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第19話:大人と子どもの決意


【三谷恭平side】


『ごめん。もう無理だから……』


そうやって告げた彩乃の顔は苦しそうで、泣きそうな顔をしていた。

なぜ彼女が急にそんなことを言い出したのか、俺にはサッパリ分からなかった。


ショッピングモールに行った時、俺のプレゼントしたダイヤのネックレスをとても嬉しそうに、大事にしてくれていた。


そんな彩乃を見て、俺も彼女を大事にしていきたいと思っていたさなかだった。


『それなんだけどね……実はさ、なんて言うんだろう。やっぱり恭ちゃんと一緒にいるの、ちょっと無理かなって思っちゃって』


彩乃から急にそんな言葉を言われたのは。

無理ってなんだよ。


そんなこと言われてもしっかりと説明してくれないと分からない。


俺は彩乃が突然言い出した言葉に混乱していた。


『うん。なんか疲れちゃったんだよね。歳も違うし……趣味だってやっぱり合わないでしょ?最初は年上っていいなって憧れてたんだけど……付き合ったらやっぱり違うなって思っちゃって……』


問い詰めてみても、疲れたというばかり。

正直歳のことを言われて、合わないともし彼女に言われた時は覚悟しなくちゃいけないなと思っていた。


俺は彩乃よりも6歳も年上で、彩乃は今は高校生。

そりゃ歳の近いやつと付き合う方がいいに決まってるから。


だから歳が離れすぎていて、合わないと言われてしまったら素直に聞くしかないと柿後は決めていた。


でも……。

今がその時じゃないことは彩乃の表情を見ていて分かった。


なにを隠してる?

どうして本音を言わない?


彩乃は明らかに様子がおかしい。


『恭ちゃんだってそう思ってたでしょ?もう少し年上の人とか、自分と同じ歳の人だったら仕事の相談とか出来たのにな、とか。あたしは そういうのも見ていて、自分が劣ってるところばっかり見えるし、釣り合ってないなって思うし、それだったら同じ年の人と付き合ってる方が楽だしお互いいいのかなって思ったの』


俺はそんなこと一度も思ったことはない。


付き合ったのが彩乃で良かったと思っているし、彼女を一生をかけて幸せにしてやらないとダメだと思っていたところだ。


俺の気持ちを彩乃にもしっかり伝えていたはずだった。


それなのに、なぜこんなことになってしまったんだろう。


『こっち向けよ、彩乃』

『……っ』


『お前が本当にそうやって思ってるなら、俺の顔見て言え』


ずっとうつむいて、一切俺の顔を見ることがない彩乃に俺はそう告げた。


そしたら彩乃は、俺の顔を見て別れを告げるなんて器用なこと出来ないと思ったからだ。


彩乃は自分の感情を隠すのが得意じゃない。

ちゃんと本心を言ってくれよ。


そしたら俺は彩乃の不安を取り除ける。


隠されたんじゃ、なにもできねぇだろ……。


しかし、彩乃はまっすぐに俺を見つめて言った。


『本当に思ってるよ』

『……っ!』


それを見て俺は一瞬動揺した。


もしかして、今までのは本心だったのか?

彩乃が本当に思っていたことなのか?


そんなことねぇよな?


ずっとウザいって遠ざけてきたのに、何度も突き放したのに、彩乃はめげることなく戻ってきた。


『俺のこと、ナメんなよ。お前が泣きそうな顔してんのに、気づいてやれないわけねぇだろ。そうやって見逃すわけないだろう』


そうだよな、って確かめるように言った言葉も、俺は跳ね返された。


『そういうのが重いんだってば!』


彩乃……。

どうしてこんなに伝わらないんだろう。


彩乃の考えていることがこんなに分からないのは初めてだった。


やっぱり歳の差のせいなのか……?


