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第22話「次の恋に向かって」

 そして迎えた放課後。

 豪快な平手打ちの余韻を残して、私と愛佳は校門から外に出た。


「あーっ、スッキリした! ていうか、ビンタってしたほうも痛いんだね。手がジンジンする」

「そりゃあれだけ強く引っぱたいたらね」


 隣で心底痛そうに手をさする愛佳に、私は苦笑する。

 つい今しがた、愛佳は宮坂くんとの付き合いを清算した。あまり人目につかない生徒玄関横にある木陰の小スペースに宮坂くんを呼び出し、昨日の水飲み場での会話を偶然聞いてしまったことやその真意を愛佳は問い詰めた。

 宮坂くんは最初こそ驚き、あれやこれやと言い訳を並べて弁明していたが、最後には開き直っていた。「浮気されるほどわがままを言って愛想尽かされるほうも悪いだろうが」とか、「俺はただ友達から頼まれて紹介しただけなんだけど」とか、近くで見守っててと言われた私も怒鳴り込みに行きたくなるような言葉を口にしていた。

 けれど、愛佳は無敵だった。

 今の愛佳の頭には、元カレの先輩との思い出もなければ、宮坂くんとの記憶もほとんどない。それはすなわち、どこまでも感情を排した冷静な自分で相手と向き合えることを意味していた。愛佳は取り乱すことも泣き喚くこともなく、宮坂くんの言い分に的確に言い返していた。そしてついには、「あたしはもう琉生とは一緒にいたくない」と盛大に一発ビンタをかまして話を打ち切った。


「でも本当にスッキリしたよ。忘れてるって言っても、やっぱり怒りとか悲しみが少しは残ってたのかな。結構心軽いよ」

「そっか」


 ひと仕事を終えた愛佳の表情は、その言葉通り晴れ晴れとしていた。

 正直、宮坂くんと笑い合う様子を見て知っている私のほうがまだもやもやが残っている。愛佳の中から笑っていた頃の楽しさとか嬉しさとかがなくなってしまったことを思うと、悲しさが込み上げてくる。

 けれど、宮坂くんとの関係を終わらせるのであれば、そうした思い出は時に足枷にもなり得る。そのことを思えば、玉手箱を開けてきれいさっぱり記憶を手放し、次の恋に向かって一歩を踏み出すことは実に「効率がいい」のだ。もちろん、それが最善で最良であるかは、わからないけれど。


「そだ。ちなみになんだけど、玉手箱ってあたしが開けた後はどうなったの?」

「あ、えっと、いつの間にかなくなってたんだよね。愛佳を保健室に送り届けた後と、今日の登校前にもチラッと見に行ったけどなかったよ」


 しかも、その発端となった当の玉手箱は跡形もなく消え失せていた。まるで今の自分の役目は終えたとばかりに。余計に気味が悪い。まあ、残っていたらそれはそれで扱いに困るので助かったとも言えなくもないが。


「そっかあ~残念。じゃあ残ったのはこのスマホにある写真だけなんだね。っていっても、なんの証拠にもならないんだけどさ」

「そうなんだよね。もう一度行ってみる?」

「んーいや、いいよ。宮坂との恋は清算できたわけだし。てかあたし、玉手箱を開けたんならこれから良縁に巡り会うってことじゃん。どんな人と出会えるんだろ。ちょっと楽しみ!」

「もう愛佳ってば、切り替え早すぎるでしょ」


 私の返事に愛佳は若干肩を落としつつも、すぐに面を上げて笑いかけてきた。そんな彼女の笑顔を見ていると、胸中に漂っていた悩みが自然と薄れていく。

 そうだ。きっと、これでいいのだ。

 昨日の愛佳が私に言ってくれたように、幸せの在り方はひとつではない。自分の人生を終える時に幸せだったなと感じられるのであれば、それでいいのだ。親友の私にできることは、これからも愛佳の恋を見守り、応援し続けることだ。そのためにも、今は愛佳が前に進めたことを喜ぼうかな。


「さっ、これであたしのことは良いとして~、次は柚月の番だね!」

「へ? 私?」


 別れ路までの道すがら、いつぞやの時みたく次の恋を夢見て跳ね回る愛佳の話を聞いてやろうかと思っていた私は、思いがけない言葉に首を傾げる。そんな私の反応に、愛佳はジト目で見返してきた。


「私? じゃないよ~。柚月は他人の心配してる余裕ないでしょーが。朝凪の告白もそうだし、家庭教師のお兄さんとの関係も考えていかないと。確か、今日は家庭教師の日って言ってなかったっけ?」

「うっ。は、はい……」


 そうだった。さっきの愛佳と宮坂くんのひと騒動で忘れかけていたが、今日はセギ兄が家庭教師に来る日だ。ちなみに、またもサークルのちょっとした用事があるらしく、開始時刻はいつもより一時間遅いので時間的な余裕はある。もっとも、心情的な余裕は愛佳の言う通りこれっぽっちもないので、一気に憂うつになってきた。


「まっ、朝凪にはあたしから一言言っとくよ。引き会わせたのはあたしだし。柚月は家庭教師のお兄さんに集中してね」

「はーい……。あれ、ていうか、引き会わせたこととかは覚えてるんだ」

「そうなのよねー。一緒に映画観に行ったのも覚えてるんだけど、宮坂のことだけすっぽり抜け落ちてる感じ。もしこの記憶もなかったら朝凪と家庭教師のお兄さんの間で板挟みになってる柚月をからかってたかも?」

「ちょ、ちょっと愛佳~」

「あははっ、冗談だって」


 そう、憂うつではある。

 けれど。ここ二日間、ほとんどかわすことのなかった軽口を叩き合っているうちに、私の心もまた軽くなっていった。


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