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第2話 縁切り結びの玉手箱

 縁切り結びの玉手箱。

 愛佳が言うには、その発端は十年以上も昔のことらしい。

 今では廃部となってしまってもうないが、私たちの通っている高校には当時、演劇部があった。部員数はそれなりに多く、修学旅行や文化祭といった学校イベントをテーマとした日常系の演目に加え、現代文の教科書にある身近な文学作品や誰もが知っている昔話を取り扱ったものも演じていた。かなり活気に溢れていたようで、今となっては想像もつかないが、文化系の部活動の中では吹奏楽部や合唱部と並ぶほど人気があったらしい。

 そんな演劇部に、とある内気な女子生徒がいた。主役級の役なんてまるでしたことがなく、基本的に裏方か脇役の中の脇役といった役をするくらいの奥手な女の子だったが、彼女は同じ部活に所属している男子生徒に恋をしていた。

 男子生徒は彼女と違い、主役や準主役を演じ切れるほどの演者だった。かといってそれを鼻にかけることはなく、その女子生徒のような、ともすれば演者には向いていないような生徒にも分け隔てなく接する素敵な男子だった。

 必然と言うべきか、女子生徒はその男子生徒のことが好きだった。要領が悪く、物覚えも良くない自分にも根気強く教えてくれる男子生徒に、女子生徒は仄かな恋心を抱いていた。

 けれど、男子生徒は当然のごとく人気者だった。その女子生徒に限らず、同じ部活に所属する何人もの女子が好意を向け、アプローチをかけるほどだった。女子生徒は自分への自信のなさや内気で奥手な性格も相まって、気持ちを伝えられずに悶々とした日々を送っていた。

 そんなある時、高校の生徒がボランティアとして参加する地域交流イベントで、演劇部として『浦島太郎伝説』を演目に演劇をすることとなった。

 主役はもちろん、浦島太郎と乙姫。配役としてはそのほかに、亀や亀をいじめる子どもたち、竜宮城の魚たちといった、変わり種のない至ってシンプルで忠実な脚本の演劇だった。イベントとしての規模も小さく、演者の練習も兼ねて新人や演じることに苦手意識のある演者主体で進めていくことになったそうだ。

 女子生徒は自分を変えようと思った。このままでは一生男子生徒に想いを伝えることなんてできない。そのためにも、まずは自分に自信を持てるようになろうと考え、彼女は乙姫役に名乗りを挙げた。

 するとそこで、なんと想いを寄せている男子生徒が浦島太郎役をしたいと言い出した。部としての方針はさることながら、そのイベントには男子生徒の家族も見に来るとかで、どうしてもしたいらしかった。

 当然、演劇部の中に緊張が走った。彼がやるなら、と表立って言わないまでも、明らかにその相手役を演じたいという思惑を思った演劇部の女子が後から何人も乙姫役に追加立候補をし始めた。そうして部内会議で話し合った結果、自主性を重んじる部の基本に立ち返り、オーディション形式で演者を決めることとなった。

 青天の霹靂へきれき。女子生徒は思いがけず仲間たちと競うことになったが、立候補を取りやめることはせずに必死に練習を重ねた。全ては、憧れで意中の彼に見合う自分になるために。

 しかし、現実はそう上手くはいかなかった。

 その女子生徒は懸命に練習したが実力は及ばず、当時一番演技が上手かった女子が乙姫役を勝ち取った。

 そればかりか、この時の演劇練習をきっかけに乙姫役となった女子とその男子生徒は恋仲となり、女子生徒の恋は儚く終わりを迎えることとなった。

 結局、女子生徒は照明係として、千秋楽せんしゅうらくまでその男子生徒たちにライトを当て続けていた。

 そして、全ての日程を終え、片づけをしていた女子生徒は見てしまったらしい。

 好きだった男子生徒が、恋人となった乙姫役の女子と、幸せそうに仲良くしているところを。

 女子生徒は人知れず、静かに涙を流した。

 女子生徒は強く願った。

 自分の心に満ちている、男子生徒への恋心や優しくしてくれた楽しい思い出が消えてしまえばいいのにと。

 女子生徒は強く願った。

 好きな人が、例え自分とではなくとも、どうか幸せになってほしいと。

 女子生徒は強く、強く願った。

 演劇『浦島太郎伝説』で使った小道具のひとつである、玉手箱を胸に抱きながら。



「――とまあ、そういうわけで、その女子生徒の悲恋が詰まった玉手箱を開くと、過去の恋愛の思い出がきれいさっぱり消え去って縁が切られて、未来の恋愛が上手くいく良縁が結ばれるってことなの。それで、『縁切り結びの玉手箱』って言われるわけ」

