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第17話「失意の先に見つけたモノは」

 愛佳が次に連れてきてくれたのは、体育館の近くにある体育準備室だった。ここには、普段から使うボールなんかと違って、イベントでしか使わない横断幕や旗なんかがしまわれている。

 先ほど借りてきたらしい鍵を使って、愛佳はドアを開けた。


「え、愛佳。どうやってここの鍵借りたの?」

「あーここの鍵ね、体育倉庫の鍵と同じ束にあるんだ~。だから、この前の体育で倉庫に落とし物したから見てきたいって先生に言ったら貸してくれた」


 私の問いに、愛佳は悪戯っぽく微笑む。なんてやつだ。完全に手慣れている。

 でも、噂の玉手箱を探すとすれば、ここは真っ先に思い浮かぶ場所だった。というのも、体育準備室には今ではすっかり使われなくなった物なんかも数多く置かれているからだ。

 愛佳が開けたドアをくぐり、中に入る。普段は誰も立ち入らないからか、相当に埃っぽかった。

 壁際や部屋の中央には大きなスチール製の棚がいくつも置かれており、そこには旗や横断幕が入っていると思しきダンボール箱が押し込まれている。そのほか、何に使うのかわからないポールやゴムバンド、テニスラケットに暗幕にスポットライトに意味不明な壺まで実にいろいろなものがあった。


「ちなみに愛佳、この場所は探しに来たことあるの?」

「もちのろん。あたしが見逃すはずあるまじ」


 薄暗い電灯の下で、愛佳はブイサインをする。


「まあ、そうだよね。じゃあ、ここに連れてきた理由は?」


 訊きつつも、私の中ではおおよその見当はついていた。ここは確か、昨年の文化祭で劇をやることになった一年生のクラスが、一時的な物置きとして使っていたはずだ。私は隣のクラスだったからよく覚えている。何人もの生徒が、小道具や衣装なんかをダンボールに入れて運んでいた。そして劇が終われば、一度この場所に荷物を運んでからまとめ、また教室に戻っていた。

 そしてそれは、きっと今も昔も変わらない。


「ここはね、演劇部が舞台をやる時の控室兼物置きにしていた場所らしいんだ。部室から演劇をやる体育館までは遠いからね。一番近くにあるこの部屋に、一時的に物を置いていたみたいだよ」

「やっぱり」

「およ、柚月も察してたか。さっすが~。そう、つまりね。もし玉手箱の悲恋の話が本当なら、この場所はその女子生徒が人知れず泣いていた場所かもしれないってこと」


 愛佳はゆっくりと辺りを見回し、私もそれにつられて視線を周囲に走らせた。

 愛佳の話では、女子生徒は片づけをしていた時に意中の男子生徒が乙姫役だった女子生徒と仲良くしているのを見てしまったらしい。そしてそれを悲しみ、こっそりと泣いていた。

 きっと体育館や部室は演者や他の部員がいたはずだ。そしてこの付近には、物陰になっているような場所もない。とすれば、玉手箱が生まれた一番の候補としては、体育準備室が有力になってくる。


「まあでも、結局それらしい箱はなかったんだけどね。琉生にも手伝ってもらって探したけど、埃まみれになっただけだった」

「そ、それは災難だったね」

「うん。でも、いろいろと想いを馳せることはできた。悲しかっただろうし、辛かっただろうな……って」


 愛佳はポツリとこぼした。想像すると、私もつい俯いてしまう。

 それはそうだ。

 好きな人が、他の異性と仲良くしているところを見て平気な人なんていない。現に私も、似たような場面に出くわして茫然自失としてしまったくらいだ。

 まだ私は、セギ兄の隣にいたのが同じ大学の人だと想像できた。恋人ではないなら、嫉妬こそあれ自分の心をどうにか支えることができる。

 けれど、悲恋の物語に出てくる女子生徒は違う。演劇練習をきっかけに恋仲となった二人が、幸せそうに笑い合っているところを見てしまったのだ。その辛さは、苦しさは、悲しさは、私の比ではない。


「……うん、そだね」


 忘れたいと思ってしまうのも無理はない。好きだという気持ちも、過去の自分が築いた思い出も、何もかもを忘れてなかったことにしたいと願っても仕方がない。手遅れになってしまったその時、きっと全てを後悔して、泣き喚いてしまうだろうから。


「……やっぱり愛佳は、私に、そのことに気づいてほしくて……?」


 先ほどの吹奏楽部の部室での、友達の失恋話。

 そして、この体育準備室でおそらく生まれた、縁切り結びの玉手箱の物語。

 この二つに共通するのは、どちらも想いを伝えることなく恋が終わってしまったことだ。


「まあ、最初の二つはそうだけど、最後のひとつはまたべつかな」

「え?」

「ほら、行こっ」


 愛佳は私の手を引き、体育準備室を後にした。施錠した鍵をポケットに入れ、そのままの足で一階へと降りていく。

 足早に辿り着いたのは、中庭とグラウンドの間にある美術室だった。


「よし、やっぱり鍵はかかってないみたいだね」


 あまねっち、しょっちゅう忘れるんだよね~と小さく笑いながら、教室に入っていく。ちなみに、あまねっちというのは美術の先生のあだ名だ。

 美術室には誰もいなかった。腰高さ程度の棚には画材が入っており、その上には顔をかたどった石膏像が置かれている。中庭側に目を向ければ、窓を挟んで休憩を終えた吹奏楽部の人たちが見え、グラウンド側を見ればサッカー部が練習している風景が広がっていた。