『ごめん。もう無理だから……』


ここまで言われてしまっては、俺も本当に彩乃が心の底から別れたいと思っていっているんじゃないかと思ってしまった。


それから彩乃はその場から走り去ってしまった。


翌日、電車の窓に映る自分の顔が、ひどく情けなく見えた。


寝不足のせいで目の下に薄いクマができている。何度も指先でこすってみたが、消えるはずもなかった。


周囲は朝の通勤ラッシュで混み合っていたが、そんな人波に紛れながらも、俺は昨夜のことを考えていた。


本当に別れたいって思ってるのかよ。


朝起きて、期待して見つめたスマホにはなにも来ていなかった。


カタン、と電車が揺れる。俺は吊革を握り直し、深く息を吐いた。


俺からなにか送れるわけもない。


しつこい元からに付き纏われて~なんて思われたらたまったもんじゃないし、彩乃に迷惑をかけたいわけじゃない。


俺は大人だ。スマートでいないといけない。


でも、別れた理由を考え始めると、どうしようもなく落ち込んでしまう。

俺のなにがいけなかったのか、もっとなにかできたんじゃないか、今さら考えても遅いことばかりが頭を埋め尽くす。


仕事だってあるのに、こんな状態でまともに動けるのか。


また千葉に言われちまうな。


駅に着き、流れに押されるように改札を出る。スーツの襟を正し、ビルのガラスに映った自分をちらりと見た。


無理に整えた顔は、どこかぎこちない。


「……はあ」


ため息をつきながら、電車を降りた。


ダメだな、俺……。


そして別れを告げられてから3日が経った時、仕事の帰り道で偶然彩乃を見かけた。


ラフな格好をしていたからコンビニにでも行くんだろう。


こんな時間に女ひとりで出歩いたらあぶねぇだろ……。


そう思いながらも、俺は彼女を呼び止めた。

それは時間が経てば冷静になっているはずだと思ったから、しっかり彩乃の本心を聞くことが出来ると思ったからだ。


もう一度話して、本当に別れたいと思っているのなら、俺は受け入れてあげないといけない。


覚悟はあった。


しかし、彩乃の出した言葉はこれだった。


『本心だよ……』


本当に俺を好きじゃなくなったと言う。


あの日から時間が経っても答えは変わっていない。


なんでだよ……この前まで、すっげぇ嬉しそうな顔して笑ってただろーが。

覚悟を決めていたわりにしっかりと傷ついた。


フラれるってこんなにキツイのな。


でもしっかりと「分かった」と返事をしてやらないといけない。


俺は大人だからだ。

そんな風に思っていた時、彩乃が言った。


『美優さんと久しぶりに会えて嬉しかったんでしょ?それで舞い上がってキス……したんでしょ?』


突然出てきた美優さんという言葉。

彩乃の口から出てくるのは不自然だった。


ああ、分かった。


そういうことか……。


そういうことかよ。


全てが繋がった。


彩乃が本心を言わないわけ。そして別れを告げた理由。

それに全て美優ちゃんが関わってるってことか。


美優ちゃんとキスしたのか、と聞いてくる彩乃に、信じてもらえてないことに少し傷ついたものの、俺も悪かったと思った。


もう少し彼女の行動を考えるべきだった。


あの日連絡先を無視したくらいで、ことが片付くと思っていた俺が悪かった。

あの子は俺の大学にまで押しかけてきたくらいなんだから。


キスをしたのか?と不安気に尋ねる彩乃に俺は冷たく返した。


『俺のこと、好きじゃないんだろ?じゃあなんでそんなこと気にするわけ?』

『……っ』


そうやって返すのにはワケがある。

それは、この件が片付くまでは彩乃と距離をとりたかったから。


ちゃんと向き合わないといけない。

今俺がここでなにを言っても彩乃は安心しないだろう。


ちゃんと安心してもらえるように、ケリをつけにいかないとな。


『ご、ごめん……そうだよね』


傷ついた顔をする彩乃に心が痛む。

でも、俺は一旦お前を突き放さないといけないんだ。


悪いけど、許してくれな。


『彩乃。俺は全部伝えたはずだ。お前にはウソ偽りなく本心で全部伝えたつもりだった。でも……そんな風にとらえられてるなんて知らなかったし、正直ガッカリした』


『恭、ちゃん……っ』