「はあ」

「どうどう? そんな玉手箱が実際にあるんならさ、これはもう探すっきゃないでしょ?」


 予鈴前の朝の時間をたっぷり二十分近く使って、愛佳は語り終えた。

 さすがは噂好きで恋バナ好きな愛佳だ。この二十分間、淀むことも詰まることもなく、ほとんど一方的に話し続けていた。私は主に、「はあ」としか言ってないのに。

 正直、私はこの手の話に全く興味がない。

 その悲恋の話が真実だとして、そこからどうしてその玉手箱の小道具に不思議な力が宿るのか。意味不明だ。

 いやまあ、この手の話でそこにツッコんだら負けだと言われればそうだ。そこはファンタジックでオカルトらしいものとして目を瞑るとしよう。目を瞑るとして、だ。

 前半の過去の恋愛の思い出が消えるのはその女子生徒が願ったから百歩譲ってわかるとして、後半に至っては本気で意味がわからない。女子生徒の恋は叶っていないのに、どうして未来の恋愛が上手くいき、良縁を結ぶ力が宿るのか。明らかにおかしい。良い部分だけ切り取られているのは明白だし、そんな都合のいい力が宿っているとは到底思えない。

 けれど、一応仲の良い友達が一生懸命話している手前、正論を振りかざして完全に粗雑に扱うほど私も冷酷無比ではない。少しばかり私は考えてから、ゆっくりと口を開く。


「まあ、仮にね。仮に一万歩譲って、その玉手箱がこの学校のどこかにあるとして、どうやって探すの? その友達の友達に訊いてみるとか?」

「それはあたしも真っ先に思いついて、友達伝いに訊いてもらった」

「どうだったの?」

「ダメ。なんか、どこで見つけたのか思い出せないんだって」


 なんだそれは。一気に信憑性が低くなったぞ。まあマイナス十くらいの信憑性がマイナス五十以下になっただけだけど。


「でもそれなら、なおのこと探すの無理じゃない? もう演劇部はないんだし」

「そうなんだよねえ」


 愛佳は思案気に天井を見つめる。しばらく待ってみたが、次善の策は彼女の口からは出てこない。どうやら、いつもの彼女らしくとりあえず勢い任せに口にしてしまっただけのようだ。


「まあ、もし何か超有力な手掛かりが見つかって、私の興味がグーンと上がったら手伝うよ」

「えーなにそれ。柚月ほんとドライ過ぎ。なんかないの? 忘れたい過去の恋とか、叶えたい未来の恋とかさー」


 言われて、私の頭の中にすっかりセピア色となったはずの記憶が過ぎった。私は愛佳に感づかれないよう、すぐにそれを掻き消して答える。


「ないよ。なにも」

「うそでしょ。柚月、なんでそんなに枯れ果ててるの。華の十七歳、人生で一度しかない女子高生なんだからさ、もっと瑞々みずみずしく潤い持った恋をしていこうよ」

「うるさい愛佳。ほっといて」


 私がピシャリと言い切った直後、頭上で待ちに待った予鈴が響き渡った。次いで、ガタガタとクラスメイトたちが自席に戻る音が鳴る。


「ちぇー、柚月のケチー。まあでも、おかげで少しスッキリした。ありがとね」

「どういたしまして。失恋の愚痴だけならまあ、いつでも聞くよ。テキトーにだけど」

「ほんと枯れてんねー柚月は」


 苦笑交じりにそれだけ言うと、愛佳はひらひらと手を振って後方にある自分の席に戻っていった。

 いつもなら私も同じように苦笑いを浮かべて、軽口をもう一つくらいは返すのだけれど、今日ばかりはそれも思いつかなかった。

 代わりに再び脳裏に蘇っていた、余計な気持ちのせいで。


「……どうせ、私は枯れてますよ」


 随分と後になって、担任の古田先生が何やら連絡事項を話している時にようやく、私は小さくつぶやいた。


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