返したらあんたに聞けっていうから。どういうことよ』


「そもそもお互い別に好きでもなんでもなかったんだよ、友だちとしては大好きだけど。付き合ってたのは葵のためだ」



 きっぱり言ってしまうと、こっち側と向こう側で同時に沈黙が広がった。窓の向こう、五メートルも離れてないところに葵の部屋はある。


電気はついているがカーテンはしっかり閉められていて、葵の姿は見えない。カーテンを開けて顔を見て話そうと言おうとしたら、拗ねたような声が聞こえてきた。



『そんなこと、しなくていいのに』

「そうだな。だからやめた。葵もさ、やめろよ鵜飼のこと」

『今はあたしのことは関係ないでしょう』

「そして俺と付き合え」



 葵の言葉を最後まで聞かずに言った。再び長い沈黙。緊張なんてちっともしてなくて自分でも驚くほど落ち着いていたのに、言った途端心臓が十六ビートのリズムを刻む。


ついに、言ってしまった。葵を好きだと自覚したのは幼稚園の時、いつどうしてだったのかはっきり覚えてもいないぐらい、ガキの頃だった。


それから十年以上もずっと気持ちを伝えることを躊躇っていた、俺のことを幼なじみとしてしか見てくれない葵のすぐそばで。


中学生ぐらいになって他の女から時々コクられるようになっても、まったく気持ちは動かなかった。将来俺の彼女になる人は葵以外にありえなかった。どんなにつれなくされても冷たくあしらわれても、俺はどこかで葵と共有する未来を信じてた。


 悲しそうな声がする。



『無理。保樹のこと、そういうふうに見れない』



 覚悟はしていたのに、最初からわかっていたはずなのに、どうして俺は今こんなにも辛いんだろう?


 十年以上も積み重なった思いをあっさり跳ねつけた葵に、かける言葉が見つからない。永遠の暗闇のような沈黙の向こうで、葵が言う。



『明日、鵜飼さんとデートなんだ、渋谷のホテルのレストランで。だからそろそろ寝るね』



 掠れた声でもっとも残酷な言葉を吐き出し、葵のほうから通話を切った。まもなく葵の部屋の電気が切れ、二人とも夜の底に沈んだ。朝なんか二度と来ないような気がした。


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