『あそこまで伝えても疑われるなら、俺も……もういいわ。さっきまで彩乃と別れること納得いってなかったけど、もう大丈夫だ』


別れたことにしたいと、あの人は彩乃に危害を加えにいくだろう。


そして俺は彩乃の元から立ち去った。


無理をさせてたのかもしれない。

本当はこうなる前に気付いてやれれば良かったのに。


幸せにすると誓ったのに。


「クッソ……」


俺は力強く手を握りしめた。



次の日ーー。

朝、会社のエレベーターの前で千葉と偶然会った。


「おい、お前どうなったんだよ?」


別れたと話してから、その後のことを聞いてくるが俺は首を振るだけだった。


「まだ話に行ってねぇのか?麻美ちゃんが彩乃ちゃん落ち込んでるって来てたぞ」


「いや、2日前会った。落ち込んでるのは……知ってる」


「じゃあなんでだよ!こんなんでいいのか?」


千葉は最初こそ俺たちが付き合うかどうか楽しんでいたものの、付き合ってからは応援してくれているように思う。


「よくないことは分かってる。でも会う接点がないんだ」


「接点がないってどういうことだよ?」


意味が分からないといいたげな千葉に俺は彩乃と会った時のことと話した内容を告げた。すると、千葉は神妙な表情で俺に言う。


「その、美優ちゃんと会ったっていうのが怪しいな」

「ああ、そうだよな……」


彩乃の方からなにか接点があるわけじゃないから、きっと美優ちゃんが調べたんだろう。


彩乃の学校を調べて学校の前まで行っている可能性もある。


『美優さんと久しぶりに会えて嬉しかったんでしょ?それで舞い上がってキス……したんでしょ?』


俺と美優ちゃんが彩乃の知らないところで会ったと思ってるんだよな。


きっと彼女がけしかけたんだろうけど……。


美優ちゃんがでたらめを言っていることは確かだ。


一度、話を聞く必要がある。

だけどその話を聞いて本当に疲れたと思ってしまったのなら俺には止める権利もない。


少し怖い気もするが、調べないわけにはいかない。


「美優ちゃんからお前のところに連絡来たりしてねぇの?」

「分からない。彼女の連絡先はブロックしてるから」


美優ちゃんから渡された連絡先はすでに破棄している。


「SNSとかは?」

「俺がそんなのやってるわけねぇだろ」


「まぁ……そうだよな。じゃあ美優ちゃんの方はやってるだろうから、麻美ちゃんに調べてもらおうか?」


「うーん……」


そこまで彩乃の友達に迷惑をかけていいのか心配になる。

でも今の俺には美優ちゃんと接触するにはそれしかないんだ。


「麻美ちゃんもきっと彩乃ちゃんのためなら快く引き受けてくれると思うぜ」


「悪いな、それじゃあ頼む」


それから千葉が麻美ちゃんに連絡をして、その後美優ちゃんのSNSのページを見つけてもらった。


俺は仕方なくSNSのアカウントを適当に作ってから美優ちゃんにダイレクトメッセージを送った。


返事はすぐにやってきた。


【会いたかったの♡見つけてくれて嬉しい】


彼女の返事は浮かれていて、これから俺がどんな話をするかなんかこれぽっちも想像できていないようだ。


すぐに彼女と会う予定を取り付けた。


「はぁ……」


なんでこうなるかな。


ただでさえ障害が多い恋だって言うのに、こんなことまで起きたら彩乃も心配になるに決まってる。


嫌だっただろうな。


『怒ってない!私だってもう大人だもん!恭ちゃんのこと名前で呼んでたのも、連絡先受け取ってたのも、妹って紹介されたのも、全然……全然気にしてないもん!』


あんな風に偶然会ったのだって心配していたくらいだ。


あの日妹だとウソをついた時、もう彩乃に傷ついた顔をさせたくないと思った。


だから付き合っていると本人の目の前でしっかり言わなくちゃいけない。

でもまさか。


「まさか自分が手放されるとはな……」


俺のつぶやきが虚しく響く中、千葉と分かれて、それぞれのデスクに戻っていった。


仕事中。

公私混同はさせない自信があったのに、ついにボロが出て来てしまった。


「三谷さん、ここ誤字ありません?」

「あ、すみません……」


クッソ……自分が思っている以上に動揺してる。


彩乃は全然分かってねぇんだよ。

俺がどんなにお前を好きか。


大人は本気で恋をすると子ども以上に厄介になる。


