愛佳に四人で遊びに行くのをOKした日の、週末の日曜日。外はうんざりするほどに晴れ渡っていた。
「あっつ」
電車を降り、待ち合わせ場所である広場に到着した頃には、私の額には薄っすらと汗がにじんでいた。
梅雨はすっかり明け、本格的な夏が到来している。なんでも、今日の最高気温は三十三度らしい。本当なら、こんなに暑い日は冷房の効いた涼しい部屋でゴロゴロしているのが一番だ。元から私はそこまでアウトドアな性格ではないし、それこそ愛佳あたりから誘われない限りは部屋に引きこもっているだろう。
「四人で映画、か」
愛佳にメッセージを送った後、すぐさま私は愛佳と宮坂くん、そして宮坂くんの友達で今回の言いだしっぺである朝凪冬弥くんがメンバーのグループチャットに招待された。簡単な自己紹介を終えると、愛佳や宮坂くんを中心にどこで何をして遊ぶかの話が飛び交っていった。
朝凪くんは、思いのほかグループチャットでは大人しかった。サッカー部のフォワードのリーダーをしているらしく、前に見せてもらったSNSのアイコンでも爽やかでスポーツマンな見た目をしていたから、もっとガツガツした人かと思っていた。しかしいざグループチャットが始まると、私と同じく訊かれたことに最低限の返事をするくらいで、これといって自分からあれこれ言い出すこともなかったから驚いた。まあそのおかげで、私がひとりで浮くことは免れたのだが。
そして、そうした話し合いの結果、直近の日曜日である今日の午後から映画を観に行くことになった。
ちなみに、愛佳には学校で事前に一度集まってお昼でも食べようかと言われたけれど、丁重にお断りしておいた。そこまで本腰を入れられても困るし、私としては今回のお出かけ限りにするつもりだったからだ。
そう。そもそも今日は、行くはずのなかったお出かけだ。
あの朴念仁セギ兄が、嫉妬なり戸惑いなりの反応を見せてくれていたら、こんなことにはならなかった。
「……セギ兄の、バカ」
何度つぶやいたかわからない言葉を、ため息とともにまた吐き出す。それでも心はスッキリしない。本当にもうちょっと、何かあってくれてもよかったのに。
あの後、もう一日家庭教師の日があったけれど、セギ兄は至っていつも通りだった。私が他の男の子とデートに行くと知っても、常に穏やかで優しい表情を浮かべて、変なところもなく普通に私に勉強を教えてくれた。私はかなりモヤモヤしていたけれど、気にしたら負けだと自分に言い聞かせて無理矢理勉強に没頭した。おかげで、ここ数日で遅れていた部分は全て終わらせることができた。セギ兄は、純粋に褒めてくれた。
あんな反応をされると、否が応でも察してしまう。
セギ兄は私を、ただの近所に住む妹的存在としてしか見ていないのだと。
小学生の頃ならまだわかる。恋なんて気持ちはわからなくて、本当にただの幼馴染として過ごしていただけだから。
でも。一度疎遠になり、成長して私が高校生になったところで再会した今でさえそうなのだとすれば、それはもう完全に異性としては見られていないことになる。私はいくつになってもセギ兄の庇護の対象で、見守るべき妹のような存在。なんだか、未だに不完全燃焼で、初恋の気持ちを未練がましく引きずっていることが恥ずかしく、惨めに思えてくる。ほんと、最悪だ。
「……てか、みんな遅いな」
近くにあった時計塔に目をやれば、ちょうど集合時間になったところだった。しかし、集合場所には私しか来ていない。今日は日曜日ということもあって周囲にはカップルやら家族連れやらの人たちがたくさんいるが、待ち合わせをしていそうな人は少数で見落としているということもなさそうだ。つまりは、遅れているということだろう。
これじゃまるで、私が一番楽しみにしているみたいじゃんか。
イライラした。愛佳から言われ、一応簡単なオシャレをしてきたが、ほんとにバカみたいだ。ただでさえ気乗りしないのに、向こうから誘っておいて遅れてくるなんてどういうつもりなんだろう。もう帰ろうかな。
いつもならそこまで苛立たないのに、今日は無性にモヤモヤしていた。やがてセギ兄の顔までが脳裏に浮かんできて、さらに腹立たしさは増した。私はどうにか、首を横に振ってそれを掻き消す。
「おーい、こんちはー!」
そこへ、後方からノリの軽そうな声が聞こえた。振り返ると、駅方面ではなく反対側の横断歩道側から近づいてくる姿がある。
あれって、もしかして?
