【恭平side】
「最近どう?彩乃ちゃんとは」
あれから1週間弱が経った金曜日──。
会社の昼休みにいつもよく行くうどん屋で千葉はニタニタ笑ながら聞いて来た。
俺はうどんをズルッっと音を立てて食べながら言う。
「まぁ……、順調」
「幸せそうな顔しちゃってよ〜ヒューヒュー」
「ウザ」
俺が彩乃と付き合うことになったことを報告したら、千葉はやっぱりなーなんて言いながらケラケラ笑った。
そりゃ気づくよな。
あんな血相を変えて彩乃の元に行ったんだから。
仕事の方も千葉がフォローしてくれたらしい。
あの時の俺は本当に社会人らしからぬ行動をしていたと思う。
「つーか、お前の方はどうなんだよ千葉」
「あー俺?俺はいつでも順調な人生を送り中だぜ」
へらっと笑いながらピースする千葉に俺は呆れ顔を見せる。
そういう意味で聞いてねぇ、つーの。
千葉の人生が順調なことは大したもんだが、俺が聞きたいのは彩乃の友達、麻美ちゃんのことだ。
彩乃が怪我した時も、千葉から聞くというありえねぇことが起きてるってことは千葉と麻美ちゃんはかなり頻繁に連絡をとっているんだろう。
まさか、本気とかあるか?
でも高校生だぞ?
「実際どうなんだよ、麻美ちゃんと」
しっかり名前まで切り出すと、千葉は真面目な顔に戻って俺を見た。
「正直言うと俺、けっこう本気かもしんねぇ」
「まじ?」
俺は固まった。
まじか、そっちのパターン行っちゃったわけ?
なにがよくて、ここふたりとも高校生に行くんだよ……。
「まじ。麻美ちゃん、超かわいい。今度また会うことになったんだけど、柄にもなくウキウキしちまってるわ」
とはいえ、千葉はそこまで深くは考えて無さそうだな……。
でも正直意外だった。
千葉は割と恋愛だと人には執着しないタイプだから。
器用でチャラいところもあるため、女はとっかえひっかえしていた時代もあるようだし、ひとりの女性にまっすぐに行ってるところを見たことがない。
でも今回は千葉の口から出るのは、「麻美ちゃん」という言葉だけだ。
千葉が誰かにそんな感情を抱くのはめずらしいな……。
でも、自分で言うのもあれだが、その先は闇だぞ。
普通の恋愛が出来ないのだから。
特に千葉みたいなやつが高校生と付き合うのは、周りがよく思わないだろう。
それほど慎重にならないといけないお付き合いってことを千葉は分かってるのか……?
そんなやりとりをしていると、俺たちは皿の中のうどんを完食した。
そして、お金を払おうと立ち上がった時。
「おばちゃーん、これで」
千葉は机の上に、俺の分まで代金を払って店を出た。
「いいのか?」
「ああ。彩乃ちゃんとお付き合いおめでとってことで奢ってやるよ」
「たまにはいいとこあるじゃん」
そんな悪態をつきながらもお礼を言って店を出ると、俺たちは会社までの道を歩いた。
「そういやさ、今日お前これ出る?」
千葉がスマホの画面を見せて指をさしているのは、社長が企画している会社のパーティで、お得意様からおエラいさんまで、色んな人が来るものだ。
「あーまぁ、行くしかねぇだろ」
強制参加ではないが、こういうのはよっぽどの理由が無い限り行くのが常識だ。
正直、開催されるのは休日の土曜日だし、今も彩乃に会いたくてしょうがねぇのに、パーティなんて行ってるヒマねぇよとは思うけど……そうはいかない。
彩乃には事前に言って出て来たけど、メールしておかなくちゃな。
いつまでも外で待っていられたら困るし……。
「だよなぁ~!仕事も顔知られてた方が有利になるし、行かなきゃだよなー」
それから俺は仕事に戻る前に彩乃に連絡を入れた。
【今日の夜は会社の飲み会で、明日の土曜日は、会社でパーティがあるから、会えないから。家帰るのも遅くなると思うし、ちゃんと寝てろよ?】
返事はすぐに返ってきた。
【はーい、了解。頑張ってねー!ちゅっ。】
ふっ、なにだよ、ちゅって。
メッセージをみながら笑っていると、千葉にその様子を見られた。
「おいおい、にやけてんぞ顔。本当にお前、彩乃ちゃん大好きなんだな」
「うるせぇよ」
彩乃は仕事だと言うと、しっかり割り切って快く送り出してくれた。
