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第35話

 俺がゴールディング邸に行ってから二か月が経った。

 当初は怒鳴られたことに後から怒ったイオンが何かしてこないか恐れつつ生活していたが何の音沙汰も無かった。


 店番も二週間くらいは二人体制でやっていたが、それも元の一人体制に戻った。

 ちなみにモヒカンチンピラたちはまだ出禁のままだ。

 一度配達中の俺に縋りついて姉への取り成しを懇願してきたが、逆にそれが姉の怒りを買い彼らの出禁期間は延長された。


 懇願を往来でやられた為、俺がモヒカンたちを遊んで捨てたという変な噂が一瞬だけ流れそうになったから同情はしない。

 心から反省して欲しい。


 そしてディエに対してだが彼女が俺に接触することは無かった。

 ただ一度だけポプラに教えて貰って、彼女の家の近くまで行ったことがある。


 自分でも何故そんなことをしたのかはわからない。

 夕方と夜の狭間の時間、スラム街の中でも小綺麗な通りを少しだけ緊張しながら歩いた。


 別にディエに会おうとした訳ではない。実際彼女と顔を合わせることは無かった。

 ただ飲み屋がある通りでディエの名を乱暴に呼んで怒鳴りつける男の声が聞こえた。それに謝る少女の声も。


 多分彼女を怒鳴りつけたのは飲んだくれの父親なのだろう。

 以前ポプラが見かねてディエを助けて父親を叱ったらしいが、それで改善するような関係では無かったということだ。


 俺はその後ポプラがどういう目に遭ったかを聞かされていたので助けたりはしなかった。

 ただディエが歪んだのも救い出してくれる誰かを待ち続けるのも、少しだけわかる気がした。


 でもだからといって嘘を吐いてイオンを騙したりポプラに嫌がらせをして良い理由にはならないけれど。

 自分が不幸だからと言って他人を不幸にしていい理由にはならないのだから。


 でも少し不思議だった。

 イオンに頼めばきっと彼は喜んでディエを屋敷に迎えるだろう。

 そうすれば彼女を怒鳴りつける父親とも離れることが出来る。こんなスラム街に住まなくても良いのだ。


 それをしないのは父親がそれでも大切だからか、それともイオンにそこまで頼りたくないのか。

 考えたけれど答えが出ないまま俺は騒がしくなり始めたスラム街を後にした。


 このことは姉にも父にもポプラにも言わなかった。

 それ以降は拍子抜けするぐらい何事も無い日々が続いた。


 ゴールディング公爵家から又呼び出しや注文が来たらどうすると家族で何度も話し合ったのが無駄に思えるぐらいだった。

 その間に変わったことと言えば俺は久し振りにカロリー低めの菓子を何個か考え、その中の幾つかが店頭に並ぶことになった。


 イオンの丸々とした体格とディエに惚れて欲しければ痩せろと怒鳴りつけたことが久々の商品開発の理由だった。

 別に彼に食べて欲しいという訳ではない。ただ良くも悪くもイオンはインパクトの強い男だったのだ。


 もし俺の言葉が彼に少しでも届いていたら、あの転がせそうな体型も多少は萎んでいるだろうか。

 ディエに好かれなくても健康の為には痩せた方が良い。結婚式の階段落ちで死ぬ未来を回避する為にも。


 姉やポプラに話したらお人好しだと呆れられるだろう。だから黙って完成させた。

 その中で特に評判が良かったのは蜂蜜とドライフルーツとチーズのクッキーだ。

 生地に蜂蜜を練り込まず表面に塗ることで甘さを強く感じさせることを選んだ。


 チーズと数種のドライフルーツは味や彩りへのアクセントと、美容と健康に良さそうなイメージだから入れた。

 実際必要量を摂取する分には良いだろう。

 満足感があるように一枚を大きめにして一個から販売。

 クッキーとしては値段は少し高めだがケーキ程ではない。カロリーもだ。

 帳簿付け係の姉に言わせるとそこそこのヒット商品となりそうらしい。


 その結果に満足したせいかイオンについて考えることも少なくなった。

 俺の関与しないところでイオンもディエもそれなりに暮らしていけばいい。

 良い知らせも悪い知らせも教えてくれなくていい。


 そんなことを考えながら一人で店番をする。今は昼過ぎ。父は仮眠中で姉は休日を友達と満喫しているだろう。

 俺は客の居ない店で椅子に座りながら次の季節向けの商品について考えていた。


 するとドアに取り付けた鈴が鳴って客の訪れを知らせる。


「いらっしゃいませ」


 俺はノートから顔を上げて来客を歓迎する。

 訪れたのは身なりの良い長身の青年だった。


 どこかで見たような気がするが思い出せない。

 俺は内心首を傾げながらその金色の髪と青い瞳を見た。


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