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第18話「衝撃」

 私たちは固まっていた。

 その場から、一歩も動けないでいた。

 べつに時間が止まったわけではない。窓の外からは蝉時雨が響いてきており、私の額にもじんわりと汗をかいている。

 けれど、それ以上に汗をかいているのは手であり、背筋だった。ごくりと、隣で唾を飲み込む音が鳴る。


「これって、まさか……?」

「わ、かんない……」


 おそるおそる、私たちは言葉を交わす。

 足元に転がっているのは、黒塗り加工が施された小箱。紫色の組紐も相まって、どこか厳かな雰囲気を漂わせているそれは、まさしく私が幼い頃に絵本の中で見た「玉手箱」そのものだった。

 さっき、美術準備室に入った時はあったっけ……?

 記憶を探ってみるも、全く思い出せない。愛佳が私に伝えたいと思ってくれていることに気をとられて、玉手箱が実際にあるかどうかは気にも留めてなかった。

 というより、玉手箱が本当にあるなんて、想像すらしていなかった。


「え、え、これマジ? ほんとに、『縁切り結びの玉手箱』だったりする?」


 愛佳は興奮した声をあげ、震える手で箱に手を触れる。もちろん、何も起きない。先ほど私が軽く蹴飛ばしてしまった時も、特に何もなかった。


「ま、まさか。違うでしょ」

「じゃあなに?」

「美術部が、課題か何かで作ったとか」

「絵を描く美術部が玉手箱を?」

「わ、わかんないけど」


 私は木箱を食い入るように観察する。何か不思議な力を感じるとか、光っているとか、そういった様子は感じられない。至って普通の黒塗りの箱。手作り感があり、それこそ演劇の小道具で使われていそうな意匠をしている。


「とりあえず、写真撮ってみるか」


 しゃがみ込む私の向かい側では、愛佳がスマホで写真を撮り始めた。機械質なシャッター音が連続で響く。見せてもらうと、まさにそのまま、目の前にある光景の通りに画像ができあがっていた。変なものが写っているわけでも、はたまた木箱だけが写らないわけでもない。


「えーちょっとちょっと、ほんとにこれどーする? いっそのこと開けちゃう?」

「バ、バカ! それで本当に今の恋の思い出が消えちゃったらどうするの?」

「それはそうだけど。なになに、あんなに素っ気ない反応しといて結構信じるじゃん、柚月」

「うっ」


 痛いところを突かれて言葉に詰まる。むしろ愛佳のほうこそあんなに信じて騒いでいたのに、なんで今ここで開けようとするのか。


「で、でも。このままだと何かわかんないね」

「そーなんだよね。前に見つけたって言ってた友達に訊いてみるのも手だけど、結局ホンモノかどうかは確かめられないしなあ。んー…………」


 二人で悩む。一番確実なのは開けてみることだが、私はセギ兄との恋を忘れるつもりもなければ、諦めるつもりもないと決めたばかりなので開けたくない。そしてそれは、今の恋が上手くいっている愛佳も同じだ。となると……


「あ、そうだ! 涼香ちゃんに報告してみよう!」


 その時、思いついたように愛佳が手を打った。


「え、涼香ちゃんって、さっきの?」

「そう! 吹奏楽部の!」


 愛佳は頷くと、おもむろにスマホを操作し始める。確か、好きだった人を別の子にとられてしまい、その人への想いを忘れたいがゆえに玉手箱探しに協力してくれたんだっけか。


「今は部活中だから来るのは終わってからになると思うけど。というか、玉手箱を見つけたら教えてって言われてたんだよね。試させるみたいでちょーっと気が引けるけど、そこはまあその時相談するとして……」


 そこまで言って、ふと愛佳はスマホを操作していた手を止めた。思案するように、空中へ視線を彷徨わせる。それから、何事かに思い至るとニヤリと口元を綻ばせた。


「でーもっ。その前に、琉生に見せよっと! この驚きを共有したい!」

「も、もうー、愛佳ったら」


 高まっていた緊張感をぶち壊しにする愛佳に、私は苦笑して肩をすくめた。

 本当に、どこまでも恋人優先な子だ。こういう自分の気持ちに真っ直ぐなところは尊敬する。私も、セギ兄にこんなふうに気持ちを伝えられたらなと思う。


「ちょうどサッカー部休憩時間だし、玉手箱見せてくる!」

「え、持ってくの? 落として開けたりしないでね?」

「大丈夫大丈夫! すぐそこだから!」


 愛佳は玉手箱をそっと両手で持つと、先ほど開けた窓のほうへと駆け寄る。

ああ、なるほど。そこから見せるのか。それならまあ大丈――


「――にしても琉生。お前ほんと上手くやったなあ。陸斗先輩一筋だったあの浜波を落とすなんてさ」


 唐突だった。

 その声が、水道の水音とともに窓の外から聞こえてきたのは。


「なんだっけ? 陸斗先輩に女友達を紹介して別れさせて、悲しんでる浜波を慰めたんだっけ?」

「人聞きの悪い言い方すんなよ。まあ、結果的にはそうなんだけどさ」


 友達と話す宮坂くんの声が、最悪の内容とともに聞こえてきたのは。


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