彩乃はまだ子どもだから、そういうのも分からないかなとか思っていたけど、意外とそこは聞き分けがいいんだよな。
彩乃の俺のことを考えてくれる気持ちに助かってるところもある。
「今度ちゃんと埋め合わせしねぇとな……」
俺はそんなことをつぶやきながら、持ち場に戻っていった。
そして翌日。
俺は千葉と待ち合わせをして、社長が行うパーティ会場に向かった。
パーティーは会社の近くの広いホテルで行われた。
磨き上げられた大理石の床がシャンデリアの灯りを反射し、柔らかな黄金の輝きを放っている。
しかも、どこからかピアノの生演奏が流れ、この空間に溶け込んでいる。
「すげぇな」
規模がデカいとは聞いてたが……ここまでとは……。
受付には、上質な黒のスーツに身を包んだコンシェルジュが控えめな笑みを浮かべ、俺たちの到着を見守っていた。
今日はこのホテルを貸し切りにしているのか、周りにもスーツを着た人ばかりであった。
「さすが社長、めっちゃ金かかってんな」
「本当だな」
うちの会社も業績は右肩上がりになっているから、こういうところにもしっかりとお金を掛けられるんだろう。
まぁ、安心といったところだ。
受付を済ませて俺たちは中に入る。
すると俺たちはホテル最上階に案内された。
バンケットホールへと続く扉を開けると、そこは広々とした空間になっていて、丸テーブルがいくつも並び、その上に白いクロス、そしてカトラリーとグラスが並んでいた。
中央には白と淡いピンクの花々が生けられたフラワーアレンジメントが置かれている。
多少は想像してたが、想定以上の広さで社長の顔の広さがうかがえる。
料理はビュッフェ形式のようだった。
「とりあえず、料理の前にお得意先に挨拶してくるか」
「そうだな」
ウェイターにドリンクだけもらうと、ドリンク片手に俺は近くのスーツを着ている人に話しかけて挨拶をして回った。
色んな人と話をした頃、千葉と料理をとりながら話をした。
「だいぶまわって話ができたな」
顔なじみの人達に挨拶を交わしたり、はじめて絡む会社の人やおエラいさんまでたくさんの人と名刺を交換することができた。
「割といいビジネスチャンスじゃね?取引はしたことないけど、クーダの社長さんとかいたし」
クーダ―の社長さんはこの間上場したばかりで今、大きく成長している会社だ。
「確かにな。うちも広告提案できないかとか聞けたらかなりいいよな」
こうやって挨拶して名前を覚えてもらえれば営業もしやすいからいいな。
「さて、もうだいぶ周りの人、減ったからそろそろ社長に挨拶行くか」
最初に挨拶に行こうとしたが、社長が企画したパーティだけあって人がたくさんいたため挨拶出来なかった。
このレセプションパーティは出入りが自由になっていて、好きな時間に帰っていいことになっている。
俺たちは時間がたてば人も減っているだろうと、しばらくしてからふたりで社長の所へ向かった。
「社長」
「おお、三谷くんと千葉くん」
声をかけると社長は俺たちを見て微笑んだ。
「来てくれてありがとう。仕事も大変なのに悪いね」
「いえいえ、お呼び頂きありがとうございます。すごくいい機会でした」
簡単に挨拶をしている時、社長の横にいたキレイな女の人が深々と頭を下げた。
俺たちも同じように頭を下げたが誰だか分からない。
すると、社長は言った。
「あたしの娘だ」
俺たちと同じか、少し下くらいだ。
娘がいるとは聞いていたけど、勝手に小さい子だとばかり思っていた。
「そうだったんですね!とてもおキレイな方で……」
俺がニコッと営業スマイルを作ると、社長の娘は頬をほんのり赤らめて微笑む。
すると、社長は言った。
「どうかね、あたしの娘は?もらってやってくれんかね?」
「ちょっと、やめてよパパ」
笑いながら冗談を言う社長は相変わらずだ。
社長はお酒が入るとよくジョークを言うようになる。
周りの人を和ませるのが好きな人なんだ。
「そんな、自分にはもったいないくらいです」
丁寧に返してから別れの挨拶をすると、俺らはまたパーティ会場に戻った。
