【麻美side】
千葉さんとのデートを終えて、ひとり帰宅をしている私。
千葉さんとのデートはとても楽しくてドキドキした。
周りに人がたくさんいたり、道路があったりするとすぐに気づいて私を中側に寄せてくれたり、さっと腰を引いてエスコートしたりしてくれる。
お会計だって払うって言ってるのに、「これは彼氏の仕事だから」って言って少しも出させてくれなかった。
すごく大人っぽくて、これが千葉さんという人なんだと思うとドキドキしたし、ずっとそうやってモテてきた人なんだろうなって思った。
でもね、大人だからって理由で好きなわけじゃないんだよ。
それを勘違いして欲しくはないんだ。
でも……あの時。
『危ないっ!』
ぎゅっと包みこんでくれた時、もっとその時間が長くなればいいって思ってしまった。
初めてデートをしたけれど、千葉さんとは一切触れることはなかった。
手も繋ぐことはなかったし、その先も当然。
もっと触れたいのに……。
千葉さんは案外しっかりしてるのよね。
出会った時はチャラチャラしてて適当そうな人だったのに。
だから彼の誠実さが伝わる分、私がわがまま言うわけにはいかなかった。
彩乃も同じような悩みを抱えていたのかな?
片思いの時はよく私に相談してくれてた。
私はお色気作戦よ!
なんて言ってしまったけど、いざ自分がやるとなるとそんなこと出来ない!ってなってしまう。
もっと実用的なアドバイスをしてあげるんだったわ……。
でも彩乃に相談してみるっていうのはありかもしれない。
今、彩乃は先輩だものね。
それから次の日。
昼休みの教室で私は彩乃に相談することにした。
お弁当を食べ終えた後の彩乃は、窓際の席で鏡をみながら化粧を直していた。
今日も恭ちゃんと会うって言ってたから、オシャレをしているんだろう。
家が近いっていいな。
会いたい時に会えるだもん。
今、私と千葉さんが会えるのは千葉さんが仕事が休みの時だけ。
本当はもう少し会いたい……。
でもそんなわがままは言わないようにしてる。
彩乃の席に向かい私はいつものように話しかけた。
「ねえ、彩乃」
「ん?」
顔を上げた彩乃は、いつもどおりの柔らかな笑顔だった。
私は、隣の椅子にぺたんと座り込みながらたずねる。
「ちょっと聞きたいことあるんだけど……その、友達の恋愛の話なんだけどさ、相談されちゃって」
「えっ、恋愛?麻美の?」
彩乃の目がぱちっと見開かれる。
私は慌てて手を振った。
「違う違う、私の話じゃないよ!? 友達の、ほんと友達の話!」
「ふふ、わかったわかった。で、その“友達”はなにで悩んでるの?」
これは気づいてるな……。
ニヤニヤしているのが証拠だ。
「えっとね……その友達、最近付き合い始めたんだけど、相手がちょっと年上で。距離の詰め方がわかんないっていうか、どうしたら“恋人”っていう感じになるのか悩んでるらしいの」
「ふーん、なるほどね」
彩乃はひじをつきながら、少し考えるように口元に手を添えた。
「分かるよ、分かる!大人と距離を縮めるのは難しいのよね~!大人の方が大人大人しているっていうか……」
バカ丸出しの言葉に私は思わず吹き出してしまった。
「大人大人って……」
でも言おうとしていることは分かる。
相手の思考が大人な分、距離を縮めることが難しいんだ。
「まぁ、私からアドバイスできることは自分の気持ちをハッキリ相手に伝えることかな?特に麻美は……げほっ、ごほ……その友達は大人っぽいかもしれないし?自分が思った以上に伝わってない可能性があると思うんだ」
な、なんかバレているような……。
「でもその友達だって気持ちは伝えたって言ってたわよ?」
「好きって言ってても、手繋ぎたいとかは言ってないんじゃない?相手に会わせて大人になるのも大事だけど、子どもの武器を使うのも大事じゃない?」
子どもの武器か……。
そんなこと考えたことなかったな。
どうしても相手が年上だから、そこに合わせなきゃって背伸びしてしまっていたのかもしれない。
「あたしも恭ちゃんと一緒にいて、最初の頃は背伸びしなきゃとか追いつかなきゃって考えてた。でもどう考えても追いつけないし、背伸びしつづけると疲れちゃう。そんなのお互いに望んでないでしょ?だから、ちゃんと相手に迷惑をかけない程度でいれば子どもって武器を使うのもありだなって思えたの。困ってるその友達にも伝えてあげて」
「彩乃……」
彩乃の言葉が、すごくやさしく胸に染み込んだ。
本当に、恋をすると人間変わるなんて言うけれど彩乃が大人っぽく見えるよ……。
「うん……ありがと。少し気が楽になった」
「えっ、友達の話しじゃなくて?」
思わずこぼしてしまった言葉にはっとする。
しまったと顔をあげると彩乃はニヤニヤしていた。
「と、友達の話しよ?あくまでね?」
「はいはい」
一応、今はこれで納得してくれたみたい。
私にも自信がついて、千葉さんの彼女なんだってハッキリ思うことが出来たら彩乃に一番に伝えよう。
今はまだ自信がないから、それまで待っててね……。
それから私は彩乃に言われた通り実践してみることにした。
次のデートの予定が決まっていなかったから思い切って、誘ってみよう。
【千葉さん、おつかれさまです。来週の土曜日、千葉さんの家に行ってみたいです】
まだ彼のこと、知らないことばっかりで……お家に行ったら少し距離が縮まって知れるんじゃないかと思ったんだ。
断られちゃうかな?
