恭ちゃんに別れを告げてから3日が経った。
その間に恭ちゃんと会うことはなかったし、もちろん恭ちゃんから連絡が来ることもなかった。
「当たり前だ……」
それなのに、鳴らないスマホを期待して見つめてしまう自分がいる。
自分で決めたことなのに……あたしはなにをしているんだろう。
自分の家を出た時、恭ちゃんの家を見てしまうのも、今なにしてるのかなって考えてしまうクセもなかなか治らない。
未練がましな……あたし。
「またそんな顔してる」
あたしが席に着いてカバンを置いた時、麻美がやって来た。
「話したくないなら無理に聞き出すことはないって思ってたけど、やっぱりこれ以上は我慢の限界。なにがあったの?教えて」
別れを告げてから3日間。
あたしは恭ちゃんと別れたことを誰にも話さなかった。
麻美はあたしのことを心配してくれていたけれど、なんだか口に出すことが出来なくて、いつまでも言えなかった。
別れたことが事実だと実感してしまうのが怖かったのかもしれない。
いつまでも踏み出せないまま。
そんなんじゃダメだ……。
言わなくちゃ。
「ゆっくりでいいから教えて」
麻美は優しい口調でそううながした。
あたしは麻美の言葉に頷く。
そして静かに話しはじめた。
恭ちゃんと別れたこと、それから美優さんの話、そして美優さんに別れろと言われたこと、全てを麻美に話した。
全てを聞き終わると麻美は少し怒った顔をして言った。
「なんで、相談してくれなかったのよ!」
麻美は美優さんに対してとても腹を立てているようだった。
「自分で決めた方がいいと思ったんだ。いっつも誰かに頼っちゃうから……」
そう。
だってこれは、あたしの気持ちの問題じゃない。
あたしがどれだけ恭ちゃんを好きかではなく、恭ちゃんに幸せになってもらうためには、どう行動するべきか、だから。
「彩乃……、」
「けっきょくあたしじゃなにも出来ないんだって痛感したんだ……」
子どもじゃない!なんて何度も言って来たけれど、今が一番痛感する。
あたしはまだまだなにも出来ない子どもなんだと。
すると、麻美は少し考えてから言った。
「でもこんなのヒドイよ、間違ってる!脅して無理矢理引き裂くなんて許せない。せめてさ、恭ちゃんに彩乃の本当の気持ちを伝えることは出来ないの?彩乃はまだ好きなんでしょ?それなのに、そんな別れさせ方されるなんて……」
あたしは首を振った。
「もしあたしが、恭ちゃんに事実を告げたら、恭ちゃんに迷惑かけると思うから……迷惑だけはかけたくないの……」
恭ちゃんの本当の心は分からない。
美優ちゃんが言っていることが本当で、美優ちゃんのことを気になっていたんだとしたらそれも応援してあげないといけないし、そうでなくてもあたしがいることで迷惑をかけるなら、あたしは恭ちゃんの元から離れたい。
ずっと、色々な恭ちゃんを見てきた。
優しいところ、一生懸命なところ。
ちょっと意地悪なところ。
そして、甘々なところ。
彼女になって初めて知った顔もあった。
でもね。
ずっとずっと感じてたんだ。
彼女だって彼女じゃなくたって、恭ちゃんはずっとあたしのこと大事にしてくれていたってこと。
いつだって守ってくれた。
いつだって側にいてくれた。
だから、きっと恭ちゃんはその選択を迫られた時、バッサリあたしのこと切り離してくれないと思うの。
すごく、すごく悩ませちゃうと思うの。
優しい人だから。
そんなことになるのは嫌だから……。
「もう、気持ちは心にとめておく」
何度も何度も、好きだと伝えた。
伝わらなくて追い返されて、それでも諦められないくらい大好きな人。
そんな好きな人とちょっとでも思いが通じたんだ。
もうそれだけで、あたしは十分幸せだから。
あたしはふっ切るように自分に言い聞かせた。
すると、その時。
ーーパコン。
「痛……っ」
なにかで叩かれ、あたしの頭に痛みが走る。
な、なに!?
振り返ってみてみると、そこにいるのは丸めた紙の筒を持っている良樹だった。
「バカだなお前……」
「ちょっ、良樹……!なにす……」
あたしがいつもみたいに声をはりあげるけれど、いつものようにふざけている良樹の姿はない。
真面目にまっすぐにあたしのことを見つめていた。
「俺はお前がそんな弱い気持ちだったら、譲ったりしてねーぞ」
「良、樹……」
「俺はお前がアイツに対してすげぇ強い思いを持ってるって分かったから俺は引いたんだ。バカみてぇに恭ちゃん、恭ちゃんって、俺の入る隙間もねぇくらいアイツしか見えてないお前だったから諦めたんだ。それなのにそんな顔して心にとめておく、とか言ってんじゃねーよ」
「……っ」
良樹の言葉が心にしみる。
「ああ、早くに諦めといて良かったなって思うくらい幸せになれよ。俺が入る隙間もないくらい、幸せだって言って笑えよ。じゃなきゃ割に合わなねぇだろーが!」
良樹の厳しい言葉が私の心をじわり、じわりと温かくしていく。
気づけば、涙がこぼれていた。
ずっと我慢していた。
恭ちゃんを好きになること。
恭ちゃんと幸せになること。
あたしには無理なんだと思って諦めてしまった。
でも諦めなくてもいいの……?