そして小一時間くらい交流をすると、周りの社員とも相談してそろそろ帰ろうということになった。
出口に向かい、外の空気を吸うとぐったりと疲れた身体が癒されていくのを感じる。
「はぁ~……」
こういうのっていつもの仕事よりも疲れたりするんだよな……。
人に気を使ったり、笑顔を見せたり。
常に誰かに見られてることを意識しなきゃいけない。
ふたりで駅までの道を歩いていると千葉は思い出すかのようにつぶやいた。
「そういえば社長の娘さん、キレイな人だったな」
「確かにな」
社長の若い時の写真もかなりカッコよかったもんな。
でもまさかあんなに大きい娘さんがいるとは思わなかったけど……。
「俺あの子の反応見てたけど、けっこうお前の言葉に顔赤らめてたよな~モテる男はズルいね~」
「は?気のせいだろ」
「鈍感だな、恭ちゃんは。まっ、お前のこと狙って近づいてくるヤツに彩乃ちゃんとの仲を壊されないように気をつけろよ」
壊されないようにって……。
気にしすぎだろ。
電車に15分揺られていると、千葉は俺よりもひと駅前で降りて帰っていった。
「じゃあな」
「おう」
お互い軽く手をあげて、閉まるドアと同時に腕時計を見る。
23時か……。
早く帰れば、ちょっと会えるかと思ってたけど今日は無理だな。
はあっと深いため息をつきながら最寄り駅で降りて仕方なく、冷たい外を歩いているとマンションの前までやって来た。
そして、マンションに入ろうとした時。
「きょーうちゃんっ!」
部屋の窓から顔を出し、手を振る彩乃の姿があった。
「ちょっと待ってて!」
彩乃はそういうと窓を閉め、ドタドタと音を立てながら外に出て来た。
「恭ちゃんっ!」
部屋着に適当な上着を羽織って出て来た彩乃は俺に抱き着いた。
「お前、寒いから出てくるなって」
「だって会いたかったんだもん」
鼻の頭を赤くしてこっちを見て来る。
お風呂に入ってせっかく温まったのに、寒い外に出させるなんてなんだか申訳ない気持ちになった。
ふわりと彩乃からいい香りがする。
「ほら、身体冷やすなよ」
俺はジャケットを脱いで彩乃にかけた。
「恭ちゃん、優しい~!」
彩乃は俺から離れてふーふーと手を温めながら「お疲れ様」なんて笑顔で言ってくる。
あーあ。
なんか彩乃に会うだけで疲れが取れていくようだ。
不思議だな。
付き合った相手にそんなこと、思ったことはなかったのに。
「バーカ、こっちの方が効率いいだろ」
効率いい、なんてただの言い訳に過ぎないけどな。
「こんなところでぎゅうしてもいいの?いつもダメだって恭ちゃん言うのに」
「暗いからセーフってことで」
俺も緩いな。
彩乃の温もりを感じるとなんだか心がほっとした……。
きっと営業スマイルばっか作ってたから、疲れたんだな。
するとそんな彩乃も応えるように手を回して来た。
距離が近づけば、近づくほどふわり、と香るシャンプーの匂いにドキっとする。
キス、してぇな……。
でもこんなところでは絶対ダメだ。
誰に見られているかも分からないし。
理性は保てよ、俺。
手は出さないと決めたんだから。
「今日の恭ちゃんは甘えたさん?」
いや、でもそれ、可愛いすぎだろ。
最近はちゃんと手出さないって守れるのかって不安になるくらいだ。
「そーかもな」
1日の疲れがあっという間にぶっ飛んで、気持ちを抑えるために彩乃の頭をヨシヨシと撫でると、彩乃は言った。
「へへ、幸せタイムだ」
「なんだよそれ」
「いーの!あたしなりの言葉なの~」
「はいはい」
学生はなに考えてるか分かんねぇな……。
「なぁ彩乃。明日予定空いてる?」
「うん、空いてるよ!」
「じゃあデートすっか」
「本当に!?」
「休みだからな。好きなところ連れてってやるよ」
ぱあっと彩乃の顔が明るくなる。
しかし、彩乃は「でも……」と続けた。
「本当にいいのかな?恭ちゃん疲れてるでしょう?」
感情が全て顔に出るのはかわいいと思う分、厄介だなとも思う。
コロコロ変わるところが昔からかわいいんだよな。
彩乃は彩乃なりに俺と付き合うのがどういうことか、気にしてこっちのことと配慮してくれている。
「俺が会いたい場合はどうしますかね?」