爽やかで無造作に整えられた短髪と大きな二重の目元がまず目に入った。それから、白のTシャツとベージュのジャケット、黒のチノパンというキレイめなコーディネートに視線を移し、そしてまた顔へと戻す。
見慣れないながらも、SNSのアイコンや写真では見たことがある顔。そこには、朗らかな笑顔が湛えられていた。
「えーっと、天野さん、だよね? 初めまして、朝凪冬弥です」
最初の声色からは一転、彼は私の近くまで来ると、今度は丁寧な口調と所作でぺこりとお辞儀をしてきた。
「あ、は、はい。初めまして。ええと、天野柚月、です」
私も慌ててお辞儀を返す。若干挙動不審気味になってしまい、カアッと顔が熱くなった。
けれど、目の前の朝凪くんは特に気にしたふうもなく、先ほど私がしたみたいにチラッと私の服装なんかを見やってから、再び視線を合わせてきた。
「服、可愛いね。すごく似合ってる」
また、私はべつの意味で顔が熱くなるのを感じた。
どこまでもさらっと、自然な形で服装を褒めてきた。セギ兄ならまず言わないであろう言葉に不意を突かれ、ついドキマギとしてしまう。
「あ、ありがとうございます」
流されちゃいけない。
私はフイッと視線を逸らしてから、そう自分に言い聞かせる。けれど目の前の朝凪くんは、おかしそうに笑った。
「畏まりすぎでしょ。同い年だよ?」
「あ、えと、そうですね」
「あははっ、面白いな天野さん。もっと気になってきたよ。てか同じ高校だし、タメ語で話そうよ」
またさらりと、朝凪くんはそんな言葉をかけてきた。
手慣れてそうだな。
グループチャットでは私と同じで大人しかったのに、いざ会ってみればそんな様子は一ミリもない。どこまでも自然体で、こんなふうに異性も交えて遊びに行くのを何度も経験してそうな雰囲気だ。どちらかといえば、セギ兄とは真逆を行くタイプ。
「そう、だね」
私はこっそり、内心で警戒心を強めた。
もしかすると、緊張している私を気遣っての態度かもしれない。けれど、そもそも初めて遊ぶのに時間に遅れてくる時点でどうかと思う。あまり気を許しちゃいけない。
ただ、彼の言うことももっともなので敬語は外すことにした。
「それより、愛佳たちまだかな」
「ああ、さっき少し遅れるってグループで言ってたよ」
言われて、私はスマホを取り出す。画面を点けると、確かに遅れる旨のメッセージが通知欄にあった。受信は五分前。今の時刻は、
「え? 一時ちょうど?」
思わず声に出た。ハッとして時計塔に目をやれば、針は一時十分を指している。
「どうしたの?」
「あ、いや。あの時計、十分遅れてたんだって思って」
そういえば、私は時間をスマホでは確認していなかった。というか、そんなことまで頭が回らなかった。
私が驚いた表情を見せると、朝凪くんは得心したように頷く。
「あーそうなんだよ。ここ、結構待ち合わせ場所に使われてるんだから早く直してほしいよな。てかもしかして、俺が遅れてきたって思ってた?」
「う、うん」
「ははっ、さすがに俺からお願いしといて遅れてはこないよ。むしろ楽しみすぎてかなり早く着いたから、適当にその辺りぶらついてた」
「そう、なんだ」
しゅんとしてしまう。
てっきり朝凪くんは遅れてきたのだと思っていたが、実際は遅れてくるどころか先に来ていたらしい。それなのに私ときたら先日のセギ兄の態度を思い出してモヤモヤし、冷静さを失って朝凪くんを軽薄でいい加減な人だと決めつけていた。罪悪感がじくじくと心に広がっていく。
「そんな顔するなって。俺は気にしてないから」
「で、でも。その、ごめんね?」
「ぜーんぜん。むしろ、遠目に見た天野さんが浮かない顔をしてるように見えたのはそれが理由だってわかって安心した」
「え」
そんなところまで見られていたなんて。でも、安心したってどういう意味だろうか。
私の疑問を察したのか、朝凪くんは私を一瞥すると短く笑って口を開く。
「ほら、結構無理言って来てもらったからさ。気乗りはしてないだろうけど、それ以上に嫌だなーって思われてたらやっぱり俺としても残念だから。だから、そこまでじゃなさそうってわかって、安心した」
照れくさそうに、朝凪くんは視線を彷徨わせる。
優しい人なんだ、と思った。
普通なら、しかめっ面をして待ち合わせ場所にいる人にそんな印象は覚えないだろう。むしろマイナスイメージすら持つはずなのに、朝凪くんはただ純粋に気を遣ってくれていた。
こういうところは少し、セギ兄と似ているかも……。
「お~い! 柚月~!」
そこへ、一際に大きく私の名前を呼ぶ声が響いてきて、私の思考は中断された。声の方へ目を向けると、大仰に手を振っている愛佳と呆れ顔を浮かべる宮坂くんが歩いていた。
「やっと来たか」
私と同じように視線を移した朝凪くんは肩をすくめると、首を傾けてそっと私の顔をのぞきこんできた。
「じゃあ、今日はよろしくな」
「う、うん。こちらこそ」
ややぎこちなく、私は頷く。
心の底に漂っていた苛立ちは、いつの間にか小さくなっていた。