一度気持ちを伝えてしまったら、もう戻れない。


きっとな、子どもよりもどっぷり浸かってしまう。

そう簡単に切り替えることなんて出来ねぇんだよ。


俺にとって彩乃は、もうすでに大きな存在なんだってことが、全然分かってねぇよ、バカ。


ミスした仕事をやり直し、再提出すると時刻はちょうど昼の時間になった。


いつものうどん屋。

いつも頼む定食。


隣には同僚の千葉がいる。

だけど気分はどんよりしている。


「それで?美優ちゃんと会うことになったのか?」

「ああ、今日の夜会って来るよ」


「大丈夫か?その子、けっこう手ごわいんだろう?」

「ああ……でも向き合わないとな」


千葉がずずっとそばをすする。


「だいたい、偶然会った日にお前がハッキリ言ってれば済んだ話なんじゃないのか?」


「そうだな……でもあの時は怖かったんだよな。彼女と知られたら彩乃に接触しようとするんじゃないかって。それと……。もうひとつ、過去のトラウマも蘇ってきてさ」


「家庭教師の時の?」


「ああ、人の人生を変えてしまったことをずっと恐れていた俺。美優ちゃんがどんな道に進んだのかも分からないし、知りたくないって思ってしまったんだよな」


「その件も話した方がいいな」


千葉は言う。


「お前のためにな。お前は気にしすぎなんだよ。案外人ってなにも思って無くて、間違った選択したってそれに気づく機会は必ず訪れるはずだ。間違ってしまったから、ダメだったわけじゃない。お前の影響が将来時間が経っていい方に向く可能性もある。それも含めて美優ちゃんには聞いて、もうなにも気にならない状態にしてから彩乃ちゃんと向き合った方がいい。彩乃ちゃんだって本当はお前のこと信じたいに決まってるんだからさ」


「そうだよな……分かってるんだけど。彩乃に別れたいって、大人と付き合うのは荷が重いって言われたんだ正直この言葉がけっこうキてる」


最初こそ、美優ちゃんの件があったからだって自分に言い聞かせて納得できたけれど、今考えると実は本当に思っていたんじゃないかと考えて暗くなっていた。


ナメていたのかもしれない。

彩乃にこんなこと言われるなんて思わなかったから。


彩乃の方が俺のことを好いてくれているって、浮かれてたんだな。


本当は俺の方がよっぽど彩乃のことを好きなのに……。


ウジウジしながらそばをすすっていると、千葉はため息をつきながら言った。


「俺がお前から聞く彩乃ちゃんはそんな性格じゃないと思うけどな。大好きなお前と付き合いたくて、すっげぇ頑張って、何度ふったって諦めたりしない。そんな彩乃ちゃんが覚悟も無しにお前と付き合ったりするか?そんな好きな奴といて荷が重いなんて言葉出ると思うか?」


千葉は真剣な顔をして俺を見た。


「俺だってそう思ったよ。だけどな、そういう言葉が出てくるってことは少なからず、感じてたんじゃねーかなと思って。俺がそうさせちまったのかなって……彩乃が辛いなら俺は引き下がるしか出来ない」


俺の静かな言葉に千葉は眉をひそめた。


「お前は真面目だよな。本当に、なにごとにもさ。でもさ、それはいいように見えるかもしれない。だけど、時に悪くも働くんだぜ?」


「どういう意味だよ?」


俺が聞くと千葉はふっと笑いながら答えた。


「感情的なモンを頭でごちゃごちゃ考えてたら、婚期を逃すって言うだろ?」

「なんだそれ」


聞いたことねぇぞ。


「つーまり!ごちゃごちゃ考えていたら、反応が遅れて逆に相手を傷つけちまうってことだ」


千葉のざっくりした言葉。

俺は意味が分からず首を傾げる。


「もっと具体的に言ってくれねぇか」


「あ?だからー!好きだけど、相手はどうだろうってごちゃごちゃ考えてもけっきょく相手にはなにも伝わってねぇんだよ。好きなら好きって言ってあげるのが、一番相手にとって安心するだろ」


「なるほど……」


たしかにそれはそうだ。

俺が彩乃のことをたくさん考えている。


けれど、そのことは彩乃には伝わっていなくて、大事な話やすり合わせが出来ているわけもない。


考える前に行動ってそういうことだったのか。


「お前……カッコいいな!」


「まっ、昔色々あってな~。俺は失敗しちまったからお前にはどうしても後悔してもらいたくねーんだよ」


千葉にも昔、似たような経験があったのか?