ニヤリと笑って伝えると、嬉しそうに顔を上げる彩乃の姿がそこにはあった。
「その場合は……あったらいいと思います!!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる彩乃。
そういうところはまだまだ子どもぽいけどな。
「恭ちゃん、じゃああたし、明日めいいっぱいオシャレしてくるね」
「ん。楽しみにしてる。おやすみな」
「おやすみなさい」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて嬉しそうな顔する彩乃に寂しそうな思いさせちまった分、明日はいっぱい甘やかしてやろうと俺は思った。
次の日──。
俺は時間になると彩の家の前で待っていた。
しばらく待っていると、ガチャっと音を立てて彩乃が外に出て来た。
彩乃は言っていた通り、可愛らしいワンピースに髪を巻いている。
「あれ、恭ちゃん?インターホン押してくれればいいのに」
「お前のおばさんになんて言われるか分からないだろ」
まだ挨拶してないうちは堂々と出来ない。
近いうち彩乃の両親に挨拶に行かなくちゃな。
認めてくれるかどうかは分からないけど……。
「確かにそうかぁ」なんて笑う彩乃の手を握ると、俺は耳元でささやいた。
「かわいいな、それ」
「えっ、服?髪?」
「お前。」
ぴしゃりと言うと彩乃は顔を真っ赤にして固まった。
「恭ちゃん、付き合うと……けっこう恥ずかしい」
「は、恥ずかしい?」
ガンっとショックを受ける。
歳か!?歳のことか!?
まだそんなこと言われる年齢じゃねぇぞ!
「だって直球なんだもん」
「直球?」
「うん、恭ちゃん……付き合う前はあたしのこと全然好きじゃありません!タイプじゃない!って言ってたから、こんなにストレートに言われるのは照れちゃうっていうか……」
まぁ、そう思われるのも無理ないか。
とはいえ俺は付き合う前も心で思ってたけどな。
「もう隠さなくていいのに、心で思ってたら勿体ないだろ?」
「恭ちゃん……それ、前からあたしのこと、かわいいって思ってたことになるよ?」
「そうだけど?」
にやりと笑って言えば、彩乃は目を大きくしてまた固まった。
「ずるい!そういうのがズルい!」
頬に手をあてて熱を冷ます彩乃。
ふっ、かわいいやつ。
俺はそんなことを思いながら歩き出した。
「そういえば、今日はどこ行きてぇの?」
今日は彩乃のしたいことを叶えてやる日、と決めている。
ふと、歩き出して彩乃に尋ねると、目を輝かせながら言った。
「近くのショッピングモールに行きたい」
「また?そんなとこでいいのか?」
本当、女子って買い物が好きだよな。
「うん。あのね……その……」
そういいかけると、彩乃はだんだんと小さい声になりながら俺の顔を見た。
「恭ちゃんとお揃いのものとか欲しいなって思って……でも大人はそういいのってあんまりかな?」
「ふっ、お安い御用」
彼女の思っていることは叶えてやらないとダメだよな。
そういうところはやっぱり子どもらしくて可愛いなと思う。
頑張って大人になろうとしていた彩乃も健気でいいけれど、まだまだこういう彩乃もいいな。
俺たちは色々話しをながら20分くらい歩いた。
ほとんどの話が彩乃の友達、麻美ちゃんの話で……。
「それで千葉さんと会うとか言い出してさあ!最初は大嫌い、無理、チャラいって言ってたのに、どういう心境の変化なんだろうね?」
これは……聞かなかったことにしておこう。
するとやっとショッピングモールが見えてきた。
「ねぇ、なにから見る?」
「彩乃の行きたいとこに行ったらいいんじゃね?」
「で、では……!」
俺がそう言うと彩乃は目を輝かせて、俺を差し置いて店に入っていった。
最初に入ったのは色んなものがごちゃごちゃと置かれている雑貨屋だったが、少しまわってみて、気に入ったものは無かったようで、すぐにお店を出てきた。
それから、今度は向かいにあるキラキラと光るアクセサリーショップに目を輝かせた。
「わぁ〜ステキ……」
どうやら彩乃はネックレスに興味があるらしい。
