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第32話

 姉と父が菓子店の閉店作業をしている間、俺もそれなりに忙しく動いた。

 一旦自室に戻り持ち帰った荷物の整理をして軽く身だしなみを整える。

 これは短時間で済んだので居間に移動してテーブルを軽く拭いた。


 台所に少し洗い物が残っていたのでそれを片付けて、湯を沸かして茶器と茶葉の用意をする。

 その間小腹が空いたので台所に設置してあるテーブルと椅子を使い軽く食事をした。

 棚に有ったロールパンを数個バターとジャムを塗って食べる。


 パンは焼き立てではないが、軽く炙ると香ばしく十分に美味だ。恐らく昼食の残りだろう。

 もしかしたら夕飯に使う予定だったかもしれないがそちらは売れ残りのパンで間に合うと思いたい。


「うまっ……」


 半分夢中になりながら残っていたパンを次々平らげる。

 己で思うよりずっと空腹だったみたいだ。一応イオンの家に行く前に軽く食事は摂って行ったのに。

 食べ終わったタイミングで湯が沸いたのでティーカップにそのまま注いで飲む。

 茶葉を使うのは全員揃ってからだ。姉に言わせると俺は貧乏性らしい。


 前世でも似たようなことを言われたなと考えて俺は苦い顔をした。

 元婚約者だ。別に彼女に対して節制を求めたことは無かったが、男としてみっともなかったらしい。

 そうやって貯金した金は彼女への贈り物に消え、最終的には通帳ごと奪われてしまったが。

 せめて俺の葬式代ぐらいは返してくれないかと二度と会うこともないだろう彼女に思った。


 ただの湯なのに何だか苦みを感じ、俺は溜息を吐いた。

 折角ポプラが気を切り替えさせてくれたのに無駄に落ち込むのは良ない。

 父と姉も心配させてしまう。


「そういや茶の一つも出されなかったな……」


 考えを前世から現世に戻す。

 そして公爵邸でのことを思い出しながら呟いた。


 別に俺はただ商品を配達しに行っただけだから歓待されなくて当然だ。

 ただそれは入り口で注文を渡して終わりな場合だ。


 父の菓子店には貴族の常連客が何名か居る。

 配達時たまに商品などの説明を貴族たちが直々に求めてくる場合もある。


 その場合はこちらが恐縮するぐらいのもてなしをしてくれるのだ。

 茶どころか庶民が味わえないような果物などが出される場合もある。


「まあ、目的が商品じゃなかったから当然か」


 ディエに不埒な真似をした俺を締め上げるのがイオンの目的だった。

 寧ろそんな彼に茶や食べ物を出された方が怖い。何が入っているかわからないからだ。


 そして俺は平民で相手は公爵令息。

 どんな変な物が入っていようと食べろと勧められたら断ることも出来ない。

 今更ながら冷や汗が出て来た。


 イオンが子供じみた性格だったのは不幸中の幸いだったのかもしれない。

 広い敷地を長々と歩かせたり、持って来たケーキを一口も食べず台無しにする以上の嫌がらせだって彼には出来たのだから。


「アリオ、お待たせ」


 パルの明るい声が聞こえて、無意識に安堵する。

 俺は椅子から立ち上がった。けれどそれを手で制して姉は言った。


「良いわよ、お茶ぐらい私がやるから。あんたはそれ全部食べちゃいなさい」


 手に持っていた食べかけのロールパンを指さされ、俺は何だか恥ずかしくなった。

 まるで食いしん坊の子供みたいだ。


「それで足りなかったら父さんが残りのパンも持ってくるからそれも食べたらいいわ」

「いや大丈夫だよ、夕食の分無くなるだろ」

「別にいいわよ。その時はパスタでも茹でるし」


 テキパキと茶を淹れた姉は俺の前にカップを差し出した。

 狭いテーブルにカップが二つ置かれる。両方とも俺用だが正直二つも要らない。


「俺の分はもうあるし姉さんが飲みなよ」

「あんたのただのお湯でしょ、気分が落ち着くハーブティーだから飲みなさい」

「……わかった」


 どうやら姉なりに俺のメンタルを気遣ってくれているらしい。

 少しスースーするお茶をゆっくり味わうと確かに気分が落ち着いてきた。 



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