それを聞くことは出来なかったけど、千葉は頑張れよと俺に声をかけた。


「とりあえず、美優ちゃん?に会って確認して来いよ。絶対なんかあると思うぜ」


俺はその言葉に力強く頷いた。


そうだな。

まず確かめなければ、なにも分からないままだ。


先のことはその後考えよう。


そして夜──。

俺と美優ちゃんは近くの駅で待ち合わせをすることにした。


仕事が終わりすぐに向かう。

人混みの中、俺は駅の柱にもたれてスマホの画面をぼんやり眺めていた。


言わなくちゃいけない。今回はハッキリと。


それでもう彼女と会うことは二度とない。


どんな雰囲気になってもケリを付けなきゃな。


時刻は待ち合わせの三分前。

変な緊張感があり、改札を通る人たちの顔を自然と目で追ってしまう。


仕事の都合上、会社の近くの駅でしか待ち合わせが出来なかったが、出来るだけ人目につきたくない。


そう思った時。


「恭平くん!」


俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。


顔をあげると、美優ちゃんがこちらに手を振りながら小走りで近づいてくる。

白のニットと淡いグレーのスカート。


俺と3歳しか歳が離れていないものの幼く見える。


頼むからデカい声で名前呼ばないでくれよ。


「ごめん、待った?」

「いや大丈夫」


俺はそっけなく答えた。

あくまで距離があることを自覚させたかったが、彼女にそれは利かなかった。


「恭平くんっ!会いたかった」


あろうことか、美優ちゃんは俺の腕に抱きついてきた。


「ちょ……」

「あたし、嬉しい……!恭平くんから呼び出してくれるなんて」


「あ、うん。話がしたかったから。とりあえず手は放して」

「うんっ!」


ぱっと顔を輝かせる美優ちゃん。


やっぱり彼女は苦手だ……。


だけどここで逃げていたらなにも知ることが出来ない。


「恭平くん、仕事終わりでお腹空いたでしょ?私もお腹ペコペコなの。いいフレンチのレストラン知ってて、そこでお話ししない?」


「いや、正直話し終えたらすぐ帰るつもりだから」


美優ちゃんの眉がわずかに動いた。

でもすぐに、またいつものように微笑みを見せる。


「……そうなんだ。うん、それは残念だけどわかった」


そして俺は人がたくさんいる近くのファミリーレストランに入ることにした。


「こちらのお席へどうぞー」


若い店員に案内されて、窓際のふたり席に座る。


背中合わせの隣の席からは、学生らしい笑い声がかすかに聞こえてきた。


テーブルの上に置かれたメニューを手に取ると、美優ちゃんは、もうなにを頼むか決まっているようで、手早くメニューを閉じた。


「ハンバーグプレートにしようかな。お腹すいたって言ったけど……本当は、少し緊張してる」


恥ずかしそうに顔を赤らめる彼女を見て嫌気がさした。


浮かれているのか。

俺がなにを言うかも分からずに……。


俺の胸がちくりと痛む。

とりあえず、早く言い出さないとな。


俺はチキン南蛮セットを頼むことにした。


店員が下がると、美優ちゃんは楽し気に言う。


「恭平くん、お疲れ様だね。スーツ姿本当にカッコイイ……!今本当に社会人なんだもんねぇ~」


「まぁ……」


「恭平くんのスーツ姿見れるなんてなんだか得した気分!懐かしいな、恭平くんが家庭教師やってくれてた頃が」


出来るだけ早く本題に入りたかったが、なかなか美優ちゃんがそうさせてくれない。


どうするか。

いつのタイミングで言おうかとうかがっていた時、料理が来てしまった。


美優ちゃんは頼んだハンバーグを食べ始める。


「恭平くんとなんだかデートしてるみたい。本当に幸せ~」


「あのさ、美優ちゃんそういうのやめてくれない?」


俺はついに言葉を切り出した。


不快だった。

デートなんかじゃない。


こんな時間一刻も早く終わらせたかった。


俺は箸に手を伸ばさずに真剣に美優ちゃんの顔を見つめる。


「今日はさ、ちょっと聞きたいことがあるんだ」


「いいよ~!私のこと?なんでも聞いて。だって離れてた時間が長いもんね。今までなにしてたとか、どう過ごしてたとかたくさん教えてあげる♡」


俺はその言葉を最後まで聞かずに切り込んだ。


「彩乃と会ったんだよね?なに話したの?」


そう言った瞬間、彼女の眉がぴくっと跳ね上がるのが分かった。


けれど、美優ちゃんはすぐにその表情を消して、なにごともなかったかのように首を傾げてみせる。


「さあ。なにも?」

「本当になにも言ってない?」


「あの子が言ったの?別れたんじゃなかったの?」


美優ちゃんが一口サイズに切ったハンバーグを口に入れながら俺に尋ねる。

「なんで美優ちゃんがそんなこと知ってるの?」


その時、ハッとしたように、口をきゅっと結んだ。


本来なら知るわけがない。

俺たちが分かれたなんてこと。


さっきの言葉で俺たちが分かれたことに美優ちゃんが関わっていることが確定した。


「やっぱりなにか知ってるんだね」

「…………」


想像した通りか。

恐らく彩乃を傷つけるようなことを言ったんだろう。


「なにを言ったの?答えてくれる?」


俺が声のトーンを下げながら言うけれど、美優ちゃんはうつむいたままでなにも答えなかった。


「美優ちゃん」

「…………」


「あのさ、俺がこうやって優しいなはなし方をしてるのは、昔の教え子だから。後はダチの妹だからっていうのもある。でもさ、好きな子傷つけられてまでそんな配慮出来るほど、俺も出来た人間じゃないんだ。言ってくれないならそろそろ怒るよ」