ガラス越しに展示されているものを、ちらっと見ると、しばらく羨ましそうに眺めていた。
やっぱりこういうところは女子なんだな……。
彩乃は女っけがないところもあるけれど、憧れるものはみんな一緒ってわけか。
「そんな入り口で見てないで入ってみれば?」
「うん……でも、中に入って場違いじゃないかな?」
ぱっと見た感じは大人の女性がつけているようなネックレスだが、今の子も若い時からアクセサリーをつけたりもするし、控えめのデザインでつけやすそうだった。
「そんなことねぇだろ。行くぞ」
彩乃は恐る恐る入っていくと、自分の気に入ったネックレスを直接まじまじと見ていた。
ハートの形をしたネックレスがきらりと光る。
すると、それに気づいた店員さんがこっちにやって来た。
「こちら、ステキですよね……!つけて見ますか?」
「あ、あの……」
緊張しているのか、答えられない彩乃の代わりに俺が「はい」と答えた。
店員さんがネックレスを取り出し、彩乃の首にそっとつける。白い首筋にきらりと光るネックレスはとてもキレイで彩乃にピッタリだった。
「いいじゃん、似合ってる」
すると、キラキラと目を輝かせて鏡を見つめている彩乃。
「あんまりね、ネックレスはつけないんだけど……麻美が付けてるのを見て大人っぽくていいなあと思って……」
じっと鏡を見つめてにこりと笑う。
すっげー嬉しそうだな。
「うん、決めた。お金貯めたら絶対に買う!」
彩乃には届かない価格だったのか、彼女はお金を貯めてからもう一度ここに来ると伝えた。
気に行ったんだろうし、今欲しいだろ。
これくらいなら、俺の給料で彩乃にプレゼントすることもできそうだ。
俺はくすりと笑うと、店員さんに言った。
「これ、ください」
「えっ!」
その言葉に店員さんは「かしこまりました」と返事をして、レジまで向かった。
「恭ちゃん!?な、なに言ってんの!?駄目だよ!あたし、今お金持ってないから……」
「だから買ってやるって言ってんだろ」
「恭ちゃんが!?あたしに!?でも、だってこれ……けっこうするし……」
「バーカ、彼女のプレゼントにこのくらいなにでもねぇよ」
「でも……」
「いいから」
「恭ちゃん……」
彩乃が唇をかみしめながら嬉しそうな顔する。
その顔を見て俺までなんだか幸せな気持ちになった。
お会計を済ませると、俺らはアクセサリーショップを出た。
丁寧にお辞儀をして見送ってくれる店員さんに軽く頭を下げて外の隅っこに移動する。
「恭ちゃん、ありがとう……!恭ちゃんからのプレゼントなんて嬉しいよ〜」
「せっかくだしつけたら?つけてやるから後ろ向いてみ」
「うん」
ネックレスを箱から取り出し、彩乃につけてやるときらりとダイヤが輝いて、いつもより大人っぽく映る彩乃がいた。
「うん、やっぱりいいな」
俺の言葉に彩乃は嬉しそうな顔をする。
「ありがとう、恭ちゃんからプレゼント、ずっと大事にするね」
その笑顔につられて俺まで笑顔になった。
彩乃のこんな顔、見られるならこっちの方が得した気分だな。
そんな幸せに浸りながら、歩いていた時。
俺はその気分を一気に地に落とされることになる。
出会いたくなかった。
ずっと引っかかっていたあの人と。
「そろそろお腹空いたな、なんか食うか」
「うん」
食事をしようということになり、レストラン街に場所を移動したその時。
「恭平くん……?」
俺は後ろから、声をかけられた。
小さめの女性の声。
ふりかえって見てみるとそこには、見覚えのある女性の姿があった。
「あ……、美優ちゃん」
あの頃よりも少し成長した女の子。
化粧っけがあり、大人っぽい服を身にまとっている彼女にドクンと胸が嫌な音を立てる。
彼女は俺がぼそっとつぶやいた言葉に目を輝かせ、こっちに駆け寄ってきた。
「覚えててくれたんだ、嬉しい!」
そして美優ちゃんは嬉しそうに言った。
その言葉にドキリと冷や汗をかく。
会いたかったって、普通なに年も会ってない相手に使う言葉じゃねぇだろ。
家庭教師を辞める時だって、散々な辞め方をしてる。
彼女は俺が離れていけば忘れていくだろう。
そう思っていたのに、もしかしてまだ……?