そう不安に思っていた時、千葉さんから返信が来た。
【ごめんね、商談があった。家いいよ!麻美ちゃんが来るのは照れるけど片付けておくね】
「やった……!」
来週の土曜日は、お家デートだ!
それから土曜日がやってきた。
私は洗面所でお化粧をバッチリして、髪を巻いていた。
「あら、かわいい~」
その後ろを佐知姉が通る。
「今日もデートね?」
「デートっていうか……その」
「いいわけはいいのっ、はい」
そう言って佐知姉はかわいい髪飾りを私につけてくれた。
「いいの?」
「うん、これつけてくと一気にオシャレになるでしょう?」
「ありがとう!佐知姉」
「行ってらっしゃい」
佐知姉は穏やかな表情で送り出してくれる。
私はカバンを持って家を出ることにした。
千葉さんとは私の家の最寄り駅で待ち合わせしていて迎えに来てくれるみたいだ。
駅に行くと、千葉さんは改札の前で待っていてくれた。
「麻美ちゃん、こっち」
手招きする千葉さん。
千葉さんの元に行くと彼は言った。
「かわいい恰好してる。家に閉じ込めておくのはもったいないなぁ。外デートの方がいいんじゃない?」
「今日は千葉さんのお家に行きたいの!」
顔を赤らめながらもそう告げると、千葉さんはおだやかに笑った。
「じゃあ行きますか」
電車に乗って二駅先の駅で降りる。
「飲み物とか買っておいたから向かおうか」
千葉さんの家は歩いて5分のところにあった。
「ここだよ」
「うわぁ……」
ここがひとり暮らしの男の人の家か……。
オートロック式のマンションになっていて、部屋の外観はとてもキレイだった。
彼氏のお家に行くのってはじめてなんだよね……。
それも千葉さんとふたりきりになれる場所なんだもん。
ドキドキしながらエレベーターで3階にあがる。
そして千葉さんは家のカギをあけてくれた。
「どうぞ」
玄関のドアが開いた瞬間、ふわっと鼻に届いた柔らかな香りに胸が高鳴った。
柔軟剤と、ちょっとしたコーヒーの匂い。それが千葉さんの家の匂いだと思うと、なんだか顔が熱くなる。
「狭いけど、あがって」
「う、ううん!全然!……ていうか、思ってたよりおしゃれ」
千葉さんの部屋は、グレーと木目を基調にした落ち着いた空間で、大きな本棚と観葉植物がさりげなく配置されていた。背伸びしすぎないけれど、センスが光っていておしゃれだ。
「すごいね」
部屋の中に足を踏み入れたすぐにつぶやく。
こぢんまりとした空間だけれど、随所に千葉さんのこだわりが感じられる。
観葉植物の緑が差し色のように置かれ、木目調の家具と柔らかな照明が落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
背の高い棚にはいくつかの本とレコード、そしてコーヒー器具がきちんと並べられていて、まるでセンスのいいカフェにでも来たみたいだ。
千葉さんって、私服のセンスも良かったし……きっとセンスある人なんだろうな。
「自分の家に誰か連れてきたのははじめてだよ」
そんなことを、さらりと言ってのける千葉さん。
彼はソファの背にもたれ、私の反応を楽しむように視線を送ってきた。
「ウソつき」
つい口を尖らせてしまう。
だって、モテるに決まってる。あんなに顔も整ってて、性格も穏やかで、なんでもできる人が、今まで誰も家に呼んだことがないなんて、そんなはずない。
「モテる千葉さんがそんなことないもん!」
すると、千葉さんはおどけたように眉を上げた。
「本当なんだけど、お姫様にはお気に召さなかったようで……?」
口の端を上げながら、ちょっとだけ目を細めて私を見る。その仕草が大人っぽくて、からかわれているのはわかってるのに、心臓がどこかくすぐったく跳ねる。
「ふん」
私は照れ隠しにそっぽを向いた。
けれど彼は、そんな私の様子に満足そうに笑っている。
「それなら美味しいものでも食べて機嫌を直してもらおうかな」
「美味しいもの!?」
反射的に声が弾む。