俺の言葉に美優ちゃんはびくり、と身体を揺らした。


じっと俺の目を見る。

すると、観念したのかようやく全てを話した。


「ショッピングモールで恭平くんと会ったあの日……恭平くんに渡したいものがあってもう一度、恭平くんを追いかけたの。そしたらふたり……手を繋いでた。妹だって言ってたけど、そうじゃないだって分かっちゃって……悔しくなったの」


あの日、美優ちゃんが戻ってきていたのか。

もっと警戒するべきだった。


あの日はすぐに家に帰るべきだったかもしれない。


「でも……っ、あたしだってそれを見て奪ってやろうって思ったわけじゃない」


美優ちゃんはポツリポツリと話しをする。


「諦めるしかないんだって思った。日も経っちゃったし、恭平くんは前に進んでいたんだって……それで諦めようと思ったんだけど、次の日に見かけたの。恭平くんと手を繋いでいたあの子が高校の制服を着て学校から帰るところを」


……そういうわけか。


もうだいたい分かった。

自分が高校生の頃、俺のことを好きで付き合いたいと思っていた。


でも親に引き離されて、彼女の親にも言われたのだろう。


歳も離れているのに、あなたは高校生なのに……と。


そこで彼女なりに忘れるしかないと思ったんだ。

でも、実際は俺が付き合っていたのは高校生で……許せなくなったわけか。


「それから、あの子を呼び出して……話をした。別れてって言っても別れないって言われてムカついたの。だから、別れないなら恭平くんの勤めている職場にこの事実を漏らすって言った!恭平くんはこのままじゃ、解雇になるよって言ったら、あの子……別れますって」


全て聞き終えた俺は、彩乃の別れたいと言った理由が分かりほっとした。


まさか彩乃が別れたい理由が、自分が傷ついたからではなく、俺を傷つけないためだったとはな。


本当に、俺もナメすぎだ。


アイツがそんな覚悟で俺にぶつかってくるわけねぇじゃねーか。


ほうっとため息をつく俺に美優ちゃんは開き直ったかのように言う。


「脅したのは悪いと思ってるよ!でもさぁ……ちょっとあんなふうに言っただけで、簡単に別れるなんて言う子でしょ?だったらそんなに恭平くんに気持ち無かったってことじゃん」