想像はしたくない。
頼むから、もう気持ちはないと言ってくれよ。
社交辞令的な会話であってほしい。
「ねぇ、恭平くん。あの時のこと……覚えてる?恭平くんと会えなくなった日。あの後ね、急に恭平くんが辞めちゃって、学校まで行ったんだけど会えなくて、どこに就職したかも分からないし、お兄ちゃんったら家も教えてくれなくなって、お父さんお母さんに聞いても、急に家の都合で辞めたってしか教えてくれないんだもん。本当にずっとどこにいるんだろうって探してたんだよ」
美優ちゃんは目をウルウルしながらそんなことを言い放った。
忘れていればいいと思った。
立ち去っていって、他の思い出を作ってすっかり忘れてくれたらって。
でも願いもむなしく、彼女は俺のことを離れた後もずっと考えていたようだった。
やばいな。
「ねぇ恭平くん、今からお話しない?積る話もあるし、あの時の気持ちだって伝えたい……伝えないと前に進めないの」
「今はちょっと……」
そこまで行った時、美優ちゃんはようやく隣にいる彩乃に気づいたようだった。
そのまま彩乃か視線を向けて言う。
「あら、ごめんなさい。どなたかとご一緒だったんだ……妹さん、ですか?あたし、ごめんなさい。急にペラペラとしゃべっちゃって……」
彩乃はくやしそうに黙ると、俺の反応を待っていた。
それは期待して待ってる顔だろうか。
そりゃ、そうだよな。
彩乃は俺の彼女なんだから、俺の方から彼女であると言うべきだ。
だけど……。
今ここで言ってしまうと厄介なことになる気がする。
彩乃まで傷つけられてしまうかもしれない。
美優ちゃんはかなり強引だ。
なにをしてくるかも分からないし……。
俺はそのまま話を流すことにした。
「あ、うん」
それだけを答える。
彩乃の顔を見ることは出来なかったが、これでなんとか美優ちゃんが引き下がってくれそうだった。
「へぇ〜!妹さんと仲いいんだね。ステキ……!じゃあ後日改めて会って欲しいな。時間なら恭平くんに合わせるし……これ、連絡先ね。絶対に連絡してね!」
美優ちゃんは連絡先を押し付けるように渡してくると、手をひらひらと降って帰っていった。
はぁ……とりあえず、この場はなんとか収まったか。
ほっとして彩乃の顔を見た時、俺は冷や汗が流れた。
彩乃は顔をうつむかせてそっぽを向いている。
あーあ。
これは説明しないとダメなヤツだな……。
「あのさ、さっきのさ……」
俺が彩乃の手を掴んでそう言いかけた時、彩乃はその手を振り払って言った。
「妹、でしょ?触らないで」
……やべぇ、めっちゃ厄介なことになったな。
これは美優ちゃんの前でしっかり言った方が良かったか。
いや、でも彼女もかなり厄介な性格だったし、なにより彩乃が傷つけられるようなことがあったら困る。
「なぁ、彩乃ちょっと話聞いて」
とにかくしっかり話そうとしてみるものの、彩乃は話を聞かず先に歩き出した。
「おい、待てってば!」
がしっと腕を掴んでこっちを向かせると、俺は言う。
「さっきの件は本当にちゃんと話さなきゃ分かんねぇヤツだから。怒んなって。なぁ?一旦どこかで話そう」
すると彩乃はぴたりと動作を止めて言う。
「……ってない」
「え?」
俺が聞き返すように言えば、彩乃は顔をあげて大きな声で言った。
「怒ってない!あたしだってもう大人だもん!恭ちゃんのこと名前で呼んでたのも、連絡先受け取ってたのも、妹って紹介されたのも、全然……全然気にしてないもん!」
いや、めちゃくちゃ気にしてんじゃねぇか。
ぐっと唇をかみしめながら、そんなことを言う。
今の言葉で彩乃の心の葛藤なんかも見えて、俺は少し嬉しくなった。