恭ちゃんと幸せになる資格、あたしにあるの……?
「アンタなに泣かせてんのよ!」
麻美が焦ったように良樹に言う。
「あ、悪りぃ……泣かせるつもりじゃ……俺ははげますつもりで……」
「だったらそんな厳しい言葉かけなくてもいいでしょうが!」
「それは……その……」
良樹は慌てた表情であたしをなだめようとする。
「悪りぃ、言い過ぎたつーか……その……」
あたしは良樹の言葉に首を振った。
厳しい言葉。
だけどそれは明確で、優しさがある。
良樹はあたしのことをよく知っているからそうやって言葉をかけてくれたんだろう。
自分があきらめた分も、あきらめて良かったって思えるくらいあたしに幸せになって欲しいという。
すごく愛のある言葉だった。
「ありがと、良樹……」
「お、おう」
良樹はそれだけを言うと去っていった。
あたしと麻美のふたりになり、彼女は真剣な顔で問いかける。
「それで?元カレの話聞いて、決心はついたの?」
「うーん……」
「ああ見えても、自分の恥ずかしいプライド抑えて言ってくれたんだと思うけど?」
「分かってる。でも……」
問題は解決しない。
あたしがいると恭ちゃんの職が奪われてしまう。
「ごめん……それでもやっぱり、前のように恭ちゃんに気持ちを伝えることは……出来ないや」
あたしの返事を聞いて、麻美は悲しそうな顔をした。
ずっと応援していた恋をこんなふうに終えられたら麻美だって悲しい気持ちになるよね。
でもあたしたち子どもが出来ることって本当に少ないの。
だから歳の差のお付き合いは世間からは否定されるのかもしれない。
それから授業開始のベルが鳴ったため、あたしたちは自分の席に戻った。
重たい身体を抱えながら、授業を受ける。
ぼーっと受けていた授業はあっという間に終わってしまったけれど、全然夜が楽しみじゃないや。
恭ちゃんと会えない夜なんてなくていい。
あたしは麻美に声をかけて別れると、ひとりで家までの道のりを歩いた。
「ただいま」
気だるく声をかけるが、家に帰るとそこには誰もいなかった。
そっか……。
今日はお母さん、友達と夜ご飯を食べて来るって言ってたっけ。
お父さんも帰りが遅いって言ってた……。
夜ごはんは作ると言われたんだけど、自分のためだけに作ってもらうのは気が引けて買うからいいよってお母さんには言ったんだった。
テーブルにはお金が置かれていて、【今日はごめんね!これで好きなもの買ってね】というメモ書きが置かれていた。
なにか買って来なくちゃな。
それでも今は行く気分になれず、あたしは自分の部屋のベッドに横たわっていた。
ショックからかお腹も減らないし、いっそのこと食べなくてもいいかも。
そんなことを思いながら、スマホをいじっているといつの間にがベッドで眠ってしまっていた。
「……ん」
次に目を覚ますと、スマホのディスプレイは20時を指していた。
わ……っ、あたし寝ちゃってた……。
疲れていたあたしはスマホを触りながら寝落ちしていたらしい。
お腹が空かないと思っていたけれど、起きたらさすがにお腹がグーと音を立てた。
ご飯、買いに行くか……。
コンビニでいいや。
重たい身体を起こして、上着を羽織り家に出る。
近くのコンビニまで向かおうと歩いていた時、向こう側からよく見慣れた人が歩いていているのが分かった。
恭ちゃんだ……。
スーツにジャケットを羽織った恭ちゃんがカバンを持ってこっちにやってきている。
マズい、隠れないと……。
そう思う前に声を掛けられた。
「彩乃」
聞きなれた声に思わず顔をあげる。
別れ話をしたばかりだからか、恭ちゃんの声を聞くとなんだか泣きそうになってしまった。
あ、そっか……この時間だから仕事終わりと被っちゃったんだ。
もう少し早く行っておけば良かった。
なんでちゃんと考えて家を出なかったんだろう。
恭ちゃんと向き合うとドキドキと鼓動が早くなる。
たった3日会ってないだけなのに、なんだか顔を見るのが10年ぶりくらいな気がして新鮮な気持ちになる。