さっきまでの拗ねたような気持ちが、一瞬で吹き飛んだ。
千葉さんが立ち上がり、軽やかな足取りでキッチンへと向かう。私は慌ててその後を追いかける。
エプロンを手に取ってさっと首にかけた彼は、まるで料理番組のワンシーンのように手際よく冷蔵庫を開け、野菜室からナスやトマトを取り出してカウンターに並べていった。
そこには、彼の手になじんだ動きがあって、見ているだけでちょっとドキドキする。
「今日はパスタにしよう。トマトとナスのアラビアータ。ちょっとピリ辛で」
「……おしゃれすぎる!千葉さん、料理できるの!?」
まさか、料理までできるなんて。
私の中で、彼の完璧度がまたひとつ、上がっていくのがわかる。
「実はバーテンダーやる前は、イタリアン料理のキッチンにいたんだよ」
「すごい……!」
何者なんだろう、この人は……。本当に、なんでもできるじゃん……っ!
「私もやりたい!教えてほしい!」
「いいよ」
優しい声と一緒に差し出された包丁。
ナスを切るところから任せてくれるらしい。
嬉しいけれど、いざまな板の前に立つと手が震える。
ナスを手に取り、緊張のあまり包丁の刃を少し斜めに入れてしまった。
「わ、下手かも……」
情けなくつぶくと、千葉さんはくすっと笑って言った。
「それも味だよ。美味しければなんでもいいってね?」
優しい……。
失敗しても、否定しない。全部まるごと肯定してくれる。
そういうところも、好きだと思った。
ふと彼の顔を見ると、柔らかく微笑んでいて、その笑みがあまりにも優しくて、胸の奥でなにかがぎゅっとなった。
なんでもない土曜日。
キッチンに立つふたりの空間は、小さくて温かくて、幸せが包み込んでいた。
そして彩乃に言われたことを思い出す。
『ちゃんと、気持ちを言葉にした方がいいよ』
——そう、言ってくれたから。
今日は正直に、自分の思ってることを伝える。
「こういうの、好き……一緒に作って、一緒に食べるの」
私の声は思ったよりも小さくて、ちょっと震えていた。
だけど、ちゃんと彼に届いていたようで、彼は少し驚いたような顔をしたあとふっと目尻を下げて優しく笑ってくれた。
「素直でかわいいね」
そのまま、ポンポンと優しく頭を撫でてくれる。
くしゃっと髪が乱れて、ふたりで目を合わせて笑った。
そして千葉さんは、慣れた手つきでアラビアータを仕上げていった。
ぐつぐつと煮え立つトマトソースの香りが部屋中に広がり、空腹の音が鳴りそうになる。
湯気を立てる鍋からパスタをトングで引き上げ、ソースの入ったフライパンへと投入。
フライパンを軽やかにあおり、パスタとソースが絡めた。
「すご……レストランみたい……」
思わず声が漏れた。
料理する彼の背中が、かっこよくて思わず見惚れてしまう。
「これで完成」
ふたり分のお皿がテーブルに並べると、トマトソースの鮮やかな赤にナスの深い紫、湯気が立ち上って、すべてが完璧だった。
「じゃあ食べようか」
「いただきます!」
フォークをくるくると巻いて口に運ぶと、トマトの酸味とナスの甘み、そしてピリ辛のアクセントが絶妙に絡み合い、思わず目を閉じた。
当然味もとっても美味しくて……感動して声が出た。
「おいしいっ~!」
「良かった」
「千葉さんって色んな経験してきてるんだね、羨ましいな」
思わず本音が漏れる。
私はまだ、自分のことすらうまくわからなくて。
将来なりたい夢とか進みたい進路とかも全然決めてない。
でも彼に影響されることだってあるのかなぁ……。
そんなことを考えていると、千葉さんは目線を落とし、うつむいた。
少し影が差したような表情で、今まで見たことのない横顔だった。
「どうしたの?」
「いや、まぁ……楽しいことばっかりじゃないけどね」
その笑顔は、さっきまでの朗らかな空気とは違って、どこか遠いところを見つめていた。
また……だ。
千葉さん、暗い顔してる。
なにかを思い出してるみたいな、触れたらいけない心がある……そんな空気。
なにがあったんだろう?