「なーんか、お前って……本当にさ」
”可愛いヤツだな”
そうやって耳元でささやけば、彩乃はかあっと顔を赤くした。
「な……っ、ズルい。そういうの言えば機嫌治ると思って……あたしはそんな単純じゃないんだからね!」
「別にそんな意図ねぇよ。ただお前が可愛いと思ったから言っただけ」
俺の言葉に彩は口を膨らませながら、さらに顔を赤らめた。
可愛いやつ。
「話聞いてくれる?」
「うん」
少し機嫌がよくなった彩乃はこくんとうなづくと、俺の顔をじっと見つめた。
「恭ちゃんが好き……だからちょっとくやしい」
俺はふっと笑ってから言う。
「俺も好きだよ。だからちょっとだけ聞いてくれ、な?お前のこと、大事にしたいから」
そう言いながら彩乃の手を取ると、俺たちはゆっくり話せるカフェに向かって歩き出した。
これからしっかり話さなくちゃな。
彩乃が今後傷つかないように、逃げていたことをしっかりと伝えなくちゃいけない。
どう伝えるのが一番いいんだろう。
俺はそんなことを考えながらカフェに向かった。
歩いてカフェまでやってやってきた。
カフェの窓際の席に案内され座ると、ドリンクを注文する。
外は雨が降ってきてしまったようで、音が微かに響いていた。
目の前には、不安そうな顔をする彩乃の姿がある。
さっき、美優ちゃんから俺が連絡先を渡されているのを見たことが、どうしても頭から離れないのだろう。
「それで……さっきのあの子は誰なの?恭ちゃんに向かって久しぶりって声かけてたよね……」
彩乃が言った。
声のトーンは、疑問と不安と言ったところか。
ちゃんと説明してやらないと……。
それで彩乃が納得してくれるか分からないけど。
「あの子は昔、家庭教師をしていた生徒なんだ」
「生徒……」
彩乃は、一瞬言葉を詰まらせた。
「友達の妹で勉強を教えて欲しいって言われて教えてた時期があるんだ」
「恭ちゃんがあたし以外に勉強を教えている子がいたんだ……」
あんまりいい気はしていないだろう。
なぜなら彩乃は、テストでいい点をとったらご褒美にどこかに連れていって欲しいと俺に告げた。
俺もその条件をのみ、彩乃と出かけたりしていたからだ。
だから美優ちゃんともそういうことをしていたと思っているんだろう。
実際はしてないんだけどな。
「あの人が連絡先を差し出してきたとき、恭ちゃんはあたしのこと、彼女って紹介しなかったよね……」
あとはやっぱりそこだよな。
その時の彩乃の顔を見て、少し胸が痛くなった。
でもあの時は言えなかったんだ。
俺は深呼吸を一つし、なるべく穏やかな声で答えることにした。
「ごめん、あれは事情があったんだよ」
「事情ってなに?あの子ともしかして……付き合ってたの?」
彩乃の瞳は、不安気に揺れていた。
「付き合ってないよ。ただ……好意を寄せられてた。彼女の好意はどんどん強くなっていって、マズいなと思った時、家庭教師の方も親に言われて降ろされることになったんだ」
「そう、だったんだ……」
彩乃はカップを手のひらに包みながら言葉をこぼす。
「やっぱり、恭ちゃんはどこに行ってもモテちゃうよね……」
「不安か?」
「不安だよ。彼女だってハッキリ言ってくれなかったもん……」
「それは、彼女だって言って彩乃になにか危害があったら嫌だっただけだ」
「本当に?あわよくば~とか思ってない?久しぶりにあって、可愛くなったなとか、大人っぽくなったなとか思ったりしてさ……」
「あのなぁ……俺をなんだと思ってるわけ」
まさかそこまで思われてたとはな……。
だいぶ信頼ねぇーんじゃね?