──ドキン、ドキン、ドキン。
ああ、なんだ。
心はまだまだ全然、恭ちゃんを嫌いになってくれない。
ドキドキとうるさい心臓を必死で抑えながら、あたしは冷静にならなれ、と言い聞かせた。
このまま「お疲れ様」とだけ声をかけて通り過ぎよう。
なにもなかったみたいに。
あたしたちの関係をなかったものとして。
そう思って下を向き、「お疲れ様」と恭ちゃんの横を通り過ぎようとした時、恭ちゃんはあたしの腕を掴むと低い声で言った。
「逃げんなよ」
「……っ」
そんな声で言わないで。
そんな声で引き留めないで。
嬉しくなっちゃいけないのに、あたしは簡単に嬉しく思ってしまうから。
「逃げてなんかないよ。コンビニ行くだけだし……じゃあね」
「待てよ!」
恭ちゃんは腕を掴む手を離してくれない。
そんなことしないで。
今すぐ恭ちゃんの胸に飛び込んでしまいそうになる。
だけど、あたしは自分の気持ちとは反対に冷たい言葉を探しては伝える。
「恭ちゃん、あたし言ったよね。もう疲れたって。会いたくないんだって。今日も偶然会っちゃってついてないなって思った。だから放してくれる?」
冷たい言葉を言い放つ時、恭ちゃんの顔は見ない。
見てしまったら自分がなにを言い出すか分からないから。
「ああ。言った。それが彩乃の本心なら俺は止めたりしない。でもそうじゃないだろう……」
本心なのか、なんて残酷だ。
そんなこと、言葉にしたくなんかないのに。
「本心だよ……」
言わなければいけない。
お願い恭ちゃん、もう苦しいんだ。
近くにいるのに一緒にいられないことが、大好きなのに、気持ちを伝えられないのが苦しいの。
「だから手、放して」
「意味分かんねぇ。付き合う前から真っすぐに気持ち伝えて来たお前が、疲れたなんて言うとは思えない」
あたしはぐっと黙ると、大きな声で言った。
「付き合ってみて分かったの!そういうことだってたくさんあるでしょ?付き合って分かったのは、恭ちゃんとあたしは合わないってことだけだよ!」
「じゃあなんで、あんなに幸せそうな顔したんだよ。ネックレスをあげた時だってお前は嬉しそうに大事にするって言った。お前がそんな言葉をウソで言える人間だとは思えない」
「あたしのなにを知ってるの?別にずーっと一緒にいたわけじゃないのに」
「一緒にいただろ。お前の小さい頃の話はしらない。でもここ最近ずっと一緒にいただろうが。そんなの見てればすぐ分かるんだよ!」
どういっても言い返されてしまう。
何回も何回もやりとりしているうちにあたしの決心はすぐに鈍ってしまう。
ダメだ、このままじゃ。
もっとハッキリ言わないと……恭ちゃんが別れを告げるようなことを……。
そこまで考えてあたしは美優さんの言葉を思い出した。
『じゃあ教えてあげる。あたしと恭平くんの昔のことを』
『いい感じだったのよ、あたしたち。家庭教師をしてもらってる時にデートに行ったこともあるし、後ね……こっそりお家の中でキスだってしたことあるんだから』
『会いたいって言われたの。ウソじゃないよ。その証拠にね……』
そうだ。恭ちゃんの中にまだ美優さんへの気持ちが残っているかもしれない。
「美優さんのこと恭ちゃん、まだ好きなんでしょ?美優さんから色々話も聞いた。今日会うの、とかキスしたことあるとか、そんなこと聞いてたらなんか疲れちゃったんだよ……今なら吹っ切れそうだから、それでいいでしょ?」
すると恭ちゃんは目を丸めて言った。
「お前、美優ちゃんと会ったのか?」
「会ったよ」
あたしの言葉に恭ちゃんは力なく手を放した。
「はは……っ、そういうことかよ」
そういうこと、の意味はなにを指しているんだろう。
自分を信じて欲しいと言ったのに、それを真実に美優さんと会ったあたしを軽蔑したってことだろうか。
それとも美優ちゃんに会った時に、会ったことをナイショにして欲しいって恭ちゃんが告げたけれど、美優さんが言ってしまったこと……?
