「僕のディエを愚弄するなっ!」
癇癪を起した子供のようにイオンは叫ぶ。
そして目の前のケーキの箱を贅肉たっぷりの腕で薙ぎ払った。
まるで何も入ってないように勢いよく箱はテーブルから落ちて、そして嫌な音を立てた。
ぐしゃりというケーキが潰れる音。父が時間をかけて丁寧に作っていたのを俺は知っている。
苺のショートケーキと季節のフルーツタルトとベイクドチーズケーキ。
何時間もかけて、見栄えが少しでも良くなるようフルーツの盛りや飾り切りにも拘って。
それが今全て無駄にされた。一度もその美しく瑞々しい姿を見て貰える事無く。
「ディエはお前にしつこく恋人はいるかと聞かれて、怖かったと言っていたんだぞ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐイオンと反比例して俺の心は冷え切っていく。
いや嘘だ。こいつを殴らないようきつく握りこんだ手は熱を持っている。
目だって怒りに燃えるようだ。
嘘つき女と騙され男。これがディエとイオンの関係なのだろう。
何でこんな馬鹿二人に、俺や俺たちの店や、父の作ったケーキたちが巻き込まれなければいけないんだ。
「そんなの嘘に決まってる、そんなこともわからないのか」
「な……!」
「あんたは俺たちのやり取りを盗み見ていた。俺に対して一度でもディエが怯えた顔をしていたか?」
声が震える。予想以上にケーキが台無しにされたことがショックだったらしい。
前世のケーキ屋で偶にクレーマー対応をしたことはあるのに。
でもこんな風にケーキを食べもせず目の前で壊されたのは初めてだ。
俺は急に前世の暮らしが恋しくなってしまった。
あんな死に方をしたし嫌な事だって沢山あった。
でもここまで非常識で理不尽な目には遭ったことは無い。だけど相手は貴族で俺は平民だから逆らってはいけない。
前世の記憶を取り戻してから一番嫌な気分になった。泣きたくなる程に。
言葉を飾ることも出来ないまま、呼吸するように言葉を吐き出す。
「ディエはあんた以外と結婚したいだけだよ。当たり前だ、食べ物を粗末にしてぶくぶく太って」
「き、貴様……!」
「彼女は貧乏な暮らしをしているのに、こんな風にケーキを八つ当たりで滅茶苦茶にする奴になんて好きになる筈無いだろ!」
思わず声を荒げてしまう。
ゲームをプレイしながら思っていたことと目の前のイオンの所業を見て感じたことが混ざり合い止められなかった。
ディエは多分俺を売った。イオンに関係を尋ねられでもしたのだろう。
彼女に一切を気を持たせる対応をしなかったのが裏目に出たに違いない。
ゲームヒロインとしても元々好きでなかったディエへの好感度は今や底辺だった。
それはそれとして目の前の男をディエが好きにならない理由だってわかる。
先程口にしたようにディエの家は貧しい。騎士だった父親が戦争で足を負傷し戦えなくなったからだ。
母親は病死して父親は騎士でなくなったショックで酒浸りだった。
だから家は借金だらけで女優になるどころか学校を辞めて働くしかない所だった。
でもディエに惚れこんでいたイオンが借金の肩代わりと融資を条件に彼女に婚約を持ちかけた。
承諾したのが父親なのかディエ本人なのかはわからない。
俺が知っているのはゲーム内でディエがイオンを愛したことは一度も無い、それだけだ。
金に苦労して身売りのような形で婚約したディエは、隙あらば他の男に乗り換えたがっていた。
イオンの外見も原因の一つだろうが価値観の違いも大きい筈だ。彼女は婚約する前までは毎日の食事さえ困窮していたのだから。
それはこの世界でも多分同じだ。目の前のイオンが何も言い返してこないのが証拠だった。