「なんで大事な彼女とデートしてる時に他の人が目に入るんだよ。俺はあの時彩乃のことしか考えてなかったよ。その証拠に……」
そう言って俺は美優ちゃんからもらった連絡先の書かれた紙を取り出す。
「これはいらない」
そう言うと、その紙をビリビリと破いた。
「恭ちゃん……」
「ちなみに、俺はあの人のこと昔から全然興味なかったから」
そこまで告げると、彩乃はなんとかほっとしたようだった。
「ごめんね、恭ちゃん……あたし、全然自信なくて……ずっと恭ちゃんの恋愛対象外って言われてたから、今も恭ちゃんが付き合ってくれていることがキセキみたいに思っちゃって」
それは、十分俺も悪いな。恋愛対象外と言い続けてきた弊害はデカい。
その分たくさん彩乃に愛を伝え続けてやらねぇとな。
「不安にさせて悪かった。でも、家庭教師時代もどこか連れて行ったりしたのは彩乃だけだから」
「本当に!?」
「ああ、その時だけお前は特別だったからな」
「それは、お母さんと仲が良かったからじゃなくて?」
「まぁ……それもあるな」
「ガーン」
俺は彩乃のコロコロ変わる表情を見ていると、噴き出してしまった。
そういうとこが可愛いんだって。彩乃は気づいてないんだよな。
「今度またすれ違っても、あの子と連絡とらないでね?」
「もちろん」
「どこか行くとかも無しだよ」
「当たり前だろ」
すると、彩乃は表情が柔らかくなり、笑顔を見せた。
「恭ちゃんありがとう……ごめんね、めんどくさいことばっかり言って」
彩乃の言葉に俺はコツンとおでこを小突いた。
「いてっ……」
「お前はそういうこと気にしなくていーの」
店を出ると、さっきまで降っていた雨はすっかり止んでいた。
アスファルトには雨粒の名残が光り、街灯の明かりをぼんやりと反射している。
湿った空気の中に、どこかすっきりとした匂いが混ざっていた。
「雨、上がったな」
俺が空を見上げながら、ぼそっとつぶやく。
すると彩乃は俺の隣で、小さくうなずいた。
「うん。傘、いらなくなったね。まるであたしの心を表してるみたい」
手に持っていた折りたたみ傘をしまいながら、俺はつぶやく。
「いつからそんな文豪っぽくなったわけ?」
「へへっ」
なに気なく彩乃を横目で見ると、さっきの不安な顔はなくなりどこか嬉しそうだった。
良かった……。
彩乃の気持ちが晴れたのなら安心だ。
彩乃の髪は雨の湿気で少しだけくせがついていた。
くせっけなんだよな、彩乃は。
くすっと笑いながら手を差し出す。
「え?」
「ほら、手貸せ」
俺は彩乃の手を取った。
「いいの?お母さんとか周りの人に見つかっちゃうかも」
「だから遠回りして、裏の方から帰るぞ。あと家の近くになったら放すから」
そう伝えると、彩乃は少し照れくさそうに目をそらしながら、「うん!」と答えた。
俺たちは歩き出す。
彩乃の手のひらは、思ったよりも温かかった。
静かな住宅街を歩く。夜の風が頬を撫で、遠くで車の走る音が聞こえるだけだった。
「今日は楽しかった。ありがとう……不安だとかわがまま言ってごめんね」
「全然。むしろそういうのは言ってくれたら助かる」
「本当に……?」
「ああ」
俺たちは歳の差がある。
彩乃が今悩んでいることを分かってあげられないことだってあるから、しっかりとお互いに言っていく必要があると思った。
「彩乃もそろそろ進路決めたりするんだろうな」
「うーん、そんな雰囲気にはなってるけど、まだやりたいことはなにもないんだよね」
その時、前の美優ちゃんのことを思い返してしまった。
付き合っているからと言ってそこは干渉しすぎないように気を付けないといけない。
俺が入っていい範囲じゃないから。
「ちゃんと自分で決めろよ」
「そのつもりだよ?」
彩乃は意味が分からないとでもいいたげな表情を見せた。
まぁ……この感じなら今は大丈夫そうか。
難しい付き合いを俺は選択した。
年の差があるということは、今は歳が離れている男性に引かれる時期だということもある。
彩乃がどんどん大きくなっていって、大学生くらいになった時、やっぱり同じ歳の人と一緒にいる方がいいと気づくこともあるかもしれない。
もしそうなったら俺は手を離してやらないといけない。
「本当……厄介だな」
「ん?なにか言った?恭ちゃん」
「別に」
放してやれよ、俺。
それも込みで付き合ったんだ。
彩乃の人生を邪魔しないと……。
雨上がりの道を、ふたり並んで歩く足音が響く。
からっと晴れたお日様の匂いと少し切ない匂いが鼻の奥をくすぐった。
“同じ歳だったら良かった”なんてきっと俺の方が考えてる。
この先は離れる覚悟をして、ようやく彩乃と付き合うことが出来るのだから──。