放課後。
私は愛佳に言われた通り、教室に残っていた。
この時期は、七限目が終わった後もまだ外は明るい。少しだけ開いた窓からは、薄っすらと蝉の鳴き声や運動部の掛け声が聞こえてくる。随分と人が減った教室で、これから行く場所の鍵をもらってくると飛び出して行った愛佳を、私はひとり待っていた。
ぼんやりと窓の外を眺めつつ、考え事をしつつ。
そしてもちろん、頭の中は混乱していた。
「いや、玉手箱って、どういうことよ」
今日の授業中のみならず、休み時間に直接愛佳に問い質していた疑問を、私は口の中で転がした。もっとも、転がしたところで答えはまるで出てこない。
意味がわからなかった。なんでこのタイミングで玉手箱? 私は確かに恋に悩んでいるけれど、セギ兄のことを諦めて思い出ごと消そうとまでは思っていない。それは愛佳もわかっているはずだし、いったい全体どういうことだろうか。
愛佳が話していた「縁切り結びの玉手箱」の謂れについて思い浮かべる。
確か、過去に演劇部に所属していた女子生徒の悲恋の想いが詰まっている箱だ。その箱を開くと、過去の恋愛の思い出がきれいさっぱり消え去って縁が切られ、未来の恋愛が上手くいく良縁が結ばれるとかなんとか言っていた気がする。
うん、やっぱり謎だ。このタイミングで、まさかまさかの玉手箱探しなんて。愛佳は本当に何を考えているんだろうか。
「お待たせ~柚月!」
机に突っ伏して唸っていると、待ちわびた声が聞こえてきた。ようやくかと、私は反射的に顔を上げる。
「めっちゃ待った、超待った、今日一日中待ってたよ、愛佳」
「おぉ~、あのドライな柚月がそんなことを言うなんて、やっぱりこれは重症ですなあ」
軽口を投げれば、軽口が返ってくる。でもそこには、やはり意地悪をしているような気配はない。愛佳は人差し指に鍵を束ねているリングをひっかけ、クルクルと回転させながら歩み寄ってくる。
「そんじゃ早速、探しに行きますか。玉手箱」
「その前にさ、そろそろ説明してくれる? なんでこのタイミングで玉手箱?」
「それは現地に行ってから説明するよ」
得意げに愛佳は笑う。何かを企んでいるような表情だけど、今日の休み時間や昼休み同様、突っ込んで訊いたところで何も言ってくれないだろう。本当に、いつもと立場が逆だ。
私は呆れつつも席を立ち、彼女の後に続いた。
考えてもみれば、なんやかんやで愛佳と放課後に噂の玉手箱を探しに行くのは初めてだったりする。本当に、どこに連れて行かれるのやら。
教室の外に出れば、中庭から吹奏楽部が練習している風景が見えた。今は演奏というよりも音合わせの最中で、単純な音ばかりが響いてくる。
「あ、涼香ちゃんが練習してる。ヤッホーッ!」
「ちょっとちょっとちょっと」
交友関係の広い愛佳は、階下に友達の姿を見つけるや全力で叫んだ。その先では、ちょうど音合わせの合間だった友達らしき女の子が、呆れ半分恥ずかしさ半分みたいな笑みを浮かべて手を振っていた。
「部活の邪魔しちゃダメじゃん」
「チッチッチー。涼香ちゃんはね、緊張しいなんだよ。演奏するのは好きなんだけど、人前で楽器を持つと手が震えちゃうんだって。だからこうしてアホなことして緊張ほぐしてあげるの。涼香ちゃーん! 頑張ってねえええー! 愛してるよーーー!」
愛佳は再度中庭に向かって叫んでから、階段のほうへ足を向けた。
やっぱり愛佳は愛佳だ。人の話を聞かないわがままなところもあるけれど、基本的には友達思いなのだ。だからきっと、この玉手箱探しも私のためを思ってしてくれているに違いない。
でも、いったいそれは……。
「さー着いたよ。今日は三カ所回るんだけど、最初はここです」
「え、三カ所? しかもここって」
またいきなり出てきた新情報に驚きつつも、私は到着した教室に目を丸くする。
そこは、今しがた階下で練習していた吹奏楽部が部室として使っている空き教室だった。
「うん、やっぱり誰もいないね。予想通り」
「ちょ、ちょっと! 勝手に入って、怒られないの?」
「んー多分見つかったら怒られる」
なんてことないふうに言う愛佳に私はまた驚いた。けれど愛佳は、気にした様子もなく中へと足を踏み入れる。
「ここはね、かつての演劇部の部室らしいんだよね。今の吹奏楽部と同じくらいの規模があったみたいだから、そこそこ広い部室が必要だったみたい」
「わかった、わかったから、早く出よ?」
「大丈夫。少しいるだけだから、ほら」
愛佳は私を引きずり込んだ。
中には誰もいなかった。それもそのはず、吹奏楽部に所属している生徒たちはみんな中庭にいる。部室のあちこちには、楽器を入れるケースと思しきものや高校の指定鞄が無造作に置かれていた。壁には賞状が飾られており、後ろの棚の上にはコンテストで賞を獲った時のトロフィーやら盾やらが並べられている。
しかし、それ以外は物が思った以上に少なく、もちろん玉手箱のような違和感のあるものは見当たらない。
「玉手箱、なさそうだね」
「まあ、ここは一度探しに来てるからね。涼香ちゃんとか、他の吹奏楽部の友達に頼んで正式に」
「え、そうなの?」
それなら、どうして今また探しに来たんだろう。
私の疑問を察したかのように、愛佳は小さく頷く。
「ここが演劇部の元部室らしいと調べてくれたのは、涼香ちゃんなんだ。彼女には、小学生の時からずっと好きな同い年の男子がいるの。でも、関係が壊れてしまうのが怖くて、ずっと言い出せずにいる」
「え、え?」
いきなり友達の恋愛事情を話し始める愛佳に私は戸惑う。でも、愛佳は人差し指を唇に当て、続ける。
「そしてその男子は、今は別の子と付き合っている。たかだか一緒のクラスになって数ヶ月の女子にとられちゃったの。だから涼香ちゃんも、玉手箱探しに協力してくれた。もちろん内緒ね。トップシークレットだよ?」
人差し指を口元に当てたまま、愛佳はこてんと小首を傾げた。私は、驚きのあまり動けない。
関係が壊れてしまうのが怖くて、気持ちをずっと言い出せずにいた。
でもその間に、他の子に好きな人がとられてしまった。
だから、玉手箱を見つけてその恋を忘れようとしている。
どこかで、聞いたような話だ。
「恋って難しいよね。関係が壊れてしまうのが怖くて気持ちを伝えられなかったのに、伝えなかったら伝えなかったで壊れてしまうこともある。本当は、どうしたら良かったのかな」
「それ、は……」
「おっと、そろそろ休憩で戻ってくるかも。早々に退散しますか~」
愛佳はおどけたように言い放ってから、私の手を取って部室を出た。そのまま階段を下りていく途中で、先ほど中庭にいた女の子とすれ違う。
とても、可愛い子だった。少し内気そうではあるけれど、目鼻立ちが整っている。上から見ていた時のような強張った様子はなくて、楽しそうに愛佳と手を振り合っていた。
「ささっ、次の候補地に行こっか」
二階まで降りてきたところで、愛佳は別棟に続く渡り廊下へと歩いていく。
もしかして、愛佳は……。
私が彼女の真意に気づきかけたところで、前を歩く愛佳はまたある教室の前で足を止めた。