「なに言ってるの、美優ちゃん」


俺は冷たい目で彼女をみながら言う。


「相手のことを考えて自分が引くってどんなに辛いことか分かる?自分の気持ち押し込んで好きな相手に嫌いって言ってごらんよ」


きっとすげぇ悩んだんだろうな。

どうやって言おうって、上手く言えるかなって思ってたんだろうな。


涙をこぼすのも我慢して、それでも一生懸命に別れを告げた。


心が擦り切れるような思いだっただろう。


俺が彩乃を好きになるまいと遠ざけていたように、苦しい思いをしただろう。


「もういいよ、これ以上美優ちゃんと話すことはないから」


俺が立ち上がると、美優ちゃんは大きな声で言う。


「待ってよ!お願い、待って……だって私……ずっと恭平くんのこと好きで……」


「俺には彩乃がいるから、その気持ちには答えられない」


すると美優ちゃんは持っていたフォークを置いて、勢いよく立ち上がった。

そして必死な顔をして言う。


「そんなこと言うなら、言うから!恭平くんの会社に言う……高校生と付き合ってるって知れたら……」


「勝手にしろよ。そんなことでなにかを失う生き方はしてない」


なめられたもんだ。

そうやって脅せばなんとかなると思ってる。


彩乃なら騙されるかもしれないが、俺には利かない。

それだけを告げて伝票を持つと、俺はその場を立ち去った。


早く彩乃と会いたい。

会って説明してやらないといけない。


今、彩乃が傷ついているかと思うと一刻も早く彼女のところに行きたかった。



店を出て、小走りで彩乃の家に向かう。

家の前につき、彩乃の家のインターフォンを押すと、走って乱れた呼吸を整えた。


「あら、恭平くん?」


中から出て来たのは、彩乃の母親だった。


「彩乃と話がしたくて……少しだけ時間いいですか?」


不自然だろう。

こんなに息を切らして尋ねてくるのだから。


でも彩乃のお母さんは俺を信頼してくれているのかなにも聞かずに笑顔で頷いてくれた。


そして部屋着姿の彩乃が部屋の中から出てくる。


少しやつれたような顔をしていて、心が痛くなった。


「彩乃、話したいことがある」


まっすぐに目を見つめるが、彩乃はこっちを見なかった。


「あたしは話すことなんて……」


そう言いかける彩乃の手をぎゅっと握る。


このままじゃ彩乃は来てくれないだろう。


無理にでも引っ張っていくしかない。


「いいから……少しだけ話聞いてくれよ」


俺の弱々しい言葉に、彩乃はなにも言わずダウンジャケットを着て外に出て来た。


こういう後悔を抱えたまま、彩乃と付き合っていたらまたなにかの弾みで手放した方がいいかもしれないと考えてしまうと思った。


すれ違いが起きないためにもしっかりと会話する必要がある。


俺たちは人があまりいない公園の方まで歩いてきた。


すると少し歩いて来たところで彩乃の方が先に口を開いた。


「恭ちゃん、やっぱり話はしなくていい。あたしもう気持ち言ったよね?変わることはないの。あれがあたしの本心だから」


力強い瞳の中にはやっぱり悲しみが含まれている。


なんで気づいてやれなかったんだろう……。


そんなこと言わせるなんて、俺もまだまだだ。


「好きって言って全力でつっぱしってくるクセに俺のこと、考えてすっと身を引いちまう」


「え?」


「俺のこと好きなくせに、自分の気持ち抑えて別れようとして別れるなんて言うんじゃねーよ」


「ちょ、恭ちゃん……?」


そして大きく目を開けた。


「無理だから。俺だって、お前がいなくても平気でやってけるような奴じゃねぇからな。もう遅せーんだよ。手放すには」


ぱちり、ぱちりと瞬きをする彩乃をぎゅっと包み込む。


「美優ちゃんと話してきたから」


彩乃は戸惑っているようで困惑の言葉を漏らした。


「俺はこの先、どんなことがあっても仕事とお前を天秤にかけたりしねぇよ」


彩乃は驚いた顔をしてただ俺の顔を見ている。

そしてぎゅっと唇を噛み締めた。


「彩乃も仕事も両方守る。だからさ……言えよ。」


真剣な瞳で彩乃をみる。


俺の気持ちが伝わるように。


もう我慢させたくないから、傷つけたくないから言ってみろって、包み込むような口調で言った。


「どういう……」


「言えよ彩乃、なにもかもふり払ってお前の本心を言ってみろ。絶対に俺が受け止めるから……」


彩乃の本心。

もうなにも考えなくていいから、ありのままの気持ちを教えて欲しい。


そうしないと俺は彩乃を包み込んでやることはできない。


「言っても……いいの……?」


力強く頷く。

彩乃がすうっと空気を吸っているのが分かった。


そして、まっすぐにこちらを見つめて言う。


「恭ちゃんが好き。本当は大好き。離れたくなんかない……っ」


やっと聞けたな。

彩乃の本音を……。


「合格」


にっこり笑って耳元でそう囁くと、すぐに彩乃を抱きしめる。


久しぶりの温もり。

少し離れていただけなのにだいぶ会っていなかったみたいに感じる。


「……うっ、」


俺の中で彩乃の泣いてる声が響いた。


「恭……ちゃっ」