様々な疑問が飛び交う中、もうこれで、恭ちゃんの目の前を去れば良かったのに、あたしは思わず余計なことを口にしてしまう。
「美優さんと久しぶりに会えて嬉しかったんでしょ?それで舞い上がってキス……したんでしょ?」
別れていても、やっぱり知りたかった。
好きだから。
本当はどうだったかって。
きっとあたしは恭ちゃんに「キスなんてしてない」って言って欲しいんだろう。
別れたのに、自分が望む答えが欲しいだなんて、あたしは欲張りだ。
願うように恭ちゃんを見つめると、彼はあたしを冷たいまなざしで見て言った。
「俺のこと、好きじゃないんだろ?じゃあなんでそんなこと気にするわけ?」
「……っ」
──ズキン。
恭ちゃんからの冷たい言葉。
やっぱりさっきの質問とあたしが美優さんと会っていたことを知って軽蔑したんだろうか。
それを言わずに隠して別れを告げたことも、恭ちゃんにとっては苛立つポイントだろう。
「ご、ごめん……そうだよね」
別れようと告げたのは自分だ。
好きじゃないと口にしたのは自分なのに。
恭ちゃんの心のうちを知りたいなんてズルすぎる。
あたしはぎゅっと唇を噛みしめた。
すると恭ちゃんはあたしの名前を呼ぶ。
「彩乃。俺は全部伝えたはずだ。お前にはウソ偽りなく本心で全部伝えたつもりだった。でも……そんな風にとらえられてるなんて知らなかったし、正直ガッカリした」
「恭、ちゃん……っ」
「あそこまで伝えても疑われるなら、俺も……もういいわ。さっきまで彩乃と別れること納得いってなかったけど、もう大丈夫だ」
……大丈夫?
その言葉が、胸の奥で冷たく響いた。
恭ちゃんの声はいつもより低くて、乾いていた。
いやだ。そんなこと言わないで……。
もうあたしに興味がなくなったみたいに吐き捨てないで。
あたしはなにかを言おうと口を開いた。
でも、言葉が喉の奥で詰まる。
恭ちゃんは、もうあたしの方を見ていなかった。
「……そっか」
ただ、それだけをつぶやく。
さっきまで、あたしが別れを本心で告げているわけがないと言ってくれていたのに。
恭ちゃんの眼差しはあたしに向いていたのに……。
もう彼はあたしを見ない。
「それじゃあ、元気でな」
そしてそんな言葉をかけると、恭ちゃんはあたしの横を通りすぎ、家に向かって歩き出してしまった。
「ま、待って……!」
声が震えた。足がすくんで、彼に向けて手を伸ばすこともできない。
すると、恭ちゃんはふっと短く息を吐いて、それからゆっくりと振り向いた。
「なに?」
冷たい視線。
さっきまでの優しさは、もうどこにもない。
「……あの、あたし……」
しかし、言葉がつかえてなにも言えなかった。
言えるわけない。
さっきまで恭ちゃんのことを疑っていたんだ。
それなのに、恭ちゃんに突き放された瞬間、なにか引き留めようとするなんて自分勝手すぎる。
恭ちゃんはあたしが戸惑っている姿を見て、ほんの一瞬だけ眉を寄せた。
それがどんな感情だったのかはわからない。
しかし、それ以上はなにも言わず、彼はあたしの前から歩き出した。
もう追いかけられない。
恭ちゃんに待ってと言うことは出来ない。
本当にあたしたちの関係が終わってしまった。
彼の背中が、遠ざかっていく。
あたしはただ、そこに立ち尽くすことしかできなかった。
それから恭ちゃんが見えなくなると、あたしはその場にしゃがみこみ涙を流した。
冷たい言葉をかけられるのがこんなに辛いなんて。
あんな軽蔑した目で見られるのがこんなに苦しいなんて思わなかった。
あたしはでもそれくらいのことを恭ちゃんにしたんだね。
「う、う……っ。あたし、バカだ……」
けっきょく恭ちゃんのこと傷つけてるじゃないか。
別れるにしてももっといいやり方はあったはずだ。
あたしが欲を出してしまったからこうなった。
バカだね。
好きな人に別れを告げる。
好きじゃないフリをして、なんでもないみたいな態度をとる。
それはこんなにも難しくて、こんなにも苦しいものだと知った。
あたしはその日、ひとしきり泣きじゃくり、けっきょくコンビニには行かずに家に帰ることにした。
もうなにも口にしたくない。
誰とも会いたくない。
恭ちゃんがいない生活は色を無くした世界みたいで、輝きを失った。
全部、恭ちゃんがいてくれたからこの世界がキラキラしてみえたんだろう。
『ガキは恋愛対象外だから』
『バーカ、心配だからこうやって来たんだろうか』
終わっちゃった……。
大事に大事にしてようやく実らせた恋が終わってしまった。
「恭、ちゃん……っ」
こんなに大好きなのに。
今だってちっとも忘れられてないのに。
反対の言葉を言ってこの恋を終わらせないといけないなんてなんて残酷なんだろう。
「……っ、ぅ、ふ……」
ぽたりと目から涙が流れて床に落ちる。
「大好きだよ……っ」
今でもずっと──。