気になる。
でも……いつも、もう少しでその答えに届きそうになるのに、どうしても踏み込めない。
私にはまだ、彼のすべてを受け止める勇気がないのかもしれない。
だから、今日もそのまま、そっと胸の中に仕舞い込むことにした。
食後は、しばらくリビングでのんびりと過ごした。
窓から差し込む午後の日差しがカーテン越しに柔らかく揺れ、ぽかぽかと温かい。
やがて、千葉さんの提案で、彼の部屋へと移動することになった。
彼の部屋に足を踏み入れると、そこには落ち着いたシンプルな空間が広がっていた。
「ここにはあんまり物がないんだね」
「うん、寝室にはあんまり置かないようにしてるんだ」
「そうだったんだ」
寝る部屋が質素なのは、なんとなく千葉さんらしい。
ベッドと本棚しか置かれていない。
その本棚にはいくつかの本や漫画それからアルバムのようなものが飾られていた。
背の低い木製のラックの上には、何冊かのアルバムと写真立てが立てかけられているのが見える。
「これ……千葉さんの写真ですか?」
「うん。卒業アルバムとか、小さい頃のとか。親が送ってきたやつ」
気になる……!
私は吸い寄せられるようにラックの前にしゃがみこみ、好奇心を隠しきれず、指先をそっと伸ばす。
「……ねえ、これ見ても……」
その瞬間だった。
すっと、私の手が静かに止められた。
すぐ横で、千葉さんの声が柔らかく響く。
「だーめ」
「えっ?」
肩越しに伸びてきた手が、優しく私の手を押し戻す。
思わず、アルバムに触れようとしていた指先が空を切った。
いつの間にこんなに近づいてたの?
ドキン、ドキンと、鼓動が早くなる。
でも千葉さんは真面目な顔で言った。
「そう簡単には見せてあげないんだな〜」
「なんでですかっ!」
思わず声をあげてしまう。
「いや、だってさ。アルバムって、けっこう恥ずかしいよ? 特に小さい頃のやつとか」
そう言いながら、彼は少しだけ視線を逸らした。
「うそだ、絶対見せられないようなやつあるんでしょ? 昔の彼女とか、ツーショットとか……」
目を細めて、わざと冗談っぽく言ったつもりだった。
けど、彼はごまかすように言った。
「どうだろうねぇ」
「じゃあいいもん、見ないから」
私はぷいっとそっぽを向いて、頬をふくらませた。
彼に見えないように、唇をキュッと噛みしめる。
「え?なんで急に?」
私の感情の揺れを察したのか、千葉さんがきょとんとした声を出す。
「だって……前に付き合ってた人とか写ってたら、やだもん」
ぽつりとこぼしたその言葉に、千葉さんは少し目を見開いて……それから、ふっと口元を緩めた。
「ヤキモチですか、麻美さん」
その言い方が優しくて、くすぐったい。
「当たり前でしょ」
言った瞬間、自分でも顔が熱くなるのがわかった。
わかりやすいくらい素直になってしまって、恥ずかしい。
「そーいうかわいいの、逆効果だけど?」
「えっ?」
困惑して目を見開いた私に、彼がぐっと距離を縮める。
そのまま、包み込むように私を抱き寄せてきた。
「ちょっ、千葉さん」
ふわっと香るシャンプーの匂いと、体温と、鼓動と。
全部が一気に近づいてきて、頭が真っ白になりそう。
「なんか最近めっちゃ素直なの可愛すぎるんだよな……」
「ち、千葉さん……っ」
耳元でささやかれるその声に、心臓が跳ね上がる。
ドキン、ドキンと胸が高鳴り、息が詰まりそうだった。
そして千葉さんは、私の耳元で低く囁いた。
「ちゃんと我慢してるんだから、ストッパー外させないでね?」
──ドキン。
そのときの千葉さんの横顔が、いつも以上に大人っぽくて、ここが寝室ということもあってか、心臓がバクバク音をたてた。
……彩乃の作戦、効果めっちゃある、かも……?