「ごめんな。色々巻き込んで……寂しい思いさせたな」


ポンポンと彩乃の頭を撫でると、彩乃は俺の中でふるふると首をふる。


「どうしよう、恭ちゃん。あたし今パニックで色々と考えることが……」


「今はいい。黙って俺に抱かれとけ」


ぎゅっと強く回した手に、返すように彩乃も手を回す。


お互いの温もりを確かめるように包みこめば、彩乃は安心したように笑顔を浮かべた。


しかし、しばらくそのままでいると、彩乃は俺から離れてしまう。


「あの……恭ちゃん、やっぱり……」

「安心しろよ、しっかり言ってきたから」


俺の言葉に、彩乃は大きく目をあける。


「それじゃあ、恭ちゃんがクビに……」


「バーカ、違げぇよ。美優ちゃんと話をつけてきた」


俺は美優ちゃんに会って話しをしたことを彩乃に全て話した。


最後はまとまったとは言えねーけど、俺だって言いたいことは返した。


万一美優ちゃんが会社に言ったらどうするかは考えないといけないけど、たぶんわざわざ会社に言って来たりはしないと思うんだ。


あの目はそういう目だった。


「良かった……っ」


すると彩乃は止まりかけていた涙をまたポロポロと流した。


「ごめんな彩乃」


本当、たくさん泣かせたよな。

彩乃の涙をぬぐって、もう一度頭を撫でる。


お互いに目が合うと、俺は彩のアゴを少し持ち上げてキスを落とした。


「……っん」

「好きだよ、彩乃」


たっぷりと今の気持ちを込めて伝えると、彩乃は涙を拭いながら言った。


「あたしも……、すき。だいすき」


全力の言葉がああ、変わってないなと分かって安心する。


良かった、まじで良かった……。

俺は彩乃の温もりを確かめるように、もう一度ぎゅっと抱きしめた。


すると、彩乃は急に恥ずかしくなったのか、顔を隠しながら離れて行こうとする。


「恭ちゃん……家の前だから……そろそろ」


しかし、俺はそんな彩乃を真剣な顔して引き止めた。


「ごめん無理。今、離したくない」


ぎゅうっと俺の胸に抱きしめる。


彩乃が小さな声で「もう……」と言ったのが分かった。


「恭ちゃん、あのね。ひとつだけ言っておきたいことがあるの」


「ん?」


またなにか言い出すんじゃないかって不安になったが、彩乃の表情を見ればなにかを決意したような顔をしている。


「あたしはさ、確かになにも出来ないし、大人から見ればまだまだ子どもで、自分だけじゃ本当になにも出来ないけど……」


もじもじと恥ずかしそうに視線をそらしながら言う。


「恭ちゃんのこと、好きだっていう気持ちは誰にも負けない。誰よりも、自分よりも幸せになって欲しい人。それが恭ちゃんだから……」


そういうと、彩乃は決意を決めたような顔をして俺を見る。


「だからね……その、これからももし、恭ちゃんと付き合っていて、恭ちゃんが傷つくようなことがあるなら、同じようなことするかもしれない!ていうかあたし、同じことすると思う!」


「はァ!?」


おいおい、彩乃。

頼むぜ、さっきちゃんと伝えただろう。


お前がいないと無理だって。


「だから、その時は遠慮なく私のことを捨てて……」


ってもういっか。


ーーちゅ。


「ん……っ」


俺は彩乃の唇を奪った。


「そんな話なら言わせねぇ」

「ちょ……恭ちゃ、あたし真剣に……」


「もう1回塞ぐか?俺は何度だってしてもいいぜ?」


顔がみるみるうちに赤くなっていく彩乃を見てにやりと笑う。


「だって……」


まだごねるから、俺は彩乃に向かって言った。


「子どものくせに、こうやってなんとかしようと前に突き進んでくる所。怖いくせに、ちゃんと自分の口で伝えようとする所。俺に対してすっげぇ一生懸命でかわいい所」


「へっ……?恭ちゃん?」


「なにも出来ないわけじゃないだろ。ここまで俺を思ってくれるヤツなんてそうそういない」


いきなりの俺の言葉に彩乃は戸惑っているようだった。


「え、と、その……」


「俺を傷つけたくないつーなら、一生俺から離れるなよ」


「どんな大きなことが起きてもいい。それでもお前がいないのだけは耐えられない」


俺は今思っている全てを彩乃に伝えた。


色んなこと考えてくれなくてもいい。

なにが起きても俺が守れるようにする。


だからこそ、側にいて欲しい。


俺のその言葉に彩乃はうるうると目を潤める。


そんな彩乃の唇をそっと指でなぞると、上を向かせた。


「今度また俺のこと考えて離れるとか言ったら、こうして止めるから」

「んぅ……!」


ちゅっとキスを落としてから、さっきより深く口づけると彩乃は苦しそうな顔をする。


そんな彼女の頭を撫でて唇を離すと潤んだ目は睨むようにこちらに向けられた。


「恭ちゃんのバカ」

「ああ"?」


「そんなこと言われたら、ずっと一緒にいちゃうよ?」

「いろよ、いつまでも」



満天の星空がきらきらと光る中、俺たちはようやくふたりそろって笑顔になったーー。





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