「なんで、美術室に?」

「えとね、ここは演劇部が演劇で使う小道具とか背景の大道具とか作ってたんじゃないかって思って、琉生と探しに来た場所なんだ」


 グラウンド側の窓の外を見つめながら、愛佳は言った。その眼差しは、どこか愛おしそうに細められている。彼女が誰を見ているのかは、訊くまでもない。


「あたしが陸斗にフラれて情緒不安定だった時に、琉生はずっと寄り添って話を聞いてくれたんだ。そして、あたしが縁切り結びの玉手箱を探しに行きたいってわがままを言っても嫌な顔ひとつせずに頷いてくれて、部活をサボってまで付き合ってくれた」

「な、なんかごめん」


 断り続けていた過去の自分を思い出して謝ると、愛佳は慌てて首を横に振る。


「あ、全然そういう意味じゃなくて! むしろそのおかげで、こうしてあたしは琉生と付き合えたわけだから、結果オーライ。むしろ感謝までしてるよ!」


 にへらと相好を崩し、愛佳は奥にある美術準備室に入っていく。そこにはさらに多くの画材やキャンバス、イーゼルといった美術に関する道具がいくつも並べられていた。そうした物が雑多に置かれている棚の奥にある窓を、愛佳はおもむろに開け放つ。


「琉生ったらね、部活の休憩中にこの窓から入ってきたんだよ。笑っちゃうよね。それで、汗臭い琉生と一緒に少しだけ玉手箱を探してたんだ。あたしの、青春の思い出なの」


 愛佳の顔は、幸せそうに綻んでいた。前に先輩と付き合っていた時とは全く異なる、朗らかな表情。そこには、昔の失恋を引きずった面持ちはない。

 そこで、気づく。

 愛佳が、言いたかったことに。


「柚月。きっとね、その家庭教師のお兄さんでも、朝凪くんでも、他の人でも、柚月は幸せになれるんだよ。幸せの在り方が違うだけ。だから、柚月が本当にこうしたいって思うほうを、選べばいいと思うよ」

「私が、したいと思うほう……」


 愛佳はこくりと首肯する。


「うん。家庭教師のお兄さんのことがどうしても気になるなら、関係が壊れるとか変に思われないかなとか、そういう遠慮はしてちゃダメ。気になることは訊いて、今ではなくても柚月の心の準備ができた時に、柚月の言葉で気持ちを伝えるべきだと思う。それでね、もしダメだったとしても、それで終わりじゃない。あたしだってそうだったから、だから、大丈夫だよ」


 愛佳の言葉が、すとんと心に落ちてきた。

 どろどろとした暗い嫉妬の感情に満ち、どうしたらいいかわからなくて混乱していた心が、じんわりと温かくなっていく。

 そっか。そうだよね。

 大事なのは、私がどうするか、どうしたいかちゃんと決めること。

 少しでも後悔しないように、できることをちゃんとすること。

 その結果、例え悪いほうへ転んだとしても、また別の捉え方がある。

 これこそがきっと、「縁」なのだ。

 だったら私は、今の私は……。


「ありがとう、愛佳。私、セギ兄に気持ちを訊いてみることにする。それから、いつかちゃんと、私の気持ちを伝えてみる」


 やっぱり、今の私はセギ兄のことを諦められない。恋を自覚したのなら、今の私にできることを精一杯やってから、ダメ元でも気持ちを伝えたい。

 それが今の、私がしたいと思うことだ。


「うんっ、やっぱり柚月は柚月だね。それがいいと思うよ。ていうか、すーっごく当たり前のことだけどね!」


 正面から愛佳を見つめると、彼女は朗らかな笑みを返してから小さく叫んだ。本当に、その通りだと思った。つられて、私も噴き出してしまう。


「あははっ、確かにね!」

「そうだよ! あたしもあたしの友達も柚月も、もうみんなほんと複雑に考えすぎだよね!」


 ケタケタとお腹を抱えて、私たちはひとしきり笑い合った。

 恋を自覚した時と同じだ。

 取り巻く感情はどうしようもなく複雑なのに、最後に辿り着く答えは拍子抜けするほど単純で当たり前のことだったりする。本当に、人は恋をするとバカになるらしい。


「でもさ、結局玉手箱見つからなかったね」

「まあ、あたしはもう目ぼしいところ全部探してるからねー。マスターと呼ばれていいくらいに」

「そんなマスターでも発見できないなら仕方ないね」


 そのままバカ話に花を咲かせて、私たちは美術準備室を後にした。

 ……いや。

 後にしようとした、その時だった。

 準備室の外に出ようと動かした足先に、何かがぶつかった。


「「え――」」


 見下ろして、愛佳と声が重なる。

 そこにあったのは、黒光りする塗料が塗られ、紫色の組紐で封がなされた、木製の小箱だった。


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