アルバムを止められたのは、少しだけ不安になったけど。
でも、千葉さんが過去に付き合っていた人がいたって、今は関係ない。
今、私のそばにいてくれるのは千葉さんで、私は今の彼と恋をしている。
だから、大丈夫。そうやって自分に言い聞かせることにした。
それからは、ふたりでソファーに座りながら、DVDをのんびり見ることにした。
並んで座るだけで、指先が触れるだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。
時間がゆっくりと流れて、心がふわふわと浮かんでいくような、そんな穏やかなひとときだった。
「楽しかったね」
DVDが終わったころには、窓の外はすっかり薄暗くなっていた。
「家まで送るよ」
「ありがとう」
その言葉に、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
もう、終わりか……。
楽しい時間って、どうしてこんなに早く過ぎていくんだろう。
「明日は千葉さん、仕事があるんだよね?」
「うん、接待が入っちゃってね」
日曜日なのに、取引先との付き合いで出勤だなんて、本当に大変そう。
明日も会えたらいいのに……なんて、わがままかな。
でも、少し……少しだけでいいからわがままを言いたい。
「明日もさ、仕事終わったら電話していい?」
「もちろんだよ」
「やった!」
喜ぶ私に千葉さんは、くすっと笑ってくれた。
帰り道──。
夜の空気は少し肌寒くて、もう少しだけ彼のそばにいたい気持ちが膨らんでいく。
ああ、帰りたくないな。
でも彼を困らせるわけにはいかない。
電車に揺られながら、まぶたが少しだけ重くなる。
そんなとき、静かな車内の中で千葉さんがふいに口を開いた。
「ねぇ麻美ちゃん。俺と付き合ってることって、親御さんに言ってるのかな?」
「えっ、両親に……?」
私は思わず千葉さんの顔を見た。
正直、言っていない。
ううん、むしろ隠してる。
佐知姉は、なんとなく気づいてるっぽいけれど、私は昔から、恋愛の話を親にするのがちょっと苦手だった。
「そう、今日思ったんだけど麻美ちゃんのご両親に挨拶しておきたいなと思って」
「えっ……千葉さんが、うちの両親に……!?」
「いいよ、まだ伝えてないし……両親には言わなくても大丈夫だから……」
なんとか笑ってごまかそうとするけど、千葉さんは真剣な顔で言った。
「俺、三谷に麻美ちゃんと付き合ったこと話したんだ」
そうだったんだ……。
千葉さんの声は、少し硬い。
「その時に三谷に言われたんだ。付き合うなら、覚悟が必要だって。だから、そういうのを適当にするわけにはいかない」
電車が目的地について私たちはそこから降りる。
そして改札を出てから考えた。
この人は、ちゃんと向き合ってくれてる。
それなら、私も……。
「私もちゃんと両親には伝えるから……その前に、一旦お姉ちゃんを紹介してもいいかな?」
自分の声が少し震えてるのがわかった。
「すごく仲がよくて、大好きなお姉ちゃんなの」
「もちろんだよ。麻美ちゃんのお姉さんに会えるの、楽しみだな」
千葉さんは私の不安を察したみたいに、優しく微笑んでくれた。
夕焼けがすっかり街を染めていて、私たちは並んで歩きながら、ときおり手が触れそうになる距離を保っていた。
この人と一緒に生きていきたいんだって、本気でそう思ってるから……私もちゃんと家族に千葉さんを紹介する。
「じゃあ、お姉ちゃんに伝えておくね。……ちょっと厳しいかもだけど、大丈夫?」
「任せてくださいな」
冗談めかした声に、肩の力が抜けた。
楽しみだ。
ずっと言えなかったことを、やっと話せる。
お姉ちゃんもきっと、私の恋を